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大学生の望月良夫(もちづき よしお)は愛車のデミオ運転中に、偶然遭った女優の荒木翠(あらき みどり)を目的地へ送り届ける事に。だが翌日、翠は事故死する。本当に事故だったのか?
良夫と其の弟で大人びた小学5年生の亨(とおる)は、翠を追い駆け回していた芸能記者・玉田憲吾(たまだ けんご)と知り合い、事件に首を突っ込み始める。姉・まどか、そして母・郁子(いくこ)と、望月一家全てが巻き込まれ、謎は広がる許り。
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ディズニー作品の1つ「カーズ」。自分は実際に見ていないのだが、「擬人化された車達が主人公の作品。」というのは知っている。今回読了した伊坂幸太郎氏の小説「ガソリン生活」も、擬人化された車達と、そして“彼等”に関係する人々を描いた作品だ。
唯、「擬人化された車達」という共通点は在るものの、(恐らくは)自分の意思で動き回っていた(と思われる)「カーズ」とは異なり、「ガソリン生活」での車達の場合は、自分の意思で動き回れる訳では無い。動かすのは飽く迄も人間で在り、自動車達の意思は全く介在出来ない。又、自動車同士が交わす会話は人間達には全く伝わっておらず、同じ「車」という括りでも、自転車の発する言葉を自動車達は全く理解する事が出来ない。
そういう“縛られた設定”が在る事により、車から離れてしまった人間の言動を車達は知る事が出来ず、同時に車達の“耳”や“目”を通して人間の言動を確認して来た読者も、“其の間”は当該人物の言動を知る事が出来ない訳で、車達と一緒に「今、何が起こっているんだろう?」と思案するという、不思議な効果を生み出して行く。
「車の運転」という行為は、免許取り立ての人間やペーパー・ドライヴァーを除けば、特に意識してしている事では無いだろう。しかし、“動かされる側”の車の視点で描かれると、“運転する側”の人間には特に意識していなかった行為でも、「こういう捉え方も在るんだ。」という新鮮さが感じられたりもした。
「全く無関係としか思えなかった事柄が、後になって意外な形でリンクしている。」というのは伊坂作品で良く使われる手法だが、今回の作品でも遺憾無く発揮されている。東北の一都市で起こった自動車事故を「ダイアナ妃の自動車事故」とリンクさせて行くなんていう発想は、伊坂氏ならではの事だろう。
「此れで終わりかな。」と思った後に、8頁のエピローグが記されていた。10年後の望月家を描いているのだが、人によっては「必要無い。」という意見も在るだろうけれど、個人的には「此の8頁が、良い余韻を残している。」と感じた。
総合評価は、星3つ。
車達が列車や飛行機に対して一目置いている理由というのが、「成る程。」と思うと同時に、つい笑ってしまいました。
マヌケ様も触れて居られますが、“自身”や所有者等が危機に陥っても、自ら何かを出来る訳では無い事から、もどかしさを表す車達というのが、面白い発想ですよね。