先週の木曜日、BS-TBSで放送された「ベイスターズvs.ジャイアンツ」の試合を見た。最後の方だけを少し、其れも書き物をし乍らの視聴だったので、正確に言えば「音声をメインに聞いていた。」という感じだ。
解説者の声を聞いた際、「衣笠祥雄氏に似てるけど、何かおかしいなあ。」と。「嗄れているけれど、ハイトーンで非常に通る声。」というのが彼の特徴なのに、聞こえて来るのは小声で、張りが全く無かったからだ。「風邪でも引いたのかな?」と思っていたのだけれど・・・。
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「“鉄人”衣笠祥雄氏が大腸癌で死去、19日迄仕事」(4月24日、日刊スポーツ)
元広島の衣笠祥雄氏が、23日に死去した事が判った。死因は、上行結腸癌(大腸癌)。71歳だった。
2,215試合連続出場の記録を持ち、「鉄人」として親しまれた。1987年には、プロ野球界2人目となる国民栄誉賞も受賞した。1976年盗塁王、1984年打点王、MVP。通算2,677試合、2,543安打、504本塁打、1,448打点、打率2割7分。1996年野球殿堂入りした。
19日に横浜スタジアムで行われた「DeNA-巨人」でTBSの解説を務めたのが、公の場に姿を現した最後になった。体調を気遣い「代わりましょうか?」と関係者から打診されたものの、仕事への強い意欲を示したと言う。
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本当に驚いた。そんなにも体調が悪いとは、全く思ってもいなかったので。1月4日に星野仙一氏、1月22日に片平晋作氏、そして今回の衣笠氏と、今年は球界の大物OBの訃報が相次いでいる。平均寿命を考えると、皆、余りに若過ぎる。
衣笠氏と言えば、カープ第一次黄金期(1975年~1986年)を支えた1人。山本浩二選手との“YK砲”は、“ON砲”と共に球界を代表するコンビだった。
「死球を受けても、相手投手に対して『大丈夫だよ!』という仕草を見せ、颯爽と一塁に向かって歩いて行く姿。」や「当時の子供達が良く真似をした『ヘルメットが飛ぶ程のフル・スイング』。」等、彼を思い浮かべる場面は幾つも在るが、個人的に最も忘れられないのは「所謂“江夏の21球”【動画】の或る場面。」で在る。
1979年の近鉄バファローズとカープの日本シリーズ第7戦。カープが1点リードで迎えた9回裏、カープの江夏豊投手は無死満塁、サヨナラ負けの大ピンチを作ってしまう。カープの古葉竹識監督はブルペンにリリーフの準備を指示した事に、江夏投手は激怒。そんな彼の下に寄って行き、必死で落ち着かせ様としている衣笠選手の姿が、とても印象的だった。
「御前の気持ちは判る。御前が辞めるなら、俺も一緒に辞めてやるけど、此の場面を抑えられるのは、御前しか居ないんだぞ。」という衣笠選手の言葉に、江夏投手は冷静さを取り戻せたと言う。そして、江夏投手は大ピンチを無失点で切り抜け、カープは初の日本一に輝いたのだった。
選手としても1人の人間としても、非常に魅力的な人物。彼だけの実績を残し乍ら、監督に就任する事が無かったのは本当に残念。一度は監督をして欲しかった・・・合掌。
選手時代の実績は十分、愛される性格で指導者としての見識もあるのに、なぜか監督になれない。
衣笠さんや掛布さんもそんな選手の一人ですね。
もちろんそれ相応の事情はあるのでしょうが、残念です。
ご冥福を祈ります。
凄い実績を残し乍ら、何故か監督になっていない球界OBって居ますよね。何等かの問題が在りそうなケースも在りましょうが、衣笠氏の場合はそういうのが思い浮かばない。「国民栄誉賞という凄い賞を受賞してしまった事で、『監督で失敗させられない。』と周りが止めているのではないか?」という話も在りましたが、若しそうだったとしても監督をさせて上げたかった。野球が大好きな人だったので、多分御自身も監督業に興味が在ったと思うし。
幅広い世代が野球に関心を持っていた時代、即ち1970年代~1980年代に強烈な光を放ち、野球ファンを魅了した野球人が、又1人鬼籍に入ってしまった。本当に寂しいです。