「楽屋に置いていたステージ衣装が切り刻まれていた。」、「用意された靴を履いたら、中に入っていた画鋲が刺さって怪我をした。」等々。嘗てのアイドル歌手が、新人時代に受けた嫌がらせをTV番組で語っていた。山口百恵さんの歌「愛の嵐」に「炎と書いてジェラシー 二人でこうして一緒に居るのに ルビを振ったらジェラシー 貴方が何処かへ行ってしまいそう Jealousy storm,jealousy storm,storm,storm・・・ 心の貧しい女だわ・・・私♪」という歌詞が在ったけれど、上記の彼女が受けた嫌がらせも、激しい嫉妬から為されたものだろう。「他者への嫉妬を、嫌がらせという形で打ち出す。」というのは最悪極まりない事だけれど、「嫉妬」自体は・・・。
AERAに放送作家の鈴木おさむ氏が「ザ・私聴率」というコラムを連載しているが、1月18日号は「嫉妬年表」というタイトルで「嫉妬」に関する記事だった。
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嫉妬。この世に嫉妬なんてしないという人、いるんだろうか?どんな天才だって、きっと嫉妬してるに違いない。とある天才漫画家は、死ぬ直前まで若手の漫画家に嫉妬してたらしい。その人は天才といわれているのに、認められたくて名前を隠して新人賞に応募していたとか。
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この「天才漫画家」とは、手塚治虫氏で先ず間違い無いだろう。才能の在る新人漫画家が出て来ると、本人を前にしてかなり大人気無い発言をした事も結構在ったそうで、後になって己が狭量さに手塚氏が懊悩していたという話も見聞した事が在る。「あれ程の天才でも、他者に嫉妬するんだなあ。」と、一寸意外に感じたりもした。
鈴木氏が先日読んだ記事には「脳のメカニズム的に、人は嫉妬を感じると脳の或る部分に痛みが走る。」と書かれていたそうだ。医学的な事は判らないのでこの点に関しては何とも言えないのだが、「嫉妬とは『自分に近い存在にする物』で、畑違いの奴には余り嫉妬は抱かないものらしい。」という内容には同感。鈴木氏が例示しているけれど「同じ会社の同期でも、もともと家が大金持ちで自分とは育ちが違う人よりも、自分と似たような境遇の人に嫉妬する。」、「学生時代、好きな女の子がいて、すげー顔のいい男と付き合ってると聞いても『やっぱりな。』と諦められたが、たいして格好よくもないやつと付き合ってると聞いたときには、猛烈な嫉妬心がわいた。俺にもチャンスあったじゃん!って。」というケース、思い当たる人も少なくないのではなかろうか。
で、鈴木氏は「放送作家の世界に飛び込んで以降の約18年間、自分はどんな人に嫉妬して来たか?」を年表形式で纏めてみたと言う。結果として9人の人間に嫉妬して事が判明。これは2年に1回のペースで、嫉妬相手が変わっていた計算になる。嫉妬相手を考えた時、それは「自分よりも常に一寸上の仕事をしている人。」だったというのも理解出来る。人は概して「全く手が届きそうも無い人」には嫉妬心が生まれ難く、「頑張れば手が届きそうな人」に嫉妬し勝ちというのは、上記した「嫉妬は『自分に近い存在にする物』。」と相通ずると思うから。
この「嫉妬年表」を眺めて、鈴木氏は次の様に思ったそうだ。
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で、ふと思う。この「嫉妬年表」は自分の成長記録でもある。だから、嫉妬する相手がずっと変わってないってことは、ある意味、自分が成長してないってことなのかもしれないと。
自分の仕事に対する目標がある。その目標に向かう思いが燃料となる。ただ、燃料は何かで火をつけないと燃え上がらない。そこで嫉妬の出番である。夢に向かって頑張る自分に嫉妬が火をつける。嫉妬の炎!
嫉妬って、なんだかネガティヴな言葉だが、人が生きていくための大きなパワーだ。大切なのは、自分が嫉妬してる人に対して「オレ、あいつに嫉妬してるじゃん!」と認めること。認めないほうが苦しくて、認めたほうがちょっと楽になる。
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「認めない方が苦しくて、認めた方が一寸楽になる。」かどうかは別にして、「自分が嫉妬している人に対して、嫉妬している事を素直に認める。」というのは大事だと思う。それは相手に対する敬意でも在ると思うし、何よりもつまらない嫌がらせに転じるのでは無く、「自分自身をより高めよう!」というプラス方向にエネルギーを放出する様に思うので。
AERAに放送作家の鈴木おさむ氏が「ザ・私聴率」というコラムを連載しているが、1月18日号は「嫉妬年表」というタイトルで「嫉妬」に関する記事だった。
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嫉妬。この世に嫉妬なんてしないという人、いるんだろうか?どんな天才だって、きっと嫉妬してるに違いない。とある天才漫画家は、死ぬ直前まで若手の漫画家に嫉妬してたらしい。その人は天才といわれているのに、認められたくて名前を隠して新人賞に応募していたとか。
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この「天才漫画家」とは、手塚治虫氏で先ず間違い無いだろう。才能の在る新人漫画家が出て来ると、本人を前にしてかなり大人気無い発言をした事も結構在ったそうで、後になって己が狭量さに手塚氏が懊悩していたという話も見聞した事が在る。「あれ程の天才でも、他者に嫉妬するんだなあ。」と、一寸意外に感じたりもした。
鈴木氏が先日読んだ記事には「脳のメカニズム的に、人は嫉妬を感じると脳の或る部分に痛みが走る。」と書かれていたそうだ。医学的な事は判らないのでこの点に関しては何とも言えないのだが、「嫉妬とは『自分に近い存在にする物』で、畑違いの奴には余り嫉妬は抱かないものらしい。」という内容には同感。鈴木氏が例示しているけれど「同じ会社の同期でも、もともと家が大金持ちで自分とは育ちが違う人よりも、自分と似たような境遇の人に嫉妬する。」、「学生時代、好きな女の子がいて、すげー顔のいい男と付き合ってると聞いても『やっぱりな。』と諦められたが、たいして格好よくもないやつと付き合ってると聞いたときには、猛烈な嫉妬心がわいた。俺にもチャンスあったじゃん!って。」というケース、思い当たる人も少なくないのではなかろうか。
で、鈴木氏は「放送作家の世界に飛び込んで以降の約18年間、自分はどんな人に嫉妬して来たか?」を年表形式で纏めてみたと言う。結果として9人の人間に嫉妬して事が判明。これは2年に1回のペースで、嫉妬相手が変わっていた計算になる。嫉妬相手を考えた時、それは「自分よりも常に一寸上の仕事をしている人。」だったというのも理解出来る。人は概して「全く手が届きそうも無い人」には嫉妬心が生まれ難く、「頑張れば手が届きそうな人」に嫉妬し勝ちというのは、上記した「嫉妬は『自分に近い存在にする物』。」と相通ずると思うから。
この「嫉妬年表」を眺めて、鈴木氏は次の様に思ったそうだ。
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で、ふと思う。この「嫉妬年表」は自分の成長記録でもある。だから、嫉妬する相手がずっと変わってないってことは、ある意味、自分が成長してないってことなのかもしれないと。
自分の仕事に対する目標がある。その目標に向かう思いが燃料となる。ただ、燃料は何かで火をつけないと燃え上がらない。そこで嫉妬の出番である。夢に向かって頑張る自分に嫉妬が火をつける。嫉妬の炎!
嫉妬って、なんだかネガティヴな言葉だが、人が生きていくための大きなパワーだ。大切なのは、自分が嫉妬してる人に対して「オレ、あいつに嫉妬してるじゃん!」と認めること。認めないほうが苦しくて、認めたほうがちょっと楽になる。
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「認めない方が苦しくて、認めた方が一寸楽になる。」かどうかは別にして、「自分が嫉妬している人に対して、嫉妬している事を素直に認める。」というのは大事だと思う。それは相手に対する敬意でも在ると思うし、何よりもつまらない嫌がらせに転じるのでは無く、「自分自身をより高めよう!」というプラス方向にエネルギーを放出する様に思うので。
山口百恵さんですね。^±^ノ
うちのほうのネタはさらに古く、うちが物心ついたときのころのものです。
酒ブタネタとともに書きました。
そう。嫉妬してる自分がいるって気づきは人のもっとも人らしい心の動きだと思います。
その次にどういう行動とるかでだいぶ違ってくる・・。
嫉妬は子供にも見られる感情なので、大人になってもあるのは当たり前かも知れないですが、子供のころはストレートにそれを「不満」として態度に表わしていたことも、大人になったらそれを「自分を高める踏み台」として利用していきたいですね。
嫉妬とは違うのかもしれませんが、韓国に行っているフィギュアスケートの真央ちゃんが、金選手の「妨害された発言」などで随分ネットでの書き込みをされている・・・云々の記事を新聞で読みました。確実に「妨害された」のかは不明ですが、簡単に発言するのは考えものですね。事実がはっきりしないので、なんとも言えませんが、「妨害」発言をしたりした金選手に(そのような安易な発言をするようには思えない選手だったので)ちょっとがっかりした気持ちがあります。
さらに、ネットの書き込みに乗せられて、実際に軽はずみな妨害行為をする人が出てこないように願うばかりです。でも、これもある種の「嫉妬」なのかな??なんて思います。
兵法書「孫子」の有名な訓えに「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。」というのが在りますが、「自身を冷静に直視出来る。」というのは重要な事なれど、実際に行うのはなかなか難しくも在る。一般的に「マイナス」なイメージの在る事を、自分自身が抱えているというのは認めたくないというのも在りますし。それが出来れば、人は1ステップも2ステップも成長出来るのでしょうね。
余程人間が出来ていない限り、人は他者と自身を常に比較してしまうものだし、自身が劣っていると思えば嫉妬心も湧いてしまうもの。問題はそれからで、嫉妬心を他者への攻撃という形でしか表わせないか、それとも自己研鑽に転じられるかで、その人の成長度が変わって来るのでしょうね。
嫉妬から起こった軽はずみな言動は慎むべきですが、中には「正当な主張」さえも“恣意的に”「嫉妬によるもの」と片付けてしまうケースも在り、それは注意を払わなければいけないなあと感じます。自身に不都合な事柄が糾弾された際、それを全て「嫉妬」で片付けて、意見を封じようとする行為は許されるべきものでは無いと思うし。