以前にも書いた事だが、子供の頃より“混み合う場所”が苦手という事も在り、“大々的なイヴェント”に足を運んだ事は殆ど無い。昔からオリンピックには興味が無かったし、“万博”には一度も行っていない。
現在発売中の雑誌「昭和40年男」(6月号)は、「俺たちを興奮させたでっかい夢 昭和イベント大全!!」という巻頭特集が組まれ、“昭和”という時代に開催された様々なイヴェントを取り上げている。上記した様に、大々的なイヴェントに足を運ぶ機会は殆ど無かった自分だけれど、当時のニュース映像等で様子は見たりしていたので、懐かしくは在った。イヴェントの内容其の物では無く、「当時、自分はこんな事をしていたっけ。」という思い出が蘇ったから。
で、「昭和40年男」では、1970年に開催された「日本万国博覧会(EXPO’70)」も取り上げられていた。当時11歳で、何度も会場に足を運んだという嘉門タツオ氏。各パヴィリオンに行くと、様々なバッジが貰え、彼は64種類を集めたそうだ。(其れでも、「彼が通っていた小学校では、第3位の数だった。」というのだから、上には上が存在するのだ。)万博の魅力に魅了された彼は、以降、万博に関するコレクション&研究を続け、今では“芸能界切っての万博マニア”と呼ばれているとか。
嘉門氏のコレクションの一部が紹介されているのだが、大笑いしてしまったのは「外国人から貰ったサインやスタンプが押された大学ノート」。“外国人から貰ったサイン”というが、恐らくは有名人の物では無いだろう。当時、万博を訪れた人達が「各パヴィリオンの外国人スタッフ達や外国人客達から、サインを貰い捲っていた。」という証言をしているのを良く見掛けるが、要するに“一般の外国人のサイン”だと思われる。
今の若い子達からすれば「一般の外国人のサインなんて、どうして貰っていたの?」と不思議でならない事だろう。でも、当時を知っている自分からすると、不思議さは無い。当時、TV番組でロイ・ジェームス氏やイーデス・ハンソンさん、E・H・エリック氏、岡田真澄氏等の所謂“外国人タレント”は出演していたものの、“日本語も話せる変な外国人”という際物的な扱いで、街中で外国人の姿を見掛ける事なんて、都会で在っても珍しかったから。そんな時代だったからこそ、一般人では在っても、外国人というだけで、“有名人”の様なイメージが在ったのだ。
今から17年前、「ミャンマーの政変で想う事」という記事を書いた。40数年も前になるけれど、自分が通っていた小学校にミャンマー(当時の国名は「ビルマ」)から転校生が遣って来た時の事をちらっと触れたのだが、当時も街中で外国人の姿を見掛ける事が珍しかったっけ。