ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

ならぬ事はならぬものです

2006年10月30日 | 教育関連
以前にも書いたのだが、自分は勝者の側よりも敗者の側に美学を感じてしまう。それ故に、崩壊して行く江戸幕府に対して愚直な迄の忠義心で殉じ、敗れ去って行った会津藩にはかなりの思い入れが在る。勝者の側の戦死者に対して悼む心は在るが、それ以上に敗者の側の戦死者に心が向かってしまう。

会津藩の悲劇を語る時、白虎隊に代表される若き者達の死を外せないだろう。飯盛山には過去3度足を運んだが、その度に無念の内に生を終えざるを得なかった彼等の哀しみが130有余年の時を経て伝わって来るし、同時に表面的とはいえ平和な世に生かされている我が身の幸福を感じる。

会津藩の武士の人格形成に、同藩の藩校日新館が大きく寄与していたと言われる。同藩の上級藩士の子弟は10歳になると同校に入学し、文武両面を鍛え上げられて行った。最大時には全国で255校もの藩校が在ったとされるが、その中でも日新館は指折りの教育機関だったと言える。

日新館入学前の6~9歳の子供達は、「什(じゅう)」という集団を形成して遊び、夕方に開かれる反省会に於いて「ならぬ事はならぬものです。」という結びの一文で有名な「什の掟」を毎日唱えていたとされる。

*****************************
「什の掟」

1. 年長者の言う事に背いてはなりませぬ。

2. 年長者には御辞儀をせねばなりませぬ。

3. 嘘を言うてはなりませぬ。

4. 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。

5. 弱い者を虐めてはなりませぬ。

6. 戸外で物を食べてはなりませぬ。

7. 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。

ならぬ事はならぬものです。
*****************************

虐めが原因で自殺したとされる生徒のニュースが続いている。教育現場に於ける虐めの問題は陰湿化の一途を辿っているが、そんな中「什の掟」が教育関係者の間で注目を集めているという。4項の「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。」と、5項の「弱い者を虐めてはなりませぬ。」を特に重要視しての事だろう。「現代風にアレンジして、生徒達に教えたい。」という声が、多くの学校から上がっているとか。

1項の「年長者の言う事に背いてはなりませぬ。」には、「年長者の言う事が必ずしも正しいとは限らない。誤った事に対しては、毅然と反対する勇気を持つべき。」とか、3項の「嘘を言うてはなりませぬ。」には、「それこそ、虐めの事実を隠蔽する為に嘘を付きまくっている学校側が肝に銘じる言葉ではないのか。」という思いが在る。6項の「戸外で物を食べてはなりませぬ。」というのも、現代に於いて守らせるのは不可能と言えるだろう。7項の「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。」に到っては、自分が生徒の立場ならば拷問に近い掟だ。

・・・といった冗談は抜きにしても、世の中には『ならぬ事はならぬもの』も在るのだ。と小さい内から教えるのは重要だと思う。理屈や理論では無く、小さい内には「ならぬ事はならぬもの。→理屈抜きで守らなければならない事。」が在ると、この年になって強く思う。何でもかんでも抑制するというのは大反対だが、”或る程度の”抑制は小さい内に必要で、それが在るからこそ社会への適応性が磨かれて行くし、大人になった時の自由さが満喫出来る面が在る。何でもかんでも子供の意向に沿うのは、真の愛情では無いと思う。

「馬鹿らしい。」と思う教えでも、それを何度か唱える内に、自ずと心がその方向に向かう事は在るのではないか。その意味では、現代版「什の掟」を生徒達に教えるのは決して無意味ではないのかもしれない。否、”掟”を心に刻み込まなければならないのは、寧ろ我々大人達なのかも・・・。

コメント (8)    この記事についてブログを書く
« ミイラやら化け物やらを見て... | トップ | ハロウィーンって定着したの... »

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
会津藩の (帆印)
2006-10-31 00:53:58
什の教え、それはとてもいいことだね。

ならぬものはならぬものです。

勿論今の時代には、そぐわないのもあるがね。



でも会津藩の地元ってさぁ、どうして、あの場所と(あえて言いません)と仲が悪いのかねぇ?



って思ってしまうね。
返信する
良い考えです (アラメイン伯)
2006-10-31 08:37:47
会津藩の教えですか。

私も会津藩のこの教えは素晴らしいと思います。

7番は削除して今の子供達に教えましょう!



今の日本に欠如してるのは武士道というか、以前、自分のブログにも書いたのですが英国流のノーブレス・オブリージュという考え方がないと思います。

卑怯な振る舞いは恥ずかしいことなのです。





私は敗者に美学を感じるほうではないですが、例外的に江戸幕府には感じます。特に小栗上野介が好きです。
返信する
7を除くことに賛成 (マヌケ)
2006-10-31 09:37:01
これはいいですね。 毎朝授業前に声に出して読み上げてみてはどうかなと思うのですが。 年長者は目下の者に恥じぬよう行動せねばならないでしょうし。 ところで、自分の大学時代は教師になるのは一般企業を一通り受けて全部ダメだったので最後の道として教員採用試験を受けてたような気がします。 そういう人がたくさんいたような気がしますので、教師に対してはあまり信頼が持てませんね。 教師は生徒の師たるべきが、そうでない現実は自分には簡単に理解できるのですが。  
返信する
会津藩といえば (破壊王子)
2006-10-31 11:50:22
藩祖、保科正之公は会津藩に国替えになるまでは信州高遠藩でした。この人の数奇な人生が会津藩の藩風と運命の元です。

子供がナイフで簡単に人を刺す昨今ですが、腰に人斬り専門の道具を二本も差していた時代の方がマシに見える。

アノミー(無規範状態)の怖さがじわじわと押し寄せてきたのではないでしょうか?
返信する
昔の親は・・・ (ハムぞー)
2006-10-31 20:57:45
ここまで古くなくとも昔の大人は
子供に「力でねじ伏せ、絶対にいけないこと」
を教えました。
「子供だからダメ」という部分がありました。
(飲み屋に子供を連れて行くなど。昔は×)

今は子供を大人と同じ人間として同等に扱うようになっています。
しかし子供は義務は果たせません。
誰かの世話になっているのです。

そのことに気づかない。
だから権利ばかり主張し、義務を果たさないような気がします。


そういえば、親に
「アカン言うたらアカンねん」
と言われたものでした・・・
返信する
>マヌケ様 (giants-55)
2006-10-31 23:57:40
書き込み有難うございました。

「什の掟」良いですよね。最初にこの”掟”を知ったのは、大昔に「歴史読本」という月刊誌を読んだ時の事だったと思うのですが、人間として絶対に守らなければならない事(一部は疑問ですが(笑)。)が簡潔な文章で記されている事に感動しました。

何時の時代で在っても、所謂”デモシカ教師”は存在している(いた)と思うのですが、勿論必死で頑張っている教師も居るんですよね。それに最初は情熱に燃えていた教師でも、「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、月日が経つと悪い意味で”染まってしまう”ケースも多そうな気が。
返信する
幕末の会津藩は (higu)
2006-11-05 00:48:08
学会では必ずしも評価が高くない様なんですよね。特に松平容保はあまりいい評価を聞きません。この人の人望のなさは有名だった様です。藩士の多くが反対したのにも関わらず京都守護職に就いてしまった、のもその理由でしょうか。存在感や指導力も乏しく、何度も京の街に死亡説が流布したそうですし。
戊辰戦争でも厳しい見方をすれば「会津が東北全部を巻き添えにした」という事も言えるでしょうか。仙台の伊達や米沢の上杉はしきりに会津へ降伏する様勧めていましたが会津は長岡が官軍に落ちた後も頑固に拒否し続け、結局は戦う事となりそして敗北。白虎隊の悲劇もそもそも「国境付近の峠に殆どの兵力を集中し鶴ヶ城城下ががら空きになり、その結果予想外のルートで進軍してきた官軍に対し対抗するために年寄りの玄武隊やら少年の白虎隊やらを慌てて組織した」訳ですから。
戦後家老が責任を負う形で切腹し容保は生き延びます。“忠義”と言えば聞こえはいいですがようは「状況判断ができていなかった」と言ってしまえばそれまででしょうか。敗者へは私もついつい感情移入してしまいますが上記の理由で会津、というより松平容保にはあまり同情できません。

どうも私は歴史を「学問」として捉えてしまうのでこういう見方になってしまいます(笑)。私も歴史にロマンを感じがちな人間です。しかし白虎隊等の「美談」は維新後に新政府が盛んに宣伝したものでどうも素直に受け取れないです。
返信する
>higu様 (giants-55)
2006-11-05 02:29:56
書き込み有難うございました。

歴史って時の権力者にとって都合の良い様に捻じ曲げられたり、捻じ曲げられたとは言わない迄も、都合の良い部分を意図的にピック・アップして来た面が無いとは言えないですよね。白虎隊の悲劇も、明治新政府が意図を持って必要以上に煽り立てた面も在るのかもしれません。唯、それを含んでも、日本人の情感に訴えるものが在るんですよね。

松平容保に関しては確かに否定的な見解が多く、自分も彼の日和見的な部分が会津藩をより悲劇に巻き込んでしまった様に感じています。トップの下す決断によって、下々の者達の環境が良くも悪くもなるというのは、何時の世に在っても不変の原理なのでしょう。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。