ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

提訴は理解出来る

2019年04月19日 | 時事ネタ関連

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脳死移植番組でTBS提訴 提供者両親『苦痛。』」(4月18日、東京新聞[夕刊])

「2017年5月に岡山大病院で実施された脳死移植手術を密着取材したTBSのテレヴィ番組に、強い精神的苦痛を受けた。」として、脳死判定を受け、肺を提供した男児=当時(1歳)=の両親が18日、TBSや病院、日本臓器移植ネットワーク等に、計約1,800万損害賠償を求め、広島地裁に提訴した。

訴状によると、番組は2017年7月に全国放送された。両親には事前に連絡は無く、手術した日等の情報から、知人等に男児が特定され兼ねない内容だった。

手術を撮影した場面では、肺がモザイク無しに映っていた他、執刀医が「軽くて良い肺。」等と配慮欠く発言をする姿も放送され、「我が子を静かに偲ぶ権利プライヴァシー侵害された。」と主張。

日本臓器移植ネットワークに付いては、両親の心情への配慮や情報管理の徹底を怠った注意義務違反が在るとしている。
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の生き死にが関わっている事も在り、脳死移植は非常にセンシティヴで在り、又、賛否両論在る事柄だ。自分は基本的に“脳死移植賛成派”で在り、「万が一、自分が脳死状態になったら、我が臓器を必要とする人に提供して欲しい。」とは思っているけれど、「自分の身内が脳死状態になったら、身内の臓器移植を決断出来る。」という自信が無かったりする。

脳死移植賛成派の自分ですらそんな感じなのだから、反対派の中には“臓器提供を決めた遺族”を激しく批判したりする人も存在するだろう。必ずしも喜んで提供している訳では無く、深い悲しみの中、「困っている人達の御役に立てるので在れば。」と、断腸の思いで決断した遺族も居るだろうに。

そういう非常にセンシティヴな事柄なのだから、テレヴィ番組で取り上げる場合には、強い配慮が求められると思う。

今回の番組を自分は見ていないので、元記事の情報だけで判断するならば、一番問題なのはTBSだと思う。「遺族に対し、事前に番組で取り上げるという連絡が無かった。」のは言語道断だし、手術時の映像や執刀医の配慮を欠いた発言、そして提供した男児が特定され兼ねない情報を“加工”する事無く放送したのは、遺族に対する侮辱行為とも思えるので。

岡山大病院に付いては、非常に微妙だ。執刀医の「軽くて良い肺。」という発言は、手術をする立場の人間として「手術するには適した重量。」という意味合いから出た物とは思うけれど、遺族にとっては「“単なる物扱い”された。」という思いにもなるだろう。テレヴィ放送されるのが判った上での手術という事を考えると、もっと発言には配慮が在るべきだった。とは言え、そういう発言も含め、“加工”して放送するのがTBSの責務今回の発言だけを理由に、岡山大病院が訴えられるのは、少し気の毒な気もする。

で、日本臓器移植ネットワークに付いてだが、此の組織が今回の番組作りに何の程度関わっていたのかが判らないので、判断に迷う。普通に考えると「こういう男児が居ます。」という連絡を製作者サイドにしたのだろうから、全く無関係とは思わないけれど、でも、“注意義務違反”としてしまうのも難しそう

矢張り、「問題は、TBSの配慮の無さに在り。」という事になるのではないだろうか。


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2 コメント

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Unknown (悠々遊)
2019-04-19 14:39:37
こんにちは
私も若いころは万一の際の自分の臓器提供を肯定していましたが、提供する側される側と手術をする側も含め、環境が十分整っていないような情報(臓器売買も含め)に接するにつれ、だんだんと否定派に傾いてきました。
移植に使われる臓器をモノ扱いするのは、ある意味そう考えないと手術などできないのかもしれず、頭で理解できるものの、一方で脳だけでなく臓器にも「記憶」があるという話(移植を受けた人がそれまで喋れなかった外国語をしゃべれるようになったとか)を聞くと、単純に物として扱って欲しくないと、情緒で思ったりしてしまいます。
ま、心臓などすでに酷使してきたので、今更老人の臓器など役に立たないでしょうが(苦笑)。
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>悠々遊様 (giants-55)
2019-04-19 15:08:50
書き込み有り難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

「“死”という物が“日常”で在る医療現場では、個々の死に対して感傷的になってしまうと、精神的に持たない。」という話を聞きます。確かにそうなんでしょうね。だからこそ、臓器も“物”と割り切らないと、やってられないのでしょう。其れは判るけれど、でも、臓器を提供した身内からすると、何とも遣り切れない。

善意と悪意が存在する人間の世界。善意から臓器を提供する人も居れば、其の臓器を“商売道具”にする悪意も、悲しいかな存在する。
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