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娘の小学校受験が終わったら離婚する。そう約束した仮面夫婦の2人。彼等に悲報が届いたのは、面接試験の予行演習の直前だった。娘がプールで溺れた。病院に駆け付けた2人を待っていたのは、残酷な現実。そして医師からは、思いも寄らない選択を迫られる。過酷な運命に苦悩する母親。其の愛と狂気は成就するのか。
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東野圭吾氏の小説「人魚の眠る家」は、 プールで溺れて“脳死状態”となった娘を、機械によって生かし続ける両親の話。「脳死」と「臓器移植」という、センシティヴなテーマが扱われている。
「脳死」や「臓器移植」に付いては、其れなりに理解している積りだった。だが然し、此の小説を読んで、知らない現実が多い事を痛感させられた。例えば「海外で臓器移植を受ける際、高額な費用が掛かる。」点。ニュース番組等で「XXちゃんの心臓移植の為、募金を御願いします。」といった活動を時々目にするが、募金の目標額が数億円と莫大な金額なのが常。「何で、そんなに高額なんだろう?」と思っていた。現実を知っている人からすれば常識なのだろうが、記されている“高額で在る理由”を読んで、「そういう事だったのか・・・。」と腑に落ちた。
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「今、脳死した時っておっしゃいましたよね。でも、厳密には、臓器移植に同意しないかぎり、脳死したかどうかはわかりません。判定を行いませんから。判定しないから、医者は、おそらく、という言い方をします。おそらく脳死だ、というふうに。でもこの言い方では、親は踏ん切りがつきません。心臓が動いていて、血色もいいんです。我が子の死を認めたくないというのは、親なら当然です。だから法律を改めるべきなんです。医者が脳死の可能性が高いと判断したなら、さっさと判定すればいいんです。それで脳死だと断定できれば、その時点で死亡として、すべての治療を打ち切る、もし臓器移植の意思があるならばそのためだけに延命措置を取る―そう決めればいいんです。それなら親は諦めがつきます。臓器の提供者も増えるはずです。」。
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以前にも書いたが、“機械等によって生かされている状態”というのには、強い違和感を覚える。仮に自分がそういう立場になったら、機械等を止めて、死なせて欲しい。だが、其の一方で、近しい人間がそういう立場になったら、“機械等によって生かされている状態”で在っても、「生かされ続けて欲しい。」という気持ちも在る。脳死状態となっても、肉体が成長し続けたりするのだから、余計にそういう思いは募るだろう。
だから、此の小説に登場する両親の気持ちは判らないでも無いが、機械によって娘の肉体を動かし、其の事で大喜びをする母親を不気味に感じる人達の思いも、同時に理解出来るのだ。正直、此の母親の言動は非常にエキセントリックで、付いていけない所が在るから。
冒頭に登場する少年が、以降はずっと登場しなくなる。「何だったんだろう?」と思っていたら、最後の最後に登場。“在り勝ちな落ち”では在るが、心は和む。
募金活動を行う団体の前に現れた、謎多き女性・新章房子(しんしょう ふさこ)の正体には、「えーっ。」と驚かされた。又、次の展開が気になって気になって、どんどん読み進ませてしまう筆致力も凄い。「脳死」や「臓器移植」に付いて、改めて考えさせられた作品だ。
東野作品で一番好きなのは「魔球」だが、今回読んだ「人魚の眠る家」は、彼の代表作の1つになると確信。総合評価は、星4.5個。