シアトル・マリナーズのイチロー選手(45歳)が昨日の試合を最後に、現役引退する事を明らかにした。昨季の5月3日、「イチロー選手がスペシャル・アシスタント・アドヴァイザー(会長付特別補佐)なる意味不明な職に就き、選手として今季の残り試合は出場しない。」と発表された時、「マリナーズは来季(2019年)の開幕戦を日本で行うので、“顔見世興行”でイチロー選手を出場させ、そして引退させるのではないか。」と思っていたし、今年のオープン戦でイチロー選手は大不振に陥っていたので、引退自体に驚きは無い。
一昨日&昨日の試合に出場したイチロー選手、守備では素晴らしい肩を見せたが、打撃面では全く奮わなかった。あんなにも選球眼の良かった彼が、明らかなボール球に手を出したと思ったら、ストライクの球をあっさり見逃したりと、素人目にも“衰え”を感じた。(解説のプロ野球OB達が挙って「流石イチロー選手!素晴らしい打撃です!!」なんぞと歯が浮く様な御追従を並べ立てていた中、長谷川滋利氏(だったと思うが)の「彼の球を凡打にしてしまったという事が、僕にはショックです。昔の彼ならば、普通にヒットに出来ていたので。」という趣旨の発言が、非常に的を射ていた様に思う。)
イチロー選手と言えば、個人的な思い入れが深い選手の1人。以前にも書いたけれど、彼の事を初めて知ったのは、プロ入り1年目の1992年の事。此の年に行われたジュニアオールスターの招待券が2枚手に入ったので、親友と観戦に行ったのだが、此の試合で活躍し、MVPを獲得したのが彼だった。巧みなバット・コントロールに「良い選手だねえ。」と親友共々感心するも、「名前が地味だから(当時の登録名は、本名の「鈴木一朗」だった。)、スター選手には成れそうも無いね。」なんぞと言ったりしていたのだから、全く見る目が無かった訳だ。
個人的な思い入れが強い選手で在るし、選手として残した実績も凄い。でも、過去に何度か書いた様に、“人”としての彼は余り好きじゃ無かったりする。木村拓哉氏や貴乃花光司氏同様、「自分を必要以上に大きく見せ様とする言動や自意識過剰さが、どうにも苦手なのだ。
とは言え、選手としての彼が残した記録には、素直に敬意を持っている。日米通算28年のプロ生活で、記録した安打数は「4,367」。空前絶後の数字で、今後この数字を抜く選手は中々現れない事だろう。
現役を引退するイチロー選手だが、今後はどういう生き方をして行くのだろうか?“野球の指導者としての彼”を見てみたいが、「彼の“美意識の高さ”を考えると、野球以外の仕事に重きを置くのではないか?」という気がする。元プロサッカー選手の中田英寿氏の様に、ビジネスの世界に打って出るのではなかろうか。其れは其れで応援したいが、間違っても政治家の道だけには進んで欲しく無いもの。“客寄せパンダ”として利用され捲った挙句、ポイ捨てされるのが落ちだから。
天才、職人肌、努力家。そのどれもが当てはまる人ですが、同時にgiants-55さんも書かれているように、自意識過剰で独特の美意識の持ち主でもあり、どちらかといえば好きなタイプではありません。
「世界に一つだけの花」がヒットしていたころ、テレビインタビューの中で彼が、「僕はオンリーワンじゃなくてナンバーワンを目指しています」と答えていたのを見て、この人らしいなと思ったものです(笑)。
球界に残るとしても監督やコーチなど、指導者としての才能はないように思いますね。あくまでも選手としては「超一流」でしたが。
それはともかく、今朝の新聞の扱いは異常な気がしました。地方紙としては大部数を誇る地元紙ですが、1面の半分、スポーツ面の1ページ、社会面の見開き2ページの大半がイチロー選手の引退関係で占められていました。
スポーツ専門紙ならいざ知らず、日本人のノーベル賞受賞でもこれほどの扱いはしなかったというほど。
他によほど話題がないのかなあ。
「一流選手、必ずしも一流監督ならず。」と言いますが、実際問題、当て嵌まるケースは多いですね。昨日の記者会見でイチロー選手が、「自分は人望が無いので、監督は考えていない。」といった趣旨の発言をしていましたが、謙遜だとしても、「だろうなあ。」という思いが。人望と言うよりも、彼の美意識の高さは、指導者としてマイナスに働く気がしてならないので。
偉大な選手で在るのは確かだけれど、昨夜から今日に掛けてのマスメディアの馬鹿騒ぎは、自分も辟易としています。一昨日の「関東で今日、桜開花宣言が出されるか!?」という大騒ぎもそうですが、日本は良くも悪くも平和なんでしょうね。原発問題や政界の不祥事等、もっと真面目に考えなければいけない問題が山積みされているというのに・・・。
国民栄誉賞授与等、イチロー選手を政治利用し様とする動きが次々に出て来そうで、もううんざりです。