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国連の難民事業に従事している里佳。彼女は上司で在るエドと恋愛し、7年間の結婚生活の末、2年前に離婚していた。風に吹き飛ばされ、虚空を舞うビニールシートの如き難民達の命の軽さを紛争地帯で痛感し、何とかしたいと”現場”勤務に固執するエドと、平凡で当たり前の生活を望む理佳との間に埋め難い溝が出来てしまった為だった。
他者へ向けられる深い愛情。そして、妻で在る自分には同様の愛情が向けられているのだろうか?愛し抜く事も、又、愛され抜く事も出来なくなってしまった日々を思う理佳。
そんな中、エドがアフガニスタンで死んだという知らせを受ける。暴漢に襲われた少女を庇い、銃弾を浴びて絶命したのだった。それ以降、立ち直れずに無気力な生活を送っていた理佳の前に一人の記者が訪れる。エドがアフガニスタンで救った難民の少女と話をした記者だった・・・。
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森絵都さんの「風に舞いあがるビニールシート」は、本年度上半期の直木賞を受賞作。短編6作品で構成されており、上記したのは表題作の「風に舞いあがるビニールシート」に付いての内容。
この作品、概して書評では高評価を得ている。しかし自分には、余り肌合いの合うものでは無かった。世界という大きな舞台を引き合いに出しながら、その実は家族というものに付いて記しているコントラストには見るべきものが在るが、ストーリーの展開が予想通りというか、予定調和な感じが。こういった作品に、ミステリーの様な意外性を求めてはいけないのだろうが、それにしても余りにも淡々とし過ぎた進み方には惹かれるものが無かった。
近年の文学賞受賞作品には、「何故この作品が選ばれたのだろうか?」と首を捻ってしまうものも少なくない。腹蔵無く言わせて貰えば、この作品もそんな一つだった。自分の評価は星2つ。
国連の難民事業に従事している里佳。彼女は上司で在るエドと恋愛し、7年間の結婚生活の末、2年前に離婚していた。風に吹き飛ばされ、虚空を舞うビニールシートの如き難民達の命の軽さを紛争地帯で痛感し、何とかしたいと”現場”勤務に固執するエドと、平凡で当たり前の生活を望む理佳との間に埋め難い溝が出来てしまった為だった。
他者へ向けられる深い愛情。そして、妻で在る自分には同様の愛情が向けられているのだろうか?愛し抜く事も、又、愛され抜く事も出来なくなってしまった日々を思う理佳。
そんな中、エドがアフガニスタンで死んだという知らせを受ける。暴漢に襲われた少女を庇い、銃弾を浴びて絶命したのだった。それ以降、立ち直れずに無気力な生活を送っていた理佳の前に一人の記者が訪れる。エドがアフガニスタンで救った難民の少女と話をした記者だった・・・。
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森絵都さんの「風に舞いあがるビニールシート」は、本年度上半期の直木賞を受賞作。短編6作品で構成されており、上記したのは表題作の「風に舞いあがるビニールシート」に付いての内容。
この作品、概して書評では高評価を得ている。しかし自分には、余り肌合いの合うものでは無かった。世界という大きな舞台を引き合いに出しながら、その実は家族というものに付いて記しているコントラストには見るべきものが在るが、ストーリーの展開が予想通りというか、予定調和な感じが。こういった作品に、ミステリーの様な意外性を求めてはいけないのだろうが、それにしても余りにも淡々とし過ぎた進み方には惹かれるものが無かった。
近年の文学賞受賞作品には、「何故この作品が選ばれたのだろうか?」と首を捻ってしまうものも少なくない。腹蔵無く言わせて貰えば、この作品もそんな一つだった。自分の評価は星2つ。
って作品がありますよね。
いつぞや若い女の子が二人受賞したことあったでしょう。あれは全然おもしろくなかった。
でも、この本はなんだか面白そう。読んでみようかな?
短編はあまり好きじゃないけど・・・
この本を読まれたんですね。で、やはり星1.5個ですか。記事でも触れた様に、ブログ等での書評は結構高評価のものが目立つんですよ。「洗練された文章に圧巻!」とか「涙が止まらなかった。」とかと絶賛の嵐で、「自分って感性が鈍くなって来ているのいかなあ・・・。」と一寸不安に思ったりもしていました。
確かに文章力は在ると思いますし、上手く纏まってはいるのですが、唯それだけって感じがしちゃうんですよね。大人気の作家の作品でも、自分には全くピンと来ないものも在りますし、こうなると作品の出来云々とは別の次元の、その作風が自分の肌合いに合うか否かという事なのかもしれません。
カイバル峠での取材クルーの話、考えさせられますね。人間として助けたいという気持は在るものの、諸々の状況を考慮して助けるのを断念。自分が同じ状況に在ったら、一体どんな判断を下したかと思うと悩ましいです。ずっと後悔の念を持ち続けているというのは理解出来ます。
・・・ので、この本も勿論読んではいないのですが、書いてくださったあらすじを読んでいて、「国連の難民事業現場」の勤務で奔走する旦那さんに「私も同じように愛されているのだろうか?」と不安を感じるところが私には理解できず・・・。「仕事と私とどっちが大事?」と比べようも無い物を無理に比べさせているような矛盾を感じます。なので、恐らく私も本を読んだら星は少ないだろうなぁ・・・と。
以前、戦地の子供を写した写真で、写真家の倫理観のようなものを問われていたことがありましたっけね。なんだか、皆さんのコメントを読んでいて、ふと思い出しました。
個人が助けられる命には限界が在りますよね。此処では散々批判しているマスメディアですが、でもその報道による影響力は計り知れないものが在ります。ニクソン候補とケネディー候補が大統領選挙で争った際、当初は圧倒的な差でニクソン候補の勝利に終わるだろうという下馬評が在ったものの、TV演説によってケネディー候補の”清新さ”、そしてニクソン候補の”古さ”が如実に伝わってしまい、一気に形勢が逆転したとも言われています。又、ベトナム戦争が長期化し、厭世ムード漂うアメリカ世論を、一気に反戦ムードに高めたのもベトナムからの報道だったとも。
ですので自分も、”弱者の側から”多くを報道するというスタンスは、目の前の子供を救済するのと同等、又はそれ以上の重要さを持っていると思います。
確かにアンジェリーナ・ジョリーの映画をちょっと思い出しながら読みました。
女性から見たほうが共感できるのかもしれません。
『Sad movie』の消防士との恋にも通じるような待つ女の思いというのはやっぱり仕事に生きる男にはわかりづかいかな、と思います。
どういう悲惨な状況に在っても、「愛」というものは色んな形で存在していると思います。明日をも知れぬ命で在っても、家族愛、恋愛、仲間に対する愛等々、様々な愛が存在し、明日をも知れぬ命だからこそ、愛というものに対して普通以上に強い意味合いが在るのではないかという気がします。
ましてや救われる側では無く、救う側で在れば「職務」とは別に「愛」が介在する事は在り得るのではないかと思うのですが、これは個々人の価値観や人生観が皆異なる様に、千差万別な考え方が在るのかもしれません。