ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「紙の梟 ハーシュソサエティ」

2022年09月23日 | 書籍関連

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被害者のデザイナーは、目と指と舌を失っていた。彼は何故、こんな酷い目に遭ったのか?(「見ざる、書かざる、言わざる」)

孤絶
した山間別荘で起こった殺人。然し論理的に考えると、犯人は此の中にない事になる。(「の中のたち」)

頻発
する虐め。だが、或る日、虐めの首謀者中学生が殺害される。驚くべき犯人の動機は?(「レミングの群れ」)

俺は、彼奴を許さない。姉を殺した犯人は、死を以て裁かれるべきだからだ。(「は忘れない」)

・或る
日、恋人が殺害された事を知る。然し、其の恋人は、存在しない人間だった。(「紙の」)
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1つ1つが独立した、5つの短編小説から構成されている「紙の梟 ハーシュソサエティ」(著者貫井徳郎氏)を読了賛否何れか一方に偏りそうな重いテーマを取り上げ、深く切り込んで行く作風の物が多い。」のが貫井作品の特徴だが、今回の作品は「死刑制度」をテーマとしている。

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ここに至り判決の傾向は大きく変容した。疑わしきは罰するしかもただそれだけではなく、厳罰化を望む声がその傾向に乗っかった。そもそも、厳罰化は裁判員制度が始まる前から望まれていたことだった。そうした市民の“素朴な感情”に、裁判員実直応えるようになったのである。(中略試行錯誤を経た結果、死刑判決の揺らぎはなくなった。人ひとり殺したら死刑。このルールはわかりやすく、市民に歓迎された。
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「見ざる、書かざる、言わざる」に記された文章からの抜粋だ。5つの短編小説に共通するのは、「人を複数人殺害しなければ、原則的に死刑にはならない現在。」では無く、「人1人殺したら死刑になる世界の話。」を舞台にしている事。

「人を国家が、合法的に殺す。」のが「死刑」という制度で在る。“人の死”が関わっているので、賛否両論在って当然だし、何方の立場を取るにせよ、「其れは、絶対に間違っている。」と指摘する気も無い。其れ程、死刑制度というのは重いテーマだから。

とは言え、我が国に在っては、死刑制度を支持する人が圧倒的多数。斯く言う自分も、過去に何度か書いて来た様に、死刑制度には賛成の立場を取り続けている。反対の立場を取る方々の主張には“納得出来る部分”も少なく無かったけれど、其れでも「自分の近しい人間が殺害されたら、加害者を絶対に許せないし、死刑にして欲しい。」という考えを変えさせるには到っていないのだ。

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復讐という概念は難しい。素朴な感情は、復讐をとするからだ。特に日本人は、仇討ちに思い入れがある。それがどんなに理不尽な行動であっても、仇討ちされる側ではなくする側に肩入れする。吉良上野介名君だったと知ったところで、赤穂浪士感情移入することは止められない。。「ああ、そうか。いじめっ子を殺した犯人は、赤穂浪士と同じ立場なんですね。」。そう指摘されると、腑に落ちる客観的には赤穂浪士は治安を乱すテロリストたちであり、だからこそ切腹免れられなかった。しかし世の人々は、死を覚悟して討ち入っ浪士たちに快哉を叫ぶまして今度の場合、いじめっ子は名君ではない。復讐される側の事情など、推し量る必要はなかった。素朴な感情は、ルールを超越する。ルールに従って切腹を強要されても、人はそこに美学見いだす。いじめっ子を殺した男が賞賛されるのは、言ってみれば伝統的に避けがたいことなのだ。
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「人1人を殺したら、加害者は死刑にすべき。」等、死刑制度賛成の立場を取る自分が持つ思いと同じ主張が、作品の中で“死刑制度賛成派の立場の人間の主張”として記されている。(自分の場合、「全部が全部を死刑にしろ。」という訳では無く、「永山則夫元死刑囚の様な情状酌量余地が在る場合は、死刑を求めないケースも在る。」と考えているけれど。)

其の一方、恐らくは著者の貫井徳郎氏がそういう立場だと思われるけれど、「紙の梟 ハーシュソサエティ」では「死刑制度は、本当に犯罪抑止力になっているのか?」、「犯行悔い改め、心からの反省をする加害者もないとは言えないので、死刑で命を奪うのでは無く、反省の思いを持って行き続ける道を与えるべきでは?」等、死刑制度反対という考えが色濃く出ている此れ等の主張、判らなくも無いけれど、矢張り自分の考えは変わらなかった。

「籠の中の鳥たち」という作品は、犯行動機が全く理解出来なかった。杓子定規な考え方ならば、そういう動機も在り得るのだろうが・・・。

「レミングの群れ」という作品は、早い段階で結末が見えた。「人は色んな“顔”を持っており、『こうだ。』と信じ込んでいた“顔”が、実は“本当の顔”では無かった。」というのは良く在る事。背筋が寒くなる結末では在るが、100%想定内の結末だった。

一方で「猫は忘れない」という作品は、“或る物”が記された時点で、「此れが、謎解きの物証になるんだろうな。」と想像が付いたけれど、「どういう形で、謎解きに使われるのか?」が判らなかった。「そういう事か!」という驚きは在る。

一番印象に残ったのは、表題にもなっている「紙の梟」。話が進んで行くに連れ、「とんでもなく不快な結末になるのだろうな。」と予想していたけれど、豈図らんやホッとさせられる結末だった。最後に登場する或る人物の意外な正体には、遣られた感が。

副題の「ハーシュソサエティ」とは、英語で「harsh society」と記し、「厳しい社会」と訳される。現在の日本は、「只管に重罰化を望み、息苦しくも厳しい社会。」という思いが、著者には在るのだろう。「度が過ぎた重罰化はどうかと思うが、或る程度の重罰化は仕方無し。」と考える自分なので、完全に同意は出来ないけれど、判らないでも無い面は在る。

総合評価は、星3.5個とする。


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