ば○こう○ちの納得いかないコーナー

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“精密機械”逝く

2023年06月17日 | スポーツ関連

カープには、“黄金期”が2回在った。1回目は「1979年~1986年」の8年間で、此の間に4度のリーグ優勝を果たしている。チームを率いていたのは古葉竹識氏(1976年~1985年)と阿南準郎氏(1986年)だ。

そして、2回目の黄金期は「2016年~2018年」の3年間で、此の間はリーグ優勝3連覇を果たしている。チームを率いていたのは緒方孝市氏(2016年~2018年)だ。

何方も“強いカープ”だったのは間違い無いけれど、リアル・タイムで見て来た自分としてはカープが、“赤ヘル軍団”と呼ばれる様になった頃。」、即ち1回目の黄金期のカープには、ジャイアンツ・ファンとして「此れは、歯が立たない。」と猛烈な強さを感じた物。走・攻・守亘っ秀でており、何よりも“粘っこいプレー”が特徴のチームだった。

何処ぞの金満チームとは異なり、資金面で潤沢では無かったカープ。「知恵と努力によって、何とか強いチームを作る。」という強い意志が感じられる此のチームが、自分はずっと好きだった。プロ野球に興味を持つ様になった幼い頃から一貫してジャイアンツ・ファンで在り続けて来たけれど、「でも、2番目に好きなチームはカープ。」というのが変わらなかったのは、「知恵と努力で頑張り続け、第1次黄金期を築き上げた。」事を知っているので。だから、「昨季限りで“原辰徳監督が率いるジャイアンツ”に見切りを付け、『原監督が率いている限り、ジャイアンツ・ファンを止める。』と決断した際、『来季からは、カープを応援し様。』となったのは自然な事だった。」と言える。

カープには「エースになるのは、名字が“3文字”の投手。」という、所謂3文字エース伝説が在る。「カープでエースと呼ばれた投手は、全て名字が3文字。」という訳では無いけれど、長谷川良平氏、大田垣喜夫氏、安仁屋宗八氏、外木場義郎氏、北別府学氏、佐々岡真司氏、大瀬良大地投手と、確かに歴代のエースには名字が3文字の人が多いのだ。

カープの第1次黄金期を支えて来た投手陣の中でも、エースの北別府学氏(現役期間:1976年~1994年)は特に忘れられない存在だ。赤みを帯びたが特徴的な朴訥な見た目に加え、投じる球も決して速くは無い。同僚で、“炎のストッパー”と称され津田恒実氏(現役期間:1982年~1991年)が〝恐ろしい程の凄み”を感じさせたのと対照的に、北別府氏には凄みを感じなかった。感じたのは針の穴を通す。」と言っても良い程の“絶妙なコントロール”精密機械と呼ばれたのも頷けるコントロールの良さは、未だにトップ・クラスに君臨するレヴェルだ。

投手にとって、名誉の1つが“胴上げ投手”になる事。1986年10月12日、カープはリーグ優勝を果たすが、此の試合で先発投手務めたのが北別府氏。8回裏完封ペースで、「其の儘9回裏も投げて胴上げ投手。」と言う展開だったが、自ら降板を申し入れ、9回裏を津田恒実氏に託したのは、「(ストッパーの)津田に、試合を締めて貰いたい。」という思いが在ったからだと言う。優勝決定後、マウンド上で胴上げ投手の津田氏が北別府氏と抱き合っている姿にはジーンと来たが、そういう優しさを持った人でも在った。

3年前、成人T細胞白血病(ALT)罹患している事を明らかにした北別府氏。以降、次男をドナーとする骨髄移植を受けたものの、次々と病魔に襲われ、闘病生活を続けて来たが、昨日、天に召されてしまった。「65歳で、“精密機械”逝く。」、余りに若過ぎる。

・・・と記事を書いていたら、更なる訃報が。フォークボールと呼ばれた杉下茂氏が、12日に肺炎にて亡くなられていたとの事。97歳という事で、“大往生”と言って良いだろう。「1950年代にプロ野球の監督を務めた人物としては、最後の存命者だった。」との事だが、現役時代の監督時代も知らない自分にとっては、杉下氏=名投手コーチのイメージだ。

“精密機械”と“フォークボールの神様”が天に召された事に合掌


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