「公然猥褻罪で逮捕される者が出るのでは?」との話も在った「黒石寺蘇民祭」だが、全裸の世話人が登場する直前に境内の明かりが一斉に消されるという“奇手”によって、無事逮捕者も出ずに祭を終えた。「伝統文化に対して、余りにも野暮な規制は勘弁して欲しい。」いう思いが在ったので、警察が奇手を目溢しした事を評価したい。
元々は地元民が“内々でひっそり”と行っていたで在ろう祭が、観光客の誘致を進める余りに“大衆化”し、非日常世界(ハレ)が日常世界(ケ)に吸収されてしまった事で、今回の様なゴタゴタが発生してしまった様に思う。これは“静けさ&幽玄さ”を堪能する場で在った筈の「おわら風の盆」が、マスメディアで多く取り上げられる事によって総人口2万人程の町に数十万人もの観光客が押し寄せ、混雑と喧騒で台無しになってしまったのにも同じ事が言える。メジャーになるのも、良し悪し在りという事か。同じ問題が、クラシック・コンサートの会場でも持ち上がっている様だ。
昨日の東京新聞(朝刊)に、「クラシックコンサート当世事情 騒音注意に逆ギレ客」という記事が載っていた。クラシック界を題材にした漫画&ドラマ「のだめカンタービレ」のヒットにより、若者を中心にそれ迄クラシック・コンサートに関心の無かった人達が会場に多く足を運んでいるという。クラシック界にとっては嬉しい話だろうが、その一方で観客同士のトラブルも増加しているのだとか。
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・ 演奏中、ステージ前列の若い女性が煎餅を食べ始め、音と匂いが立ち込める。
・ 楽譜を手にし乍ら聴く人のページを捲る音が耳障りだとして、「楽譜を見乍ら聴くな!」と怒声を浴びせる。
・ 携帯電話に付いていた鈴の音に腹を立てた男性が、持ち主の女性をロビーに引き摺り出す。
・ 身体の大きい人が前の席に居た為、「ステージが見えないから席を変えろ!」と大声でアピールする。
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最後の例は怒鳴られた側に気の毒さを感じてしまうものの、その他に関してはそれ迄のコンサート会場での“常識”を初心者が破ったが故のトラブルと言えるだろう。早稲田大学の加藤諦三教授は「最近、その場に相応しい言動が判らない人が増え、コンサート会場に迄及んでいる。」とした指摘した上で、「人とのコミュニケーションを通じて、その場に相応しい言動は何かという共通の感覚が養われる。しかし、コミュニケーションが崩壊した結果、『こうあるべきだ。』と思うのと別の言動をされた場合、まともに他人を相手にしてしまう人が増えている。」と述べている。現代人のコミュニケーション不足に関しては当ブログでも何度か書いて来たが、その度合いは益々深刻化しているのか。
元記事は、日本オーケストラ連盟の出口修平事務局長の次の言葉で締められている。
「コンサートホールは癒しの空間。決して堅苦しく、怖い場所では無い。一寸した気配りで、大勢の観客と感動を共有出来るのです。」
元々は地元民が“内々でひっそり”と行っていたで在ろう祭が、観光客の誘致を進める余りに“大衆化”し、非日常世界(ハレ)が日常世界(ケ)に吸収されてしまった事で、今回の様なゴタゴタが発生してしまった様に思う。これは“静けさ&幽玄さ”を堪能する場で在った筈の「おわら風の盆」が、マスメディアで多く取り上げられる事によって総人口2万人程の町に数十万人もの観光客が押し寄せ、混雑と喧騒で台無しになってしまったのにも同じ事が言える。メジャーになるのも、良し悪し在りという事か。同じ問題が、クラシック・コンサートの会場でも持ち上がっている様だ。
昨日の東京新聞(朝刊)に、「クラシックコンサート当世事情 騒音注意に逆ギレ客」という記事が載っていた。クラシック界を題材にした漫画&ドラマ「のだめカンタービレ」のヒットにより、若者を中心にそれ迄クラシック・コンサートに関心の無かった人達が会場に多く足を運んでいるという。クラシック界にとっては嬉しい話だろうが、その一方で観客同士のトラブルも増加しているのだとか。
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・ 演奏中、ステージ前列の若い女性が煎餅を食べ始め、音と匂いが立ち込める。
・ 楽譜を手にし乍ら聴く人のページを捲る音が耳障りだとして、「楽譜を見乍ら聴くな!」と怒声を浴びせる。
・ 携帯電話に付いていた鈴の音に腹を立てた男性が、持ち主の女性をロビーに引き摺り出す。
・ 身体の大きい人が前の席に居た為、「ステージが見えないから席を変えろ!」と大声でアピールする。
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最後の例は怒鳴られた側に気の毒さを感じてしまうものの、その他に関してはそれ迄のコンサート会場での“常識”を初心者が破ったが故のトラブルと言えるだろう。早稲田大学の加藤諦三教授は「最近、その場に相応しい言動が判らない人が増え、コンサート会場に迄及んでいる。」とした指摘した上で、「人とのコミュニケーションを通じて、その場に相応しい言動は何かという共通の感覚が養われる。しかし、コミュニケーションが崩壊した結果、『こうあるべきだ。』と思うのと別の言動をされた場合、まともに他人を相手にしてしまう人が増えている。」と述べている。現代人のコミュニケーション不足に関しては当ブログでも何度か書いて来たが、その度合いは益々深刻化しているのか。
元記事は、日本オーケストラ連盟の出口修平事務局長の次の言葉で締められている。
「コンサートホールは癒しの空間。決して堅苦しく、怖い場所では無い。一寸した気配りで、大勢の観客と感動を共有出来るのです。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cocktail.gif)
「サッカーやラグビーも、中世ヨーロッパのこういったお祭りが原点ですよ。」
とコメントしていました。全国ネットで同様のコメントをした人は見当たりませんでしたね。
>破壊王子さんへ
テレホン人生相談、外回りの仕事をしていた頃ははまっていました。実は我が地元のラジオ局の聴衆率ナンバー1でして、この時間、セールスマンが車を停めて聞いていると言われています。去年の今頃でしたかね。加藤先生の言葉に逆ギレして、怒って途中で電話切ってしまうおばさん(加藤先生を、「報道ステーション」のレギュラーの人と混同してました。)がいましたね。その後の地元制作の生番組は、その話題で持ちきりでした。
なんのことやら分からん人は↓
http://www.geocities.jp/telsoudan/
「今時の若い子は・・・。」というのは太古の昔から大人が口にする言葉だった様ですが
「指示待ち族」と称される「言われないと動けない人々」も確かに少なくないのですが、「他者にぶつかった際に『ゴメンなさい。』が言えない人。」や「エレベーターに自分が乗り込む迄、他者が「開」のボタンを押して待っててくれたのに、『済みませんでした。』が言えない人。」等、一寸した言葉が吐けない人が増えている様にも感じます。「ほんの一言吐くだけで、人間関係がギスギスしないのに・・・。」と自分なぞは思ってしまう訳ですが、こういうコミュニケーション不足っていうのは寂しいですね。
「クラシック・マニアがクラシック・コンサートを堅苦しく、怖い場所にしているという感も在ります。」というのは判ります。自分がそういった場所に足を運ばないのも、クラシック・コンサートは“敷居”が高い場所というイメージが在るからですし。
逆になんでも言ってもらわないとわからない、と思う人が増えてギクシャクしているような。
と、いうのも最近車で「日本の家庭内の会話はむしろ昭和20年代に比べて増えている」という話を聞いたからです。昔は食事中はしゃべるなとか無駄な話はするなとか、発言権のある人が限られていたりと、基本的に家庭内で「いかに空気を読み、相手の思うようにふるまうか」は重要であったけれども今はそんなことはない、むしろなんかあった場合、例えば醤油をとって欲しいというような些細なことでも、昔ならばなんとなく察しが着いただろうが、今なら言わないと誰も醤油を取ってはくれない。
おそらく崩壊したとされるのは無言のコミュニケーションの類(目でモノを言う、肩でモノを言う的な)なのだろうと思うのですがどうでしょうか。
昔の日本人というのは世界でも稀な「食卓を無言で囲む」「家族だろうがなんだろうが、同じ食器を決して共有しようとしない、世界の中では異常なまでの潔癖意識」(その一方で一歩外へ出るとタバコ吸殻や缶、弁当のポイ捨てが平気だったという一面もあった)の人々だったとか。
確かに昔の年よりは食事中に話すと怒り出す人が多かったですね。
>クラシック
うーん、クラシックの「のだめ」以前の客はオタク・マニアの域のちょっと気難しい&選民意識の激しい、なんていうか頭でっかちにクラシックを聞く人、だいたい中年の高学歴の男性(一部女性も)かgiantsさんが映画館で遭遇したような人々(オバチャン軍団&その連れ合いの方々)という感じで「のだめ客層』以前はそういった年配者バッシングがよくあるクラシックマニアのパターンでした。まあ実際の客層はどう考えても後者のほうが多いわけですが。
N響のコンサートやローカルなフィルハーモニーのコンサートの感想にはかならず「休憩時間にうどんをすするジイサンがうるさい」とか「演奏前、休憩時間のオバサンの話し声がうるさい」とかそういう苦情がつき物でした。どうやら休憩時間にも眉をひそめながら演奏について回想せにゃあならんということなのでしょう。
正直クラシックマニアがクラシックコンサートを堅苦しく、怖い場所にしているという感もあります。
しかも運営者やクラシック雑誌等の購読者はマニアですから、どうしてもエリート趣味的な頭でっかちの意見が通りやすく、素朴に知識欲からコンサートに来ているサイレントマジョリティーの意見は封殺されやすいという感もあります。
「携帯電話PHSの電源は、
お切りください。
それでも心配という人は、
床に叩きつけてください。
ポケットベルの方は・・
もういないでしょうね」
と笑いを取りながら注意していました。
>蘇民祭
観光にしたいという心と
伝統を守りたい心とのせめぎあいですね。
たとえば、例の部分だけ「秘祭」、
すなわち非公開にするなどしても
その前の段階をみるだけでも
充分に迫力ある祭りでした。
「カッとなってやっちゃった」ですむ話に、時代とかくっつけないともっともらしいコメントになりませんからしょうがないのかな(ニヤニヤ)。
>一寸した気配り
映画館では上映前に、マナーなどを注意するショートフィルムが流されるところもあります。ホール側も、新しい客が欲しいだろうから、旧い客とモメル前に教えてやりゃあいいんです。それこそ気配りというもんじゃあないですかねえ。それでもわからない馬鹿は、木戸銭返して追い出せばいいんです。長野県では談志の落語会で裁判にまでなりましたが(笑)
蘇民祭については「千年以上続いた行事に何がわいせつ?」といいたいです。
日本は明治以前はフリーダムの国です。
フランシスコザビエルが日本に来たとき「なんて乱れた国だ。いや、それでこそキリスト教を布教せねば」として布教した国です。
あとはなにもいいますまい。
あ、モルツ球団のチケットの取り方教えてください。
是非とも今年行きたい。
もし余ればおゆずりしてくださいm(_)m
クラシック音楽を聞くのは嫌いではないのですが、コンサート会場に行って聞こうとは思わないんです。無粋な自分には、どうも格式ばった場所が息苦しく感じてしまうので。
Spa supernova様宛のレスで書かせて貰ったのですが、映画館でのマナーっていうのも大事ですよね。皆が気持ち良く楽しむ為には、最低限の常識&マナーは持っていて欲しいものです。
公演中に欠伸といえば昔、校外学習で連れて行かれた狂言が余りにも退屈だったので、大欠伸をして引率の先生に思いっきり睨まれた事が在ります。あの当時はつまらなく感じたのですが、年を経た今では又違った見方が出来るのかなあと思ったりも。
多くの観客が映画館に足を運んでくれるのは映画界の活性化には喜ばしい事なれど、2ヶ月前に観た「マリと子犬の物語」ではウンザリさせられる出来事が。直ぐ後ろのシートに“おばちゃん軍団”が座っていたのですが、明かりが落ちる前からペチャクチャ騒がしい事。予告が始まっても御喋りは続いていて、「まあ本編が始まったら静かになるだろう。」と我慢していたのですが、本編が始まると持参した菓子袋をガサガサさせるわ、声のボリュームは流石に落としたものの「可愛いワンちゃん。そうそう、近所のワンちゃんがこの前ねえ・・・。」等、世間話を始め出す始末。余りにも気が削がれるので、あからさまに後ろを振り向いて“威嚇”した所、やっと大人しくなりました(苦笑)。娯楽の場ですから五月蝿い事は言いたくないのですが、最低限の常識は弁えて欲しいものです。
落語の世界でも「古典落語こそが本筋で、新作落語は邪道。」とする客も居ますよね。個人的には楽しめるので在ればどっちでもウエルカムと思うし、落語の世界も旧態依然のままでは時代に取り残されて行ってしまうと思うんですけどね。
古いモノをよく知らないから、表面的に「お、おもしろそう」と新鮮さを感じてるんじゃないかなぁ?と。
学校できりきりと歴史や伝統を教え出すと
「あーあー解った解ったうるさいなぁ、もう」とまた古いものを毛嫌いするようになるかもしれません。
どっちがいいのだろう。
そうそう、「蘇民祭」って一発変換出来ちゃうんですよね。これって「きむいるそん→金日成」、「きむじょんいる→金正日」の一発変換と同様に驚きです(笑)。
例のポスター騒動から始まった黒石寺蘇民祭。モデルとなったあの男性は「汚い。」、「卑猥。」等を非難されさぞかし不快な思いをした事と思うのですが、マスメディアに対して終始丁寧な対応を続け、祭の後には「色々在ったけれども、神聖な祭に多くの人が注目してくれたし、(ポスター掲示を拒否したJRも)観光での利用客が増えたと思うので、結果的には良かったと思っています。」と実に大人の対応を見せていたのが印象的でした。
tak様は「のだめカンタービレ」を見ておられたのですね。自分は漫画もドラマも見ていないのですが、かなり人気を集めた様ですね。一時は「このまま衰退して行くだけ。」と迄言われた落語も、ドラマ等の影響で若い人を中心に客足が伸びていると聞きます。今回の記事の様に“古くからのファン”にとっては不快に思う様な“新参者”も少なからず居るかもしれませんが、文化の間口を広げるという意味では良い事なのかもしれません。余りにも“無法者”あ増えてしまうのは困り物ですが(笑)。
たしかに蘇民(←これが変換で一発ででるとは。。!)祭が大衆化というか、変に宣伝してしまったがために一連の騒動が惹起されちゃいましたね。まあアタシもこの騒動が無い限りこのお祭りの存在すらしらず、そういった意味では仕掛けた?方の術中にはまってしまいました^^;
格言うアタシも「のだめカンタービレ」のファンでありまして、アレを観るとやっぱりライブでオーケストラの演奏を見たいなぁと思いますね。ナンにせよファンを増やしたという意味では大きな功績があるかなと。オーケストラ側もいわゆる昔からのガチガチのファンが少人数いるよりも緩い目のオーディエンスが一杯いるほうがうれしいでしょうし。