今年のNHK大河ドラマ「女城主 直虎」【動画】は、昨夜放送された第50話「石を継ぐ者」で、最終回を迎えた。今年1月の記事「『おんな城主 直虎』の第1回を見て」で「まあまあという出来。」という感想を記したが、今日は総評を記す事にする。
視聴率的に言えば、芳しい数字を残せなかった此の作品。8月の記事「第33回『嫌われ政次の一生』を見て」で書いた様に、ぐっと来る内容が無かった訳では無いが、全体で言えば「面白く無かったなあ。」というのが正直な感想。「星2.5個」という感じか。「面白く無かったなあ。」と感じた理由を、列挙してみる。
過去に何度か書いているが、「大河ドラマで女性が主人公の場合、“歴史”を描くというよりも“一家庭”を描く事に重点が置かれ勝ちで、何方かと言えば“内向き”な感じとなってしまう。又、主人公の知名度が高く無い場合、概して 感情移入し辛い。」という懸念が、自分の中には在る。今回の「女城主 直虎」は、2つの懸念ポイントが共に該当しているので、放送開始前から「どうかなあ。」と思っていたのだが、的中してしまった形だ。
放送開始前から「井伊直虎は女性では無く、男性なのではないか?」という指摘が結構在ったけれど、放送開始以降に次々と「井伊直虎=男性」と思わせる証拠が出て来た事は、「“女城主”という意外性が在ったればこその作品なのに、男性という事ならば、全然設定が違って来るだろう。」という違和感を覚えた人は、少なく無かったのではないだろうか。井伊直親や小野道好に対する接し方も、井伊直虎が女性ならば理解出来る描かれ方なのに、此れが男性ならば話は全然別。
「井伊直虎という人物に関する記録が殆ど無い。」という事から、「“文献等に基づく人物描写”というよりも、“歴史的事実を元に『こんな人だったんじゃないかなあ。』という想像による人物描写”という色合いが強かった。」事も、歴史好きとしては興醒めさせられた。ドラマなのだから或る程度の“膨らまし”は在っても良いと思っているが、其れにも限度が在る。
“主役が生きた時代”というのも、マイナスに働いた気がする。主役の井伊直虎が亡くなったのは、本能寺の変(1582年6月21日)の発生から約3ヶ月後(1582年9月12日)。詰まり、天下分け目の戦いで在る関ヶ原の戦い(1600年10月21日)の遥か前で在る許りか、“息子”の井伊直政が大出世するのも見届けていないのだ。「主人公の死を以て幕を下ろすのが習いの大河ドラマ。」としては、歴史的大イヴェントで在る関ヶ原の戦いを描けないだけでは無く、第2の主役たる井伊直政の大出世を“短い講釈”で取り上げざるを得ないというのは、盛り上げに欠けるだろう。(井伊直政が亡くなったのは1602年3月24日で、関ヶ原の戦いには参戦している。でも、別の大きな歴史的イヴェントで在る大坂の陣(1614年&1615年)の遥か前に亡くなっている訳で、彼の其の後を描いたとしても、“微妙な感じ”は残ったに違い無い。)
そして、一番不満な点は、主役・井伊直虎を演じた柴咲コウさんの演技力だった。ファンの方には申し訳無いが、彼女はどんなキャラクターを演じても、皆同じに見えてしまう。「声を張り上げてワアワア騒ぐか、悄気返っているかの何方か。」というワンパターンな演技は此のドラマでも変わらず、大河ドラマ好きの知人は其れで「『女城主 直虎』を、途中から見なくなった。」と言っていた。小野道好を演じた高橋一生氏等、演技の上手い役者も出演していただけに、彼女の演技力の無さが際立ってしまった感が在る。
“悪い意味で”三谷幸喜氏っぽい終わり方も、個人的にはすっきりしなかった。何か“軽さ”を感じてしまったので。もっと別の形が在ったのではないか。
大河ドラマの第57作目として、来年放送される「西郷どん」。歴史上の人物としては、好きな1人の西郷隆盛が主人公なので期待はしているけれど、歴史ドラマでは結構取り上げられている人物なので、“新鮮さ”という意味では不安が在る。
柴咲コウに可愛げがないからです。
男性的な役で難しかったにしても、少しも可愛くない。
見る気がしませんでした。
女優って、そんなにいないのでしょうかね。
確かに、可愛げの在るタイプの女優では無いですね。八千草薫さんとは対極に在る“加賀まりこさん的女優”と言えるかもしれません。其れに加えて、一本調子の演技というのが、個人的にはどうにも好きになれない。画面から伝わって来る雰囲気で言えば、人間的には嫌いなタイプじゃ無さそうですが。
彼女の場合、芸能界で巨大な力を有するプロダクションに所属しているというのも、露出度が高い要因なのではないかと思っています。