ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「風に舞いあがるビニールシート」

2006年10月14日 | 書籍関連
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国連の難民事業に従事している里佳。彼女は上司で在るエドと恋愛し、7年間の結婚生活の末、2年前に離婚していた。風に吹き飛ばされ、虚空を舞うビニールシートの如き難民達の命の軽さを紛争地帯で痛感し、何とかしたいと”現場”勤務に固執するエドと、平凡で当たり前の生活を望む理佳との間に埋め難い溝が出来てしまった為だった。

他者へ向けられる深い愛情。そして、妻で在る自分には同様の愛情が向けられているのだろうか?愛し抜く事も、又、愛され抜く事も出来なくなってしまった日々を思う理佳。

そんな中、エドがアフガニスタンで死んだという知らせを受ける。暴漢に襲われた少女を庇い、銃弾を浴びて絶命したのだった。それ以降、立ち直れずに無気力な生活を送っていた理佳の前に一人の記者が訪れる。エドがアフガニスタンで救った難民の少女と話をした記者だった・・・。
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森絵都さんの「風に舞いあがるビニールシート」は、本年度上半期の直木賞を受賞作。短編6作品で構成されており、上記したのは表題作の「風に舞いあがるビニールシート」に付いての内容。

この作品、概して書評では高評価を得ている。しかし自分には、余り肌合いの合うものでは無かった。世界という大きな舞台を引き合いに出しながら、その実は家族というものに付いて記しているコントラストには見るべきものが在るが、ストーリーの展開が予想通りというか、予定調和な感じが。こういった作品に、ミステリーの様な意外性を求めてはいけないのだろうが、それにしても余りにも淡々とし過ぎた進み方には惹かれるものが無かった。

近年の文学賞受賞作品には、「何故この作品が選ばれたのだろうか?」と首を捻ってしまうものも少なくない。腹蔵無く言わせて貰えば、この作品もそんな一つだった。自分の評価は星2つ

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9 コメント

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Unknown (アラメイン伯)
2006-10-14 11:25:53
そうですねぇ。最近の直木賞や芥川賞は、これってなんだか文学界の話題づくりじゃない?

って作品がありますよね。

いつぞや若い女の子が二人受賞したことあったでしょう。あれは全然おもしろくなかった。





でも、この本はなんだか面白そう。読んでみようかな?

短編はあまり好きじゃないけど・・・
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タイトルは好き (マヌケ)
2006-10-14 12:30:58
アンジェリーナ・ジョリー主演の映画やナイロビの蜂を連想したりもしました。 私も、おそらく予想通りの展開と思えたのもそういう映画の影響です。 エドとかリカというネーミングもどこか映画的に感じました。 タイトルに引かれて読んでみたのですが、私も評価としては星一つ半くらいです。 カイバル峠である国の取材クルーの乗ったランクルが現地の子供をはねてしまい、子供は谷に落ちていったそうです。 取材クルーは助けに行こうとしたのですが、現地で雇ったドライバーが、たとえ助けても謝罪してももし子供を見つけて親元に連れて行けばクルー全員と自分も皆殺しにされると言い助けに行くことを拒んだというのです。 ドライバーの必死の訴えと谷に降りる装備もなかったこと、夕暮れが近くて山賊に襲われる危険もあったことからクルーの中の責任者の判断でそのまま目的地まで向ったそうです。 今でも後悔していることを聞きました。 フランスかイタリアでしたでしょうかニュースの取材クルーの車列が襲われてスタッフが亡くなった事件がありましたが、先の事故の報復だったのかもしれないという思いが頭をよぎったということでした。 
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>マヌケ様 (giants-55)
2006-10-14 20:59:28
書き込み有難うございました。



この本を読まれたんですね。で、やはり星1.5個ですか。記事でも触れた様に、ブログ等での書評は結構高評価のものが目立つんですよ。「洗練された文章に圧巻!」とか「涙が止まらなかった。」とかと絶賛の嵐で、「自分って感性が鈍くなって来ているのいかなあ・・・。」と一寸不安に思ったりもしていました。



確かに文章力は在ると思いますし、上手く纏まってはいるのですが、唯それだけって感じがしちゃうんですよね。大人気の作家の作品でも、自分には全くピンと来ないものも在りますし、こうなると作品の出来云々とは別の次元の、その作風が自分の肌合いに合うか否かという事なのかもしれません。



カイバル峠での取材クルーの話、考えさせられますね。人間として助けたいという気持は在るものの、諸々の状況を考慮して助けるのを断念。自分が同じ状況に在ったら、一体どんな判断を下したかと思うと悩ましいです。ずっと後悔の念を持ち続けているというのは理解出来ます。
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難しいけれど。 (syuu)
2006-10-15 13:18:52
 ご無沙汰してます。このところ、ずっと本とは縁遠くなってしまっていますが、giants-55さんの評価を見て読みたいと思う本が増えています。

 ・・・ので、この本も勿論読んではいないのですが、書いてくださったあらすじを読んでいて、「国連の難民事業現場」の勤務で奔走する旦那さんに「私も同じように愛されているのだろうか?」と不安を感じるところが私には理解できず・・・。「仕事と私とどっちが大事?」と比べようも無い物を無理に比べさせているような矛盾を感じます。なので、恐らく私も本を読んだら星は少ないだろうなぁ・・・と。

 以前、戦地の子供を写した写真で、写真家の倫理観のようなものを問われていたことがありましたっけね。なんだか、皆さんのコメントを読んでいて、ふと思い出しました。
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ライカでグッバイ (マヌケ)
2006-10-15 16:21:19
写真に撮る事や映像でとらえること、そしてそれを広く世界に発信する事で戦地の子供のおかれた苦境を伝える事が直接その場で手を差し伸べる事よりもはるかに大きな効果を呼ぶものです。 もちろん目の前の子供を直接救うことも道義上当然のことです。 しかし、より多くの子供を広く国規模で救うには銃弾をかいくぐって報道することも同じく高く意義のあることです。 ガザ地区ではサッカーをしていただけのパレスチナ人の子供がイスラエルの定期パトロールの装甲車から放たれた銃弾で頭を打ち抜かれ即死しました。 残念ながら占領された側には報道手段がありません。 占領している側はテレビという手段があり自分達に都合のよいことばかりを世界に向け発信しています。難民キャンプで子供や老人がおもしろ半分にイスラエルの戦車に踏み潰されて死んでもそれを訴える手段がまったくありません。 身の危険も顧みず弱者の立場からも報道することには高い敬意をはらいたいものです。 直接助けることができればそれにこしたことはありませんが。
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>マヌケ様 (giants-55)
2006-10-15 20:19:38
書き込み有難うございました。



個人が助けられる命には限界が在りますよね。此処では散々批判しているマスメディアですが、でもその報道による影響力は計り知れないものが在ります。ニクソン候補とケネディー候補が大統領選挙で争った際、当初は圧倒的な差でニクソン候補の勝利に終わるだろうという下馬評が在ったものの、TV演説によってケネディー候補の”清新さ”、そしてニクソン候補の”古さ”が如実に伝わってしまい、一気に形勢が逆転したとも言われています。又、ベトナム戦争が長期化し、厭世ムード漂うアメリカ世論を、一気に反戦ムードに高めたのもベトナムからの報道だったとも。



ですので自分も、”弱者の側から”多くを報道するというスタンスは、目の前の子供を救済するのと同等、又はそれ以上の重要さを持っていると思います。
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ここは辛口が多いですね (うー)
2006-11-21 00:31:09
私は結構好きです、この作品。
確かにアンジェリーナ・ジョリーの映画をちょっと思い出しながら読みました。
女性から見たほうが共感できるのかもしれません。
『Sad movie』の消防士との恋にも通じるような待つ女の思いというのはやっぱり仕事に生きる男にはわかりづかいかな、と思います。
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辛口ですみません (マヌケ)
2006-11-21 10:27:47
おっしゃるように男性と女性との感覚の違いはあると思います。 それから国境なき医師団などが活動する地域の現実についてある程度の知識のある人とそうでない人とでもその差があるのかとも思います。 私などは現実のすさまじさの中にドラマチックな恋愛を盛り込むことに多少のクササを感じてしまいます。 助けても助けてもきりがないというコメントを耳にした覚えがあります。 またアフガニスタンではスーパーモデルクラスの美しい宝石のような目をした少女が生きていくためにPKOの兵士や外国のマスコミのクルーを相手に売春行為をしています。 アフリカでは10代の少年がライフルを持たされて地雷原を走らされています。 たぶん恋愛どころじゃない、といいますかそういうものが頭の隅にも入り込む余地もない状況が理解できます。 家庭を取るか仕事を取るかという単純な選択枝の前で悩むようなのは小説のための設定にすぎないと思ってしまうのですが。
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>マヌケ様 (giants-55)
2006-11-21 20:31:52
書き込み有難うございました。

どういう悲惨な状況に在っても、「愛」というものは色んな形で存在していると思います。明日をも知れぬ命で在っても、家族愛、恋愛、仲間に対する愛等々、様々な愛が存在し、明日をも知れぬ命だからこそ、愛というものに対して普通以上に強い意味合いが在るのではないかという気がします。

ましてや救われる側では無く、救う側で在れば「職務」とは別に「愛」が介在する事は在り得るのではないかと思うのですが、これは個々人の価値観や人生観が皆異なる様に、千差万別な考え方が在るのかもしれません。
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