「フィクサー」なる言葉が在る。強大な力を行使し、自身は表に出ずして影で人を操る人物の事を指すのだが、政治の世界にはこれ迄多くのフィクサーが存在して来たとされている。近衛文麿氏、鈴木貫太郎氏、東久邇宮稔彦氏、吉田茂氏、池田勇人氏、佐藤栄作氏、中曽根康弘氏、竹下登氏、細川護熙氏といった歴代首相の指南役と称された四元義隆氏(故人)もそんな一人と言って良いだろう。そして四元氏の懐刀として共に「村山富市政権樹立」を手掛けたとされるのが、“右翼史最後の生き証人”とも言われる古賀夏雄氏。これ迄一度も表舞台に登場した事が無いとされる彼が、AERA(2月4日号)の連載記事「現代の肖像」に登場。「右翼と称される彼が、不倶戴天の敵と思われる社会党の委員長・村山氏を担いだの!?」と非常に不思議な思いで記事を読み進めた。
1919年、東京帝大農学部教授の父と久留米藩藩医の娘だった母との間に、古賀氏は男2人兄弟の次男として東京で生を受ける。彼が5歳の時に父は結核で亡くなり、福岡県小郡市の母方の邸宅へと引っ越す。その敷地は3千坪程在り、母の実家と交流の在った真崎甚三郎陸軍大将がその中に古賀の母名義の石膏製造の軍需工場を建設してくれたばかりか、経理担当の退役海軍中尉迄も派遣してくれたとか。石膏工場は莫大な利益を生み出したというから、古賀家の暮らし向きは結構良かったと思われるが、古賀自身は地元の子供から棍棒で殴り付けられる等虐められっ子だった様だ。
中学3年生の時に小児結核の手術を受けた彼は、医者から「20歳迄しか生きられない。」と宣告された。そして4年生の時に修学旅行で訪れた満州国で、彼は日本人居留民による中国人差別の酷さや軍人の横暴さを目の当たりにする。「時代は戦争一色でした。結核で長生き出来ない自分と戦死を運命付けられている同世代の人々の運命。日本人の理不尽な差別や暴力に苦しめられている中国人や朝鮮人の運命。虐めに苦しんだ私にとって、虐めっ子が日本人だとすれば、私は中国人、朝鮮人と同じ立場だったのです。」それ以降、彼は反侵略&反軍国主義を肝に銘じる様になったという。「日本人だけが素晴らしい人種。」といった不遜な考えの者が右翼の中にはチラホラ見受けられるが、古賀氏の場合は“立ち位置”がそういった者達とは明らかに違う訳だ。
彼がこれ迄に関係して来た事柄が幾つか記されている。「東條英機暗殺計画」、「鈴木貫太郎首相私設警護隊編成」、「極東軍事裁判」、「創価学会と自民党池田&佐藤両派の密約」等々。特に印象深かったのは海軍の厚木航空隊基地所属の青年将校約20名と共に、東條英機元首相の暗殺を計画していたという話。暗殺という手段の是非は別にして、その理由が「敗戦後、東條は必ずや連合国の軍事裁判で処刑される。これでは日本の恥だ。東條を日本人自らの手で殺す事で『反戦を貫いた日本人も居た。』事を世界に証明したかった。」というのは古賀氏らしいなと感じた。
又、村山氏を担いだ理由は、細川政権の裏の実力者だった小沢一郎氏から権力を奪う為だったとか。四元氏が大の小沢嫌いだったからだそうだが、細川氏に佐川急便資金提供スキャンダルを口実に辞任する様に指示し、その後に竹下元首相を通じて村山政権を樹立させたと。これも又、興味深い話だ。
「最高権力者を育てるという志を貫いた晩年の四元さんが、最後迄心を掴めなかった首相が居た。」と古賀氏。幾度となくその人物を官邸に訪ねた四元氏が、「あいつの言う事は、さっぱり判らん。」と言い続けていたという。その人物は小泉純一郎元首相。敗戦による国難を知る四元氏と古賀氏には「資源の無い日本は全面戦争の出来ない国で在る。」という信念が在り、自衛隊のイラク派遣問題が佳境を迎えていた頃に官邸を訪問し、「イラクへ兵を出してはならぬ。」と約3時間に渡って小泉氏に訴えたそうだ。小泉氏が首を縦に振る事は無かったが。
「僕は右翼じゃない。敢えて言えば右の右、左の更に左の現実主義者。」と自らの政治的立場を述べる古賀氏。「日本を破滅させるのは、昔は陸軍、今は肥大化した官僚制度です。権力を弄ぶ官僚制度と、政治を家業化した世襲政治家達の結託が日本を滅亡に導く元凶。」と迄彼は言い切っている。これは全くその通りだろう。そして次の言葉で記事を締め括っている。
「官僚追随の自民党中心の政権から、二大政党による政権交代可能な成熟した議会制民主主義の実現無しに、日本の未来は在りません。」
嘗て権力を奪おうとした相手の小沢一郎氏。その彼が唱える「二大政党制」を、今古賀氏が唱えているというのは、皮肉と言えば皮肉と言えるのかもしれない。大事なのは「政権交代可能な」という点だろう。自民党、又は民主党のどちらがベストという訳では無く、「国民を無視した好い加減な政をしていたら、何時でも他の党に政権を奪われる。」という緊張感が必要かと。
元記事は、本文が僅か4頁というのが実に勿体無い。昭和から平成の世の政治史、その裏面を知る古賀氏の話をもっと読んでみたいもの。
1919年、東京帝大農学部教授の父と久留米藩藩医の娘だった母との間に、古賀氏は男2人兄弟の次男として東京で生を受ける。彼が5歳の時に父は結核で亡くなり、福岡県小郡市の母方の邸宅へと引っ越す。その敷地は3千坪程在り、母の実家と交流の在った真崎甚三郎陸軍大将がその中に古賀の母名義の石膏製造の軍需工場を建設してくれたばかりか、経理担当の退役海軍中尉迄も派遣してくれたとか。石膏工場は莫大な利益を生み出したというから、古賀家の暮らし向きは結構良かったと思われるが、古賀自身は地元の子供から棍棒で殴り付けられる等虐められっ子だった様だ。
中学3年生の時に小児結核の手術を受けた彼は、医者から「20歳迄しか生きられない。」と宣告された。そして4年生の時に修学旅行で訪れた満州国で、彼は日本人居留民による中国人差別の酷さや軍人の横暴さを目の当たりにする。「時代は戦争一色でした。結核で長生き出来ない自分と戦死を運命付けられている同世代の人々の運命。日本人の理不尽な差別や暴力に苦しめられている中国人や朝鮮人の運命。虐めに苦しんだ私にとって、虐めっ子が日本人だとすれば、私は中国人、朝鮮人と同じ立場だったのです。」それ以降、彼は反侵略&反軍国主義を肝に銘じる様になったという。「日本人だけが素晴らしい人種。」といった不遜な考えの者が右翼の中にはチラホラ見受けられるが、古賀氏の場合は“立ち位置”がそういった者達とは明らかに違う訳だ。
彼がこれ迄に関係して来た事柄が幾つか記されている。「東條英機暗殺計画」、「鈴木貫太郎首相私設警護隊編成」、「極東軍事裁判」、「創価学会と自民党池田&佐藤両派の密約」等々。特に印象深かったのは海軍の厚木航空隊基地所属の青年将校約20名と共に、東條英機元首相の暗殺を計画していたという話。暗殺という手段の是非は別にして、その理由が「敗戦後、東條は必ずや連合国の軍事裁判で処刑される。これでは日本の恥だ。東條を日本人自らの手で殺す事で『反戦を貫いた日本人も居た。』事を世界に証明したかった。」というのは古賀氏らしいなと感じた。
又、村山氏を担いだ理由は、細川政権の裏の実力者だった小沢一郎氏から権力を奪う為だったとか。四元氏が大の小沢嫌いだったからだそうだが、細川氏に佐川急便資金提供スキャンダルを口実に辞任する様に指示し、その後に竹下元首相を通じて村山政権を樹立させたと。これも又、興味深い話だ。
「最高権力者を育てるという志を貫いた晩年の四元さんが、最後迄心を掴めなかった首相が居た。」と古賀氏。幾度となくその人物を官邸に訪ねた四元氏が、「あいつの言う事は、さっぱり判らん。」と言い続けていたという。その人物は小泉純一郎元首相。敗戦による国難を知る四元氏と古賀氏には「資源の無い日本は全面戦争の出来ない国で在る。」という信念が在り、自衛隊のイラク派遣問題が佳境を迎えていた頃に官邸を訪問し、「イラクへ兵を出してはならぬ。」と約3時間に渡って小泉氏に訴えたそうだ。小泉氏が首を縦に振る事は無かったが。
「僕は右翼じゃない。敢えて言えば右の右、左の更に左の現実主義者。」と自らの政治的立場を述べる古賀氏。「日本を破滅させるのは、昔は陸軍、今は肥大化した官僚制度です。権力を弄ぶ官僚制度と、政治を家業化した世襲政治家達の結託が日本を滅亡に導く元凶。」と迄彼は言い切っている。これは全くその通りだろう。そして次の言葉で記事を締め括っている。
「官僚追随の自民党中心の政権から、二大政党による政権交代可能な成熟した議会制民主主義の実現無しに、日本の未来は在りません。」
嘗て権力を奪おうとした相手の小沢一郎氏。その彼が唱える「二大政党制」を、今古賀氏が唱えているというのは、皮肉と言えば皮肉と言えるのかもしれない。大事なのは「政権交代可能な」という点だろう。自民党、又は民主党のどちらがベストという訳では無く、「国民を無視した好い加減な政をしていたら、何時でも他の党に政権を奪われる。」という緊張感が必要かと。
元記事は、本文が僅か4頁というのが実に勿体無い。昭和から平成の世の政治史、その裏面を知る古賀氏の話をもっと読んでみたいもの。
現在の官僚機構も同じです。国家国民のためでなく省や局のための組織です。
英米の軍組織は大戦中は国防省なんかに民間のビジネスマンを大佐や中佐クラスで起用し肥大化した装備の発注業務や民間のアイディアによる作戦立案にあたらせました。日本の場合は同じような立場の人は二等兵で徴兵しました。
今、厚生労働省をはじめ我が国の官僚機構の権威と信用は地に落ちてます。この危機的状況にもかかわらず従来の人事体系で仕事している様子は旧軍とよく似てます。
無関係な記事にレスを付けてばかりというのもどうかと思いましたので、今回はこちらにレスを付けさせて貰いますね。
イギリスやアメリカでは、有能な民間人を結構な地位で起用していた歴史が在るんですね。軍だけでは無く、一般企業と公務員の世界でも理に適った“血の入れ替え”を図るべきと考えていますので、英米の方針は進んでいたと感じます。
官僚組織の中でも「このままじゃあ駄目だ。」と憂いている人は決して少なくない筈。唯、哀しいかな長年に渡って構築された“内向きな組織”は、そういったまともな者達の思いをいとも容易く跳ね返してしまうのでしょうね。「千里の堤も蟻の穴から」という慣用句は悪い意味で本来使われるものですが、まともな者達が少しずつ旧態依然とした組織に“穴”を開けて行き、何とか組織を解体させて欲しいものです。
その根底に流れているのは「官尊民卑」という考え方で、その結果官における民間登用というものが、お飾り程度にしか行われず、民間のノウハウが行政側に生かされない原因の一つになっていると思います。
象徴的なのは高級官僚の民間への転進を「天下り」と称することで、しかもこの天下りには権益がついて回ります。コメントでご指摘の通りアメリカであれば、政権交代と同時に政府高官も入れ替わり、官民の交流がダイナミックに行われますが、日本の場合は官民の交流というものが中々行われません。こういった硬直した人事体制がますます高級官僚を「天の人」であると増長させているように思えます。
日本の場合、国民の直接選挙で選ばれた国会議員が官僚をコントロールする機能があると思われますが、実際のところ上手く機能していないばかりか国会議員の世襲化は、機能不全を促進し、国会議員も官僚の言いなりになっているように思われます。
古賀さんは「成熟した議会制民主主義の実現」を訴えていらしゃいますが、政治の力を民衆側に取り戻し、国民のための政策が行われるための手段としてまさにその通りだと思います。
「官尊民卑」という考え方、昔に比べると大分変わって来た様に感じます。バブル期の頃は税務署や役所に相談に行くと、ふんぞり返った担当者があからさまに小馬鹿にした態度で対応していたものですが、近年では流石にそういった人間を見掛ける事は稀有になりました。唯、これは末端の話で在って、官僚組織の上層部では相変わらず「俺達は選び抜かれた特別な存在なのだ。」という勘違い、公僕意識の欠片も無い様な人間が少なくないのでしょうね。
「党人政治」及び「官僚政治」という捉え方が在りますが、現代の日本は明らかに官僚政治。申し訳無いけれども、どれだけアホな政治家でも官僚の手掛けた“作文”を読んでいるだけで充分務まるシステム。「私は現職の政治家として、日夜頑張っている!」と声高に叫び乍ら、どうも「選挙演説こそが、政治家の仕事の全て。」と捉えている様な御仁も居り、そんな不勉強な政治家が目立ちますね。与野党問わずしっかり勉強している議員もチラホラ居ますので、勉強している者とそうで無い者の差が非常に激しいという事なのかもしれません。国益よりも私利私欲を満たそうとする官僚達にとって、こういう甘っちょろい政治家が多いのはウエルカムという事なのでしょう。