ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

不快な言葉

2010年12月18日 | 時事ネタ関連
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米国人が最もイライラする言葉、『どうでも良い。』=調査」(12月14日、ロイター

米マリスト大学の調査で、米国人が最もイライラする英語表現は、2年連続で「whatever」(どうでも良い)だった事が判った。

調査に回答した1,020人の米国人の内、約39%が不快な言葉に「whatever」を挙げ、28%は「like」(という感じ)、15%は「you know what I mean」(判るでしょ)を選んだ。

マリスト大学のMary Azzoli氏は、「此れ等の言葉は映画等のポップ・カルチャーによって浸透し、良く使われている。」と説明。「whateverは使い方によっては、人を見下している様に受け止められる。」と話し、其の言葉を使う状況によっても意味が変わる事を指摘した。

其の他、「to tell you the truth」(実を言うと)や「actually」(実は)も、多くの人から最も不快な表現に挙げられた。
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以前書いたと思うけれど、自分が新入社員だった頃に先輩から指導された或る事柄が今でも忘れられない。当時はインターネットなんぞ普及しておらず、海外との文書の遣り取り専らFAXだった。英単語を並べ立てただけの御粗末な英文を先輩が添削してくれたのだが、其の際に言われたのが「疑問符(?)や感嘆符(!)は、安直に用いない方が良い。御互いを深くしっている間柄なら未だしも、そうじゃない場合には『?』や『!』の付いた文章を見て、『そんな事も知らないの?』といった蔑みや非難を相手が感じてしまう事も在るから。」という事。然して深い考えも無く疑問符や感嘆符を多用していた自分にとって、先輩の言葉は雷に打たれた様な思いが在り、其れ以降は文章を書く上で留意する様になった。(ネット上で余りにも安直に「」の文字が用いられているのも、個人的にはどうかという気がしている。明らかに悪意を持って用いているケースは論外だけれど、そうじゃない場合でも受け取る側が誤解をし兼ねない事も念頭に置かないといけないだろう。)だから「whateverは使い方によっては、人を見下している様に受け止められる。」というMary Azzoli氏の指摘も、頷けなくは無い。

「どうでも良い」、「という感じ」、「判るでしょ」、「実を言うと」、「実は」というのが少なからずのアメリカ人が不快に感じる言葉という事だが、此れ等の言葉に共通するのは本音を隠した曖昧な表現という感じがする。「白黒をハッキリ付けたがる。」というのがアメリカ人に概して見られる傾向だけれど、そういった一端垣間見られる結果と言えるのかもしれない。

一方、「曖昧さは、必ずしも悪い事では無い。」と傾向が我が国には在り、其の事が絵画や文学等の文化に反映される面も在った。しかし近年は、“過度に”白黒を付けたがる人が増えている様に感じる。何事にも仮想敵を作り上げ、「郵政民営化に賛成しない者は、全て抵抗勢力だ!」といった感じで「白か黒しか存在し得ない様な雰囲気」を打ち出す手法を得意とした小泉政権以降、そういった傾向が強まっていったいった様に感じる。嘗ては自分も「曖昧さ」が好きじゃなかったけれど、馬齢を重ねる犯罪に関しての処罰は厳格で在るべきだが、一般的な事柄に関しては“或る程度”曖昧さが在っても良い。と考える様になった。曖昧さが社会の潤滑油足り得る事も知ったし、其れが延いては文化を育む土壌にもなるだろうし。

自分の考えと100%同じだと「愛国の」と大絶賛、そして寸分でも違うと「売国奴」だ「反日」だと狂った様に痛罵する様な政治家が居る(そういった連中程、自分や身内に対しては過度に寛容。)けれど、そんな「黒か白しか存在し得ない。」という人間ばかりの世界には住みたくない。

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6 コメント

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!、?、(笑)等の多用。 (しずっぺ)
2010-12-18 08:48:49
今回の記事には、反省させられました。おっと、またもうちょっとで、感嘆符をつけるとこでした。確かに、大して考えることもなく、不用意にこれらを使っていました。ここ近年、何事においても、変化が激しく、深く思い至ることなく、大きな声に引っ張られて行ってしまうこともしばしば。恐いことですね。今、私たちが有している“言論の自由”の大切さを、北朝鮮、中国、ロシアの現状を見るたび、ヒシヒシ感じます。絶対に、安易に流されないようにしなければ!(感嘆符の使用をお許しあれ。)

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Unknown (spa supernova)
2010-12-18 19:12:32
ネットスラングのようなものは
あまり大人が多用すると
「頭悪そう」と思われるかもしれませんね。
あと「~ですよ?」の?が鬱陶しい。

>like

~みたいなーという表現も最初はイラっとしました。
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>しずっぺ様 (giants-55)
2010-12-19 02:39:21
書き込み有り難う御座いました。

社会に出たばかりで右も左も良く判らなかったあの頃、先輩から教わった「文章の書き方」には目から鱗が落ちる思いが在りました。そこそこ社会人生活を送った頃にそういった指導を受けたとしたら、「そんな事、どうでも良いじゃない。」という反発が在ったかもしれません。「良いタイミングで、良い事を言ってくれたのだなあ。」と、今でも其の先輩には感謝の思いが。

声が大きい人物の意見ばかりが優先され、そうで無い意見は封殺されてしまう。此れは本当に怖い事ですよね。北朝鮮や中国、ロシア等の問題点を声高に叫びつつ、其の一方で自分達が全く同じ事をしているのに気付いていない。個人レベルの話で言えば笑いで済みますが、そういった連中が居るのが国家の中心に近ければ近い程、決して笑えない話。極論を吐くのは自由だけれど、同時に自分とは相容れない意見にも真摯に耳を傾ける懐の深さが無いと、政治家としては失格と言えましょう。
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>spa supernova様 (giants-55)
2010-12-19 02:43:31
書き込み有り難う御座いました。

何事も「TPO」を弁えるのが肝要。真剣に議論をしているのに、時宜を弁えない用語や文字を挟み込むと、議論其の物が陳腐な物に化してしまう。相手を小馬鹿にする目的でそういった事をわざわざする人も居るけれど、「器が小さいなあ。」と憐憫の情すら湧いてしまう。

此れは自分にも言える事だけれど、「相手から嫌われたくない。」という思いが強過ぎる余りに、曖昧な表現を意図的にしてしまうというのは在りますね。「~みたいな」という表現は自分も好きじゃないけれど、使われる背景にはそういった理由も在るのでしょう。
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Unknown (3518)
2010-12-20 12:34:08
オアシスのWhateverは国歌にしろという論議が起こったくらいの名曲です。 若者の自由は成りたいと思うことになんでも成れるところにあるというWhateverです。 ビールのCMのたびにさびの部分が流れて映像ともマッチしていてイイカンジでした。 そういえばFreedomをもじってFreedumnという、自由だ、わりいかよ!というようなTシャツのアメリカ人もいました。 Tシャツの英語の意味不明さやそれ着てアメリカを歩いたらまずいんじゃないの的なものをわざと着てまわる危ないチャレンジャーもいました。 
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>3518様 (giants-55)
2010-12-20 14:46:31
書き込み有り難う御座いました。


洋楽に関しては絶望的に知識の薄い自分ですが、そういう曲が在るのですね。whateverには元記事に在る様に「どうでも良い」という投げ遣りな意味合いが在る一方で、「どんな事が~しても」とか「~する事は何でも」といった、或る種「強い意志」を感じさせる意味合いも在ったりします。同じ言葉でも色んな意味合いを含んでいる。此れは言葉だけに限らず、人間や物の考え方等にも言える事で、だからこそ「唯一無二的な思考を強いるスタンス」にはどうしても違和感を覚えてしまいます。
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