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「『70歳以上、通院無ければ年10万円。』 麻生副総理」(4月24日、朝日新聞)
麻生太郎副総理兼財務相は24日、東京都内での参院議員のパーティーで挨拶し、政府支出が膨らむ医療費に関して「(健康維持に)努力している人にインセンティヴ(動機付け)を与えて貰いたい。」と指摘し、医療費削減策として「70歳以上で、年に1度も病院に通わなかった人には、10万円上げる。」とのアイデアを披露した。
麻生氏は「『10万円上げます。』となったら、『一寸病院行こうかな。』という人が行かない。70歳以上の医療費は百数十万円掛かっている。最も金の掛からない方法で、政府支出も抑えられる。」と語った。
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先日放送された池上彰氏の番組に、森喜朗元首相が出演していた。話は面白く、憎めない人間性の森元首相だが、「政治家としては、矢張り駄目だったな。」と再認識させられたのは、「昨年の自民党総裁選で石原伸晃氏を応援したのは、2年前の東京都知事選に(父親の)石原慎太郎氏を担ぎ出す際、そう約束したから。」という趣旨の発言を筆頭に、「“仲間”との義理&人情が大事。」と再三繰り返していたから。
自分も「義理&人情」は大事だと思うけれど、森元首相の場合は非常に“内向き”なのが問題。政治家ならば“国民”を最優先させるべきで在り、“仲間”たる国会議員を最優先していては駄目。「総裁選に立候補する位なのだから、皆さん優秀。そんな優秀な人達の中から応援する人を決めたのだから、問題は全く無い。」といった“言い訳”をしていたけれど、日本の政治が概して“内向き”なのは、森元首相の様な“村社会的な政治家”が幅を利かせているからではないだろうか?
憎めない人間性の政治家と言えば、麻生副総理もそんな1人かもしれない。一国の長としての能力は扨措き、陽性な気質は好ましい。自身への批判等、不都合な事柄に対してネチネチと嫌味を言い続けたり、“信者”を使って力尽くで抑え込んだりする様な、陰に籠もった言動を得意とする某首相よりは遥かに良い。
「言わんとしている事には共感出来なくも無いのだけれど、言い方が良く無いよなあ。」と思う事が、麻生発言には結構在る。今回の「(健康維持に)努力している人にインセンティヴ(動機付け)を与えて貰いたい。」という発言も、言わんとしている事には共感出来るが、「もっと上手い言い方をすれば良いのに。」と思わなくも無い。
「病院の待合室で、高齢者が数人集まって話をしていた。1人が『今日はXXさん(病院に)来てないけど、病気かねえ。』と口にしたのを聞いて、『普段は、病気じゃ無いのに病院に来てるんかい!』と突っ込みを入れたくなった。」といった笑い話が在るけれど、そういった面は在る様に感じる。「病気にならない様に、日々鍛えている人。」を思うと、「明らかに自堕落な生活を送り、其の結果として頻繁に病院通いをしている人。」に対しては「しゃきっとせーよ!」と感じるし、「そんな人達の医療費迄を、病気にならない様に頑張っている人達が高額な税金負担という形で支えなければいけないというのは、何か変だよなあ。」と考える人が居るのも判らないでは無い。
だから「(健康維持に)努力している人にインセンティヴ(動機付け)を与える。」というシステムは在りだとは思う。唯、「生来、病弱な人も居る。」という現実を忘れてはいけないし、又、「“一部の”不正受給者の存在を取り上げて、“生活保護を受けている人全て”が『悪』の様に主張して、“集団リンチ”をする風潮が強まっている昨今。」を考えると、麻生氏の間挙げるシステムが導入されれば、「病院に行く高齢者は全て『悪』。」という新たな“集団リンチ”が起こるのではないかと懸念する。
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「『グローバリゼーション放置すれば、格差拡大。』麻生副総理」(5月3日、朝日新聞)
麻生太郎副総理は3日、訪問先のインドで開かれたセミナーで講演し、「グローバリゼーションは進めば進む程、放っておけば格差は広がって行く。」と語った。グローバル化を進めた小泉改革の反省を踏まえ、経済発展が著しいアジア諸国に警鐘を鳴らした物だ。
セミナーはアジア開発銀行(ADB)総会の関連イヴェントで、アジア各国の政府やメディア関係者が出席した。麻生氏は人・物・資金の自由化や中小企業の技術革新等の重要性を訴える一方で、「格差が広がる事を知った上で、政治をしなければならない。社会資本の充実、教育の機会均等、弱者の生活保障で格差を補わないと、反民主主義的な事になる。」と強調した。
麻生氏は小泉内閣で総務相等重要閣僚を務めたが、小泉純一郎首相(当時)の意を受けて構造改革を進めた竹中平蔵元経済財政相には、批判的な立場だ。
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此の件に関しては、“麻生発言”に全く同感。グローバリゼーションや構造改革という考え方自体は間違っていないけれど、「行って良い部分と、行っては絶対にいけない部分が何事にも在るし、如何せん日本に関してはグローバリゼーションも構造改革も“度”が過ぎてしまった。」と思っているので。
でも、自民党のスタンスは政権交代前も後も、「大企業と金持ち最優先」という点では全く変わっていないのだから、“麻生発言”も疑わしく感じてしまう面も・・・。
10万円の為に我慢する人が続出しそうですね
もしくは今でも問題になってますが他人が病気を偽って薬を貰ってきて転売する犯罪者の新たな顧客として老人達が発生しそうな気がします(薬を貰った老人が10万円の内の何割かを転売者に払う)
はっきり言って私は無知な人間です間違いが有ったらごめんなさい
防衛大学に医学科て有るんですかね
もし有るなら彼等もしくは彼女等は卒業したらどんな場所及び誰を相手に働くのでしょう
もし自衛隊基地内で存在して診療するのは自衛隊関係者のみなら一般市民にも開放して欲しいですね
只でさえ医者不足だし平日休めない人も居るから年中無休でお願いしたいです(一応防衛大学は学費は免除ですよね)
それぐらい自分で努力して調べろと言われそうですが努力も我慢も嫌いなもので・・・
生活保護を打ち切られてしまうからとクーラーを取り付けずに、猛暑の中熱中症で亡くなった人の話が、以前ニュースで報じられていましたよね。病院に行かなければいけないレヴェルの症状でも、「インセンティヴが得られるから、又は病院に行くと非難されるから。」という理由で無理して受診せず、結局大事になってしまうなんて事も在り得るでしょうね。又、透明人間様が懸念されている様に、不正を働く輩も間違い無く現れる事でしょう。其の辺を上手くクリア出来る方策が在れば、麻生副総理の言わんとしている事は、「一考に値するかなあ。」と感じています。
防衛大学校に関しては詳細を知りませんでしたので調べた所、次のサイトを見付けました。
http://passnavi.evidus.com/search_univ/5340/department.html
此方の情報によると、医学科は無い様ですね。
因みに、「自衛隊病院」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E7%97%85%E9%99%A2)というのが在るそうです。以前は「防衛省職員(自衛官及び、事務官・技官)と其の家族」しか受診出来なかった様ですが、2008年4月から一般の外来受診も開始されたとか。
でも、心臓に先天的持病を抱えているので、月に1回は病院で検査を受け、発作を予防する薬をもらっています。70歳になっても麻生さんから10万円のボーナスはもらえませんね(苦笑)。
ま、一病息災といったところです。
ちなみに私の先天性心臓疾患は、19歳で発症しましたが、それまで自覚症状は一切無く、発症後も20年近くそれが先天性であることが病院でも分かりませんでした。
本人も気がつかないまま、単に健康管理が悪いから病気になりがちだ、と思われている人たちが現在も相当数いるかも知れませんね。
政治家の発想というのはどうしてこうも画一的で貧困なのでしょうか。
一口に病院通いといっても、いろんなケースがあるし、好き好んで病院通いしているわけでない場合もあるでしょうに。
昔は普通にコーヒーを飲んでいたのに、或る時期から「コーヒーを飲むどころか、其の匂いを嗅いだだけで吐き気を催したり、アレルギー症状が出る。」と言い出した知人が居ます。自分も含め、周りの人間は「神経過敏なんじゃないの?」と笑っていたのですが、涙を浮かべて「本当なのに・・・。」と其の人物が言い、ネットで検索した所、他にも同様の症状を持つ人が少なからず居る事を知って、「当事者では無いと、判らない事って在るんだ。笑ったりして、悪い事をしたなあ。」と反省しました。
「身体が異常に疲弊し、何をする気も起らなくなってしまう。」という、世間では余り知られていない病気に罹患した人が以前、「死ぬ程辛いのに、周りはサボっているとしか思ってくれない。其れが、本当に哀しい。」とTV番組で告白していました。何れだけ留意していても、病気になる時にはなってしまう。況してや、持病を抱えている人は、其の事を他者が責める様な事が在ってはならない。
十把一絡げにして「生活保護受給者」を「悪」としてバッシングする風潮が強い昨今では、麻生氏の案も「悪い方向」に用いられる可能性は、決して小さく無いでしょうね。
「自分とは少しでも異なる部分を持つ人を、力尽くで排除しようとする。」というのは、真面な社会の在り様では無い。「自分は健康だから、病気を抱えている人は『悪』。」という事にだけは、絶対にならないで欲しい。
その意味で言えば先天的に障害を持つ者は社会のお荷物でしかないし、遺伝的にも排除されるべき対象かもしれないし。
しかし、それなら人間だけが何故、正義感といった抽象的な感情を持つに到ったのか、倫理観や道徳観といった、自然淘汰には邪魔な概念を発明するに到ったのか、理解できませんね。
人間って、厄介なものを抱え込んだ生き物ですねえ。
古今東西の歴史を顧みると、「排他的思考の強まり」というのは、定期的に表出している感じが在りますね。「社会に対する不満や閉塞感の高まり」が原因の事も在りますし、又、「効率性を余りにも求めすぎた結果」というのも在りましょう。「『弱者』は、『効率性』の面からも不要。」として、弱者の切り捨てに走る。その結果として、金太郎飴の如く、何処を切っても同じ様な者達で構成された社会になったとしたら、其れが本当に幸福なのだろうか?色んな意見や人が居るからこそ煩わしくも在るけれど、其れ以上に潤いを感じたり、楽しかったりするのではないかと。
「健康維持」に限らず、何事にも努力をするという姿勢は大事。必死で頑張っている人達には敬意を表するし、逆に明らかに怠惰さを前面に押し出している人達には敬意を持てない。
けれども、努力をしているのに報われない人達や、努力をしたくても出来ない人達が居る事も、同時に理解しないといけないでしょうね。そういった人達をも十把一絡げにして、批判する様な風潮はどうかと思う。
少子高齢化が進んで行くのは明々白々な事実なのに、小手先だけで全てを収めようというのは無理な話。真に“福祉だけ”に費やされるので在れば、消費税の増税も仕方無いとは思うけれど、其の前に抜本的な見直しをしなければいけない点が在る様にも思う。「今後も此れ迄と同レヴェル、又は其れ以上のレヴェルの医療をキープすべきなのか?」というのも、其の1つ。平均寿命はどんどん延びているものの、実態としては“生き長らえさせられている部分”も小さくは無いと聞きます。其れを差っ引いた「純粋に生きてた年齢」は、平均寿命よりも10歳近くも低くなるとも(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/59d0afd6e817f2546cd1dc6d13020149)。そういう“生かされ方”が、果たして幸せなのかも考えないといけないのではないかと。
又、無駄に費やされている部分も、未だ未だ一杯在りそうで、そういった物も削減しないと駄目でしょうね。(削減した所で、大勢に影響は無いかもしれませんが。)
7日の参院予算委員会で安倍首相が、ニートや引き籠もりの若者に対し 「『頑張って、自分の足で立って行こう。』と思って欲しい。若い皆さんは、思っている以上の可能性が満ち溢れている。どうか自分の力で、其の可能性を掴み取って欲しい。」と言ったとか。言ってる事は正論だけれど、言っている人物が幼少期から今に到る迄、其の殆どを「他者が用意してくれた神輿に乗っかって来ただけ。(入試から入社も、実質的には全てコネと言われていますよね。)」というのが、「偉そうな事を、良く言えるよな。」と感じてしまう次第。