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日本政府に突き付けられた驚愕の要求。「元副総理の孫・篠田雄真(しのだ ゆうま)を誘拐した。財政赤字と同額の1,085兆円を支払うか、然もなくば、巨額財政赤字を招いた責任を公式に謝罪し、速やかに具体的再建案を示せ。」。
前代未聞の要求に、マスコミは騒然。警視庁は捜査一課特殊犯係を直ちに 派遣し、国家の威信を掛けた大捜査網を展開する。軈て捜査陣は、或るブログの存在に行き着くが・・・。
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第12回(2013年)「『このミステリーがすごい!』大賞」を受賞した小説「一千兆円の身代金」(著者:八木圭一氏)は、「無責任且つ私欲に溢れた政策により、膨大な財政赤字を生み出した政治家や官僚達に強い憤りを感じた犯人が、利益誘導型政治家の典型だった国武義和(くにたけ よしかず)の孫を誘拐し、日本の財政赤字と同額の1,085兆円を身代金として要求する。」という、荒唐無稽な内容。
巻末に載っている選評で或る選考委員が「第一級の“憂国”誘拐ミステリー」と記しているが、「身代金は世代間格差の不公平是正を鑑み、膨大な財政赤字を将来背負わされる未成人の日本国民に分配する様に。」と指示する等、確かに憂国的な色合いは強い。犯人の憤りに関しても、「其の通り!」と頷ける部分も在る。
でも同時に、居心地の悪さと言うか、嫌な感じもしてしまうのだ。犯人は誘拐した子供に危害を与える気は全く無く、寧ろ大事に扱うのだが、「正義を貫く為ならば、何をしても許されるのだ。」というテロリストに似た、思い込みの激しさや自己陶酔の念を感じてしまうからかもしれない。
又、「裕福な高齢者や生活保護受給者(不正受給者だけでは無く。)を、一律に仮想敵と見做している“かの様な”記述。」も気になる。「『正義』やら『愛国心』やらを掲げて、遣っている事は単なる“弱者虐め”なだけ。」という風潮が在るけれど、1979年生まれの著者にも、そういった部分が在るのだとしたら残念。
ストーリー自体は面白いけれど、犯人の協力者を見付け出す過程が安直だったりと、引っ掛かる部分も少なからず在る。総合評価は、星3つとさせて貰う。
彼我に圧倒的な力(組織力、資金力など)の差があるから、警察は犯罪に対抗しうるけれど、差があまり無いなら「ルールを守る」事はそれこそ圧倒的に不利なわけで。
犯罪にルール無視で立ち向かう事は、毒をもって毒を制することだから許されない、なんて綺麗事では何も解決できない・・・というのが「必殺シリーズ」のコンセプトでしたっけ。
結局単純明快に「力は正義なり」となるのでしょうかね。漠然とした空しさを感じることですが。
アガサ・クリスティーやらコナン・ドイルやら、海外の古典ミステリーは読むけれど、現代の物は読まないので良く判らないのですが、「捜査に協力した場合、引き換えに当人の罪は問わない。」といったシステムが在る海外では、「飽く迄もルールに則って捜査し、事件を解決する。」という日本のミステリー・スタイルとは異なる面が在るんでしょうね。
此の小説の犯人に共感を覚える読者は、恐らく結構居ると思うんです。斯く言う自分も、部分的は共感出来るけれど、総合的には「何か違うよなあ。」と感じてしまう。尤もらしい事を言っている様で、根底には排他的な意識や極度の決め付けが在る様に感じられるからなのですが、「表層的な部分」だけに反応し、どっと右に左にと流れてしまう昨今の人々の多さ(日本に限った事では無く)を思うと、一般的にはこういう小説から何を感じ取るのかが気になります。
マヌケ様が仰っている様に、そういった傾向は昔から在るのでしょうね。其れがインターネットの普及によって、より多くの人達が安直に触れられる様になり、昔よりも“大きなムーヴメント”を生み出し易くなってしまったという所なのかもしれません。
最近気になるのは、視聴者のツイート(http://twinavi.jp/guide/section/twitter/glossary/%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%88(%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%82%84%E3%81%8D%E3%83%BBTweet)%E3%81%A8%E3%81%AF)を無闇矢鱈と画面に表示させるTV番組が増えている事。多くの声を紹介するという事自体は決して悪くないのですが、明らかに問題在りと思われるツイートをも垂れ流しているケースが在る。NHKも例外では無く、時事問題を論じる番組で、特定政党や特定人物をあからさまに、其れも無根拠に批判(論も糞も無い内容)するツイートが表示され、吃驚しました。表示する前にスタッフがチェックしていると信じたいのですが、ああいうツイートが然も真実の如く撒き散らされると、検証もせずに「真実」と思い込んでしまう人も多いだろうし、こういうのは良い事では無いですね。
此の小説に関するネット上のレヴューの中に、「オリンピックの身代金」を挙げて、「作品の深みが全く違う。『オリンピックの身代金』の方が、格段と読み応えが在った。」とする物が在りましたけれど、自分も全く同感。
「政界で、又は官界で伸し上がり、私腹を肥やす為。」という余りに公私混同した思いから、血税をどぶに捨てるが如く、無駄な箱物作りに汲々としていた時代。一時は収まりかけたと思われるも、又してもゾンビの様に蘇っている。本当に腹立たしいです。