週刊ポストだったと思うが、一寸前にヤンキースの松井秀喜選手のインタビュー記事が載っていた。ヤンキースというチームで活き活きとプレーしている様子が伝わって来る内容だったのだが、彼の言葉の中で特に印象的なものが一つ在った。手元に当該誌が無いのでうろ覚えの記憶に頼って書くが、凡そ次の様な内容だったと思う。
「ジャイアンツ時代の自分は遅刻の常習犯の様に書かれていたが、とても不本意だった。ジャイアンツでは指定された集合時間の更に30分前に集合しなければならないという暗黙のルール、所謂”ジャイアンツ・タイム”が在り、それで言えば遅刻という事になるのだが、指定された集合時間に遅れた事は滅多に無かった。ヤンキースでは集合時間通りに集まるのが普通なので、遅刻魔の様に言われなくて嬉しい。」
ジャイアンツでは川上哲治氏が監督就任した辺りから、このジャイアンツ・タイムが導入されたと言われている。原辰徳監督も「規律正しさというのも、ジャイアンツの良き伝統。」として、このジャイアンツ・タイムを厳格に守る様に指示しているとも聞く。そうなると最早”暗黙のルール”では無く、正式なルールではないかとも思うのだが。
合理主義的な観点からすると、「それならば集合すべき時間を、そもそも30分前に設定すれば良いではないか。」と思ってしまうのは判らないでもない。恐らくこういった不条理さも、松井選手がジャイアンツに愛想を尽かした要因の一つなのかなあと思ったりも。
唯、自分も幼き頃から父親に「約束した時間の10分前には、必ずその現場に着いている様にしなければ失礼だ。」と口煩く言われ続けて来たので、ジャイアンツ・タイムという概念には然程違和感が無かったりもする。
「親しき中にも礼儀在り。」という言葉が在るが、何しろ根がだらしない人間なので、親しい人間との待ち合わせ時間にはしばしば遅れる様になってしまったものの、そうでない相手の場合には結構早めに到着する様にしている。30分前に集合というのは別にしても、集合時間きっちりに集まるというのでは無く、或る程度前に集まるという考え方を、合理主義的概念でスパッと切り捨ててしまうのもどうかなという気がしている。
「ジャイアンツ時代の自分は遅刻の常習犯の様に書かれていたが、とても不本意だった。ジャイアンツでは指定された集合時間の更に30分前に集合しなければならないという暗黙のルール、所謂”ジャイアンツ・タイム”が在り、それで言えば遅刻という事になるのだが、指定された集合時間に遅れた事は滅多に無かった。ヤンキースでは集合時間通りに集まるのが普通なので、遅刻魔の様に言われなくて嬉しい。」
ジャイアンツでは川上哲治氏が監督就任した辺りから、このジャイアンツ・タイムが導入されたと言われている。原辰徳監督も「規律正しさというのも、ジャイアンツの良き伝統。」として、このジャイアンツ・タイムを厳格に守る様に指示しているとも聞く。そうなると最早”暗黙のルール”では無く、正式なルールではないかとも思うのだが。
合理主義的な観点からすると、「それならば集合すべき時間を、そもそも30分前に設定すれば良いではないか。」と思ってしまうのは判らないでもない。恐らくこういった不条理さも、松井選手がジャイアンツに愛想を尽かした要因の一つなのかなあと思ったりも。
唯、自分も幼き頃から父親に「約束した時間の10分前には、必ずその現場に着いている様にしなければ失礼だ。」と口煩く言われ続けて来たので、ジャイアンツ・タイムという概念には然程違和感が無かったりもする。
「親しき中にも礼儀在り。」という言葉が在るが、何しろ根がだらしない人間なので、親しい人間との待ち合わせ時間にはしばしば遅れる様になってしまったものの、そうでない相手の場合には結構早めに到着する様にしている。30分前に集合というのは別にしても、集合時間きっちりに集まるというのでは無く、或る程度前に集まるという考え方を、合理主義的概念でスパッと切り捨ててしまうのもどうかなという気がしている。
10分前から来ている奴。
ほぼ定刻に行く私。
そして10分遅れで来る奴。
それぞれの家庭での待ち合わせ時刻に対する考えがでていて
なかなか面白かったです。
大人になってからは、行く途中に何があるかわからないので,余裕をもつようになりました。
きっちり定刻で良い,という考えは日本の社会ではあまり好まれないようですね。ギリギリではだめだと。
野球選手をやめたあとの松井くんが少し心配になりました。
定刻を旨とする日本人としてはリスクマネジメントの範囲内でしょうか?
よく東京で暮らしたことがある人物が口をすっぱくして「そんなことでは東京じゃあだめだ」と怒っていたのを見た記憶があります。彼もだめだったのでしょうか
社会人になりたての頃、会社から”5分前ルール”という事を教わりました。
会合や作業で客先に赴く際、待ち合わせ時間の5分前には到着する事が、社会人としては常識であると。
その時は、待ち合わせ時間ピッタリに着こうとすると遅れてしまう(そのために御客様に迷惑がかかる)リスクがあるからだと理解していました。
待ち合わせに遅れてたり、人を待たせたりするというのは、待っている人の気を悪くさせる事ですから、待ち合わせ時間より早く着く事は人としての礼儀であると、個人的に思うのです。
それにしても、ジャイアンツタイムの”30分前”は何故”30分前”になったのでしょうか?
人数が多く(一軍選手、監督、コーチ、スタッフで計30~40人程)て全員集合後の行動に手間がかかるからなのでしょうか?
そういえば、プライベートで人の家へお邪魔する時は、逆に約束の時間より少し遅れて行くのがマナーなんですよね。それを知らずかけっこう早めにいらっしゃる方が時々いて、チャイム鳴ってから大慌てで部屋を片付けたりしたことも何度か・・・って、来客時はそういう用意こそ早めにしとくべきですよね。
携帯電話です。
友人同士の待ち合わせとします。
昔と違って、待ち合わせ時間を過ぎて「何で来てないねん」とイライラして待つことはないわけです。
「あ、ゴメン。今電車の中」と電話すればいいわけですから。
しかし「暗黙の30分前集合」
30分前は幾らなんでも早すぎろ・・・
職場で、若手に部類される私は、30分どころか、もっとまえに集合します。
巨人入団時から、テレビ露出が随分あった松井は、社会人としてのエチケットをしっかり理解しないまま、成長してしまったのかなぁ~。
自分もマヌケ様と全く同じ経験をした事が在ります。朝のミーティング、それも御偉いさんが参加するミーティングに大幅に遅刻して来た後輩が居ましたので、後で理由を聞くと「寝坊した。」との事でしたが、詳細を聞くとシャワーを何時もの様に10分近く浴び、髪もムースでビシッと決め、朝食も普通通り食べて来たと。自分なぞは小心者ですから、そんなシャワーや朝食を食べる時間が在れば、猛ダッシュで電車に飛び乗るんですけどね。時代が変わったという事でしょうか。否、これは時代の問題では無いと思うんですけどね(苦笑)。
”ローカル・タイム”って在りますよね。日本では無いのですが、仕事でタイに行く事が多く、彼の地では時間で苛々させられる事がかなり在りました。相手が待ち合わせ時間に30分以上遅れるなんて事がまま在り、そのエクスキューズの殆どが「交通渋滞に巻き込まれて。」でした。確かに彼の地の交通渋滞の酷さは相当なものでしたが(今は大分緩和されたみたいですが。)、それだけでは無い大らかな国民性も在った様に思います。
最初は苛々していた自分も、郷に入れば郷に従えではないですが、徐々にその感覚になれてしまい、起こる気力も失せてしまったものです。唯、こっちが訪問する場合には、根が小心者故、充分過ぎる程時間に余裕を見て向かうというのは、最後迄変わらなかったのですが。