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「懲戒権削除を法相に要請へ 自民、女児死亡事件巡り」(2月18日、共同通信)
自民党の馳浩元文部科学相は、18日のBS-TBS番組で、「千葉県野田市の小4女児が死亡し、傷害容疑で両親が逮捕された事件。」を巡り、「監護や教育の為、子供を懲らしめる『懲戒権』を民法から削除する様、山下貴司法相に近く要請する。」と明らかにした。馳氏は、児童虐待に関する党の特命委員長を務めている。
民法の見直しを検討する考えを示した安倍晋三首相の13日の国会答弁に触れ、「子供の成長に必要な教育は、体罰や暴言、暴力で在ってはならない。懲戒権は削除すべきだ。」と述べた。
児童福祉法と児童虐待防止法を改正し、体罰禁止を明記すべきだとも強調した。
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民法第822条には、「親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内で、其の子を懲戒する事が出来る。」と記されている。
自民党には嫌悪感を持っている自分だが、今回の「懲戒権を、民法から削除すべく検討する。」というのは賛成だ。
唯、気になる点が無い訳では無い。「こういう“家族の形”こそが、唯一無二的に正しいのだ!」という“押し付け”を矢鱈と主張している自民党なので、「『懲戒権を、民法から削除すべく検討する。』というのを足掛かりにして、“民法全体”を改悪し様とする目論見が背景にないか?」を注視しなければと思うのだ。こういう手法、安倍政権の十八番だから。
教育に関しては、保守的な儒教とか、勧善懲悪的な道徳よりも、リベラルの知恵を借りてはどうか、と思います。昔は良かった、とも言いますが、高度経済成長期、その全てが利益に呑まれたカオスの時代だとは言いませんが、自由と道徳との共存、これが、最も難しい事だと思います。
甘やかしも、躾けも、線引きが難しいですね。敢えて、子供の好きなようにさせる、そう見えても、それが、子供にとって、啓蒙と成っている事もあると思います。道徳教育にしても、表面的ないい子ちゃん、言葉だけから、人間関係を理解するのではなく、文脈を読む能力が必要でしょう。たいがいの突発的な犯罪や暴力も、文脈として、衝突があった、という真相がある事があると思います。忠臣蔵の浅野然り、周囲からすれば、一方的な暴力であっても、赤穂浪士の敵討ちのように、吉良の方が悪かった、と見なし、それまでの人間関係のもつれ、感情的な蓄積があったかも知れません。
忠臣蔵は、道徳でも良いテーマだと思います。
何事もそうでしょうが、常に“不変”という物は稀だと思うんです。“道徳”も同様で、何の時代でも「正しい。」という事柄も在れば、時代の移り変わりと共に「誤り。(乃至は不適切。)」という事柄も在るでしょう。
“体罰”というのが「100%悪い。」とは思わないけれど、色んな意味で“未熟な大人”が増えている今は、体罰の弊害が大きくなっている様に感じます。物を使って叩いたり、相手にトラウマを植え付けてしまう様な類いは、体罰なんていう物では無く、単なる“憂さ晴らしの暴力”だと思う。
「相手の立場になって考える。」というのは昨今、老若男女を問わず、出来ない人が増えている様に感じる。「こういう事を体罰と称して自分がされたら、どう感じるだろうか?」という事を、先ずはじっくり考える事が大事なのではないかと。