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「二谷(にたに)さん、わたしと一緒に、芦川(あしかわ)さんにいじわるしませんか。」。
職場でそこそこ上手く遣っている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事が出来て頑張り屋の押尾(おしお)。“食べる事”を通し、儘ならない微妙な人間関係が描かれる。
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第167回(2022年上半期)芥川賞を受賞した小説「おいしいごはんが食べられますように」(著者:高瀬隼子さん)。「入社7年目の二谷、6年目の芦川、そして5年目の押尾。」という3人が主人公で、3人の中では唯一の男性で在る二谷は、入社から6年間ずっと東北の支店で働き、3ヶ月前に今の埼玉支店に転勤して来た。現在、芦川から(埼玉支店での)仕事を教わる形で引き継ぎを行っている。
仕事も人間関係も、そつ無く熟している二谷。「仕事が出来る。」とは言い難く、周囲の人間に苛立ちを感じさせる事も在るのだけれど、守って上げたくなる雰囲気を持つ芦川。必死で仕事を頑張り、仕事で手抜きをしている様に感じられる芦川を不快に感じている押尾。二谷と体の関係を持つ芦川と、持ちそうになった押尾という、実に微妙な3人の人間関係が描かれている。
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手作りのお菓子を食べる時のマナー。大きな声を出しながら食べること。感動の演技を見せつけること。食べ始めの一口で「おいしい。」とまず言い、半分ほど食べたところで「えーこのソースってどうやって作ってるんですか。」と興味のないことを聞き、全て食べ終えたら「あーっおいしかった!ごちそうさま。」と殊更に満足げに聞こえるよう宣言しなければいけない。
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我々は、“本音”と“建て前”で成立する社会で生きている。本音を出し過ぎても、逆に建て前を出し過ぎても、生き辛くなる物だ。「おいしいごはんが食べられますように」では、二谷と押尾の場合、発する言葉(建て前)と心の声(本音)が記されている。
「食事は楽しむ物では無く、生きる為の一行為に過ぎない。」と考えている二谷は、自分の為に美味しい料理を作ってくれる芦川に対して、表面的には感謝する姿勢を見せるも、心の中では面倒臭さを感じている。又、芦川が同僚達の手作りして来た御菓子を褒め称え乍らも、食べる事無く、残業の後に叩き潰して、社内の塵箱に捨てたりもしている。
表面的には芦川と悪く無い人間関係を装い乍らも、仕事に対して必死さが感じられない彼女を、陰で判らない様に意地悪している押尾。
そして、芦川の場合は、計算尽くでは無いのだろうが、仕事面で“手抜き”をしている様な面が多々在り、其の迸りを食う周囲の人間を苛立たせたりもする。
社会生活を送っていれば「在る在るの本音と建て前」が、此れでもかと言う感じで表現されている。接する事が珍しく無い“現実”では在るのだけれど、文章として読むと“不快さ”一杯だ。終わり方もぴんと来ないし、不快な思いしか残らない作品。
総合評価は、星3つとする。