「2014年、都内ホテルで行われた振り込め詐欺グループの忘年会に参加、事務所を通さない闇営業をしていた。」事が報じられ、吉本興業から契約解消されたカラテカの入江慎也氏。入江氏自身は「反社会的勢力とは知らなかった。」と言い訳している様だが、状況を考えると全く知らなかったとは思えないし、“黒い交際”で芸能界を引退した島田紳助氏の先例も在るのだから、契約解消は当然だろう。
御笑い大好き人間なので、“芸人”に対してはリスペクトの念を持っている。だが、“芸”が全く感じられない“御笑いタレント”は好きじゃ無い。「全く面白く無い上に、偉そうに何かをひけらかす御笑いタレント。」となると、虫唾が走る程苦手。
「誰かが喋った時、『えー、そうなんですか!?』と大きな声を出せば、必ずカメラが自分を映してくれる等々と、自己アピール方法を得意気にひけらかしていた品川祐氏。」、「芸に関する話を偉そうにひけらかすのも然る事乍ら、料理が得意なのを猛アピールし過ぎる木村祐一氏。(自身が作った料理を出した際、浜田雅功氏から「『俺の美味しい料理を食わせてやる。』といった上から目線の感じが出てるけど、そういうのは止めた方が良い。『どうぞ召し上がって下さい。』といった謙虚さが無いと駄目。」という趣旨の事を言われていたが、「其の通り!」と思ったし。)」等もそうで、「偉そうにひけらかす暇が在れば、“本業”で笑わせてくれよ。」と思ってしまう。
メディアに登場すると、「友達は5千人以上!」と得意気に豪語していた入江氏。友達を多く作るのは決して悪い事では無いし、そんなにも友達を作れるのは一種の才能では在るだろう。でも、彼の言動からは「社会的に影響力の在る著名人と、こんなにも多く付き合っている自分は凄いだろ!」というひけらかしの思いが露骨に感じられたし、そういう著名人達に阿る為の(“悪い意味での”)太鼓持ち的スタンス、そして“力の在る先輩達”に著名人達を紹介する事で寵愛を受け様とするさもしさが垣間見えるのが、どうにも苦手だった。本業の御笑いが光っていれば別だが、全く面白く無かったし。
彼の場合、「人脈を広げる=ビジネス」と考えていたのだろう。こういう考えの人は彼だけでは無く、結構存在するとは思う。自分はそういう割り切りが出来ないけれど、全面否定はしない。でも、何事も程度問題。「人脈の“量”を増やす事に夢中になり、“質”はどうでも良かった。」というので在れば、其の人脈から裏切られるのは当然だ。
抑、自分は“人脈”という言葉の使われ方に、ずっと抵抗感を持っている。「人脈を広げる=ビジネス」という考え方を全面否定しないけれど、「人脈=金儲けの手段」と“しか”捉えていない考え方には、虚しさしか感じられないから。
「転職支援会社が20代~50代の社会人を対象に調査したデータによると、社会人の8割以上が人脈の必要性を感じており、然も必要性の高い人脈は、社内から社外へと広がって行く傾向が在る。」という状況を踏まえ、昨年、林修氏が“人脈”に付いて次の様に語っていたそうだが、全く同感だ。
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「此れは、社会に出て人脈を広げると言っている人が、人の事を金儲けの道具として見ているからこそ出て来る言葉。此の人と繋がっていれば得をする、儲かるといったさもしい考えが奥に在るからこそ、使っている人が居ないと言えますか?」。
「今は損得による人脈作りが、最も顕著な時代なのではないかという気がするが、ポイントになるのはSNSではないか。タイムライン上では親しくなりたい人同士の遣り取りが見える事で、自分も其の中に入りたいと思ってしまう。更に良く無いのは、SNSで凄い人と繋がると、自分もそのレヴェルに行ったと錯覚する人迄居る事だ。」。
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これだけ長いあいだSFファンをやっていると自然と同好の士とのつながりが出来ます。つくろうと思わなくても人脈ができました。趣味を通じた人脈ですから、この人脈を仕事に使おうと思ったことはありません。人脈、私の財産です。
人は大なり小なり“我欲”という物が在りますので、「人脈=飯の種」という発想を完全否定は出来ません。でも、其れが出過ぎてしまうと、何とも不毛。
雫石鉄也様の様に、趣味を通じた人脈というのは損得勘定の無い、羨ましい物だと思います。