「ウルトラマンメビウス」(動画)に「思い出の先生」(動画)という回が在ったが、“良くも悪くも”「思い出に残る先生」というのが誰にも居ると思う。自分の場合、「悪い意味で思い出に残る先生」と言えば、小学校5&6年の時の担任だったT先生(男性)。職員室のみならず、教室内でもスパスパと煙草を吸い捲っていたのは未だしも、依怙贔屓の激しさが堪らなく嫌だった。成績が良い生徒は徹底的に贔屓し、そうで無い生徒は歯牙にも掛けない。劣等生の自分は、当然後者の扱い。「優秀な生徒の家に、何度か家庭教師に行っていた。」事がバレて父兄会で問題になる等、どうしても好きになれない先生だった。
逆に、「良い意味で思い出に残る先生」も居る。矢張り小学校時代の先生だが、1&2年時の担任だったO先生(女性)もそうだけれど、何と言っても3&4年時の担任だったH先生(男性)が忘れられない。結果的には別の道を歩む事になったけれど、自分が「学校の先生になりたい。」と一時期思う様になったのは、H先生が居たからだ。当時は恐らく40代前半位の年齢だったと思うが、非常に細身で、黒縁の眼鏡を掛け、何時も笑みを絶やさない人だった。彼もヘビー・スモーカーで(教室で煙草を吸う事は無かったけれど。)、休み時間になると銀色の仁丹をパカパカと口に放り込んでいたっけ。
生徒を贔屓する事無く、自分の様な劣等生ですら可愛がってくれた。生徒の話を御座なりに聞く事は無く、常に真剣に聞いてくれて、悪い事をした時には小っ酷く叱られたけれど、叱った後には何時もの様に優しい表情を見せてくれたもの。「父親の肩揉みを良くしている。」という話をした際、「じゃあ、先生の肩を一寸揉んでくれるか?」と言われて喜んで揉んだ所、「本当に上手いなあ。」と笑顔で褒められたのが本当に嬉しかった。其れ以降、先生の元に行っては何度か肩揉みをしたのが懐かしい。
4年の夏だったろうか、先生の家に遊びに行った事が在る。と言っても、自分一人で行った訳では無い。「夏休みに、先生の家に遊びにおいで。」と教室でH先生が皆に言い、クラスメートを4つの班分けにした上で、4回に分けで家に呼んでくれたのだ。先生が住んでいたマンションの最寄駅に集合し、其処に先生が来てくれて、マンション迄歩いて行った。家には先生の奥様と高校生位の御嬢さんが居られ、皆で話をしたり、一緒にカレーライスを食べたりして、とても楽しかった。当時は何とも思わなかったけれど、大人になった今思うのは、「全部で40人以上の生徒達を迎え、カレーライスを作ったりされた奥様達は大変だったろうなあ。」という事。又、今こういう事をしたら、他のクラスの担任からは「変なイベントしないで下さい!うちもしなければいけなくなるじゃないですか!!」と抗議を受ける可能性は高いだろう。(他のクラスの生徒の親達からも、「特定のクラスだけが、そういうイベントをするのは不公平!」という抗議が出る可能性も。)何とも世知辛い世の中だ。
小学校を卒業し、自分は引っ越しをした。小学校時代の友人とも疎遠な状態に。卒業から数十年経った或る日、兄弟からショッキングな話を聞かされた。兄弟は自分と同じ小学校に通っていて、卒業後もクラスメートと連絡を取り続けていたのだが、「うちの兄が、H先生を凄く慕っていた。」といった話をした所、「えっ、あのH先生なら、数年前に亡くなられたと聞いたよ。」という答えが返って来たと言うのだ。其の話を聞いた時、冗談では無く、目の前が一瞬真っ暗になった。「数年前なら、H先生は恐らく60歳前後ではないか。そんなに早く亡くなられたって嘘だろ!?」と。
疎遠になっていた同級生の一人に連絡を取って確認してみた所、「自分も別の同級生から、『H先生が亡くなられたらしい。』という話を聞いた。『嘘だろ!?』と思い、当時の住所録にH先生の自宅の電話番号が載っていたので電話したけど、全く無関係な人が出た。多分、御家族は引っ越されたんだろう。」という答えが。
「H先生は本当に亡くなられたのだろうか?もし亡くなられているのならば、せめて仏前で手を合わせたい。」という思いが、其れ以降ずっと心の中を占めていた。兄弟から話を聞いて半年程経った頃、H先生のマンションを訪問してみる事に。卒業してから数十年経っていたが、うろ覚えの記憶を頼りに何とか当該マンションを見付け出した。でも先生の部屋だった所には別の名前のプレートが掛かっており、念の為マンション中を捜したが、H先生の名前は見当たらなかった・・・。
逆に、「良い意味で思い出に残る先生」も居る。矢張り小学校時代の先生だが、1&2年時の担任だったO先生(女性)もそうだけれど、何と言っても3&4年時の担任だったH先生(男性)が忘れられない。結果的には別の道を歩む事になったけれど、自分が「学校の先生になりたい。」と一時期思う様になったのは、H先生が居たからだ。当時は恐らく40代前半位の年齢だったと思うが、非常に細身で、黒縁の眼鏡を掛け、何時も笑みを絶やさない人だった。彼もヘビー・スモーカーで(教室で煙草を吸う事は無かったけれど。)、休み時間になると銀色の仁丹をパカパカと口に放り込んでいたっけ。
生徒を贔屓する事無く、自分の様な劣等生ですら可愛がってくれた。生徒の話を御座なりに聞く事は無く、常に真剣に聞いてくれて、悪い事をした時には小っ酷く叱られたけれど、叱った後には何時もの様に優しい表情を見せてくれたもの。「父親の肩揉みを良くしている。」という話をした際、「じゃあ、先生の肩を一寸揉んでくれるか?」と言われて喜んで揉んだ所、「本当に上手いなあ。」と笑顔で褒められたのが本当に嬉しかった。其れ以降、先生の元に行っては何度か肩揉みをしたのが懐かしい。
4年の夏だったろうか、先生の家に遊びに行った事が在る。と言っても、自分一人で行った訳では無い。「夏休みに、先生の家に遊びにおいで。」と教室でH先生が皆に言い、クラスメートを4つの班分けにした上で、4回に分けで家に呼んでくれたのだ。先生が住んでいたマンションの最寄駅に集合し、其処に先生が来てくれて、マンション迄歩いて行った。家には先生の奥様と高校生位の御嬢さんが居られ、皆で話をしたり、一緒にカレーライスを食べたりして、とても楽しかった。当時は何とも思わなかったけれど、大人になった今思うのは、「全部で40人以上の生徒達を迎え、カレーライスを作ったりされた奥様達は大変だったろうなあ。」という事。又、今こういう事をしたら、他のクラスの担任からは「変なイベントしないで下さい!うちもしなければいけなくなるじゃないですか!!」と抗議を受ける可能性は高いだろう。(他のクラスの生徒の親達からも、「特定のクラスだけが、そういうイベントをするのは不公平!」という抗議が出る可能性も。)何とも世知辛い世の中だ。
小学校を卒業し、自分は引っ越しをした。小学校時代の友人とも疎遠な状態に。卒業から数十年経った或る日、兄弟からショッキングな話を聞かされた。兄弟は自分と同じ小学校に通っていて、卒業後もクラスメートと連絡を取り続けていたのだが、「うちの兄が、H先生を凄く慕っていた。」といった話をした所、「えっ、あのH先生なら、数年前に亡くなられたと聞いたよ。」という答えが返って来たと言うのだ。其の話を聞いた時、冗談では無く、目の前が一瞬真っ暗になった。「数年前なら、H先生は恐らく60歳前後ではないか。そんなに早く亡くなられたって嘘だろ!?」と。
疎遠になっていた同級生の一人に連絡を取って確認してみた所、「自分も別の同級生から、『H先生が亡くなられたらしい。』という話を聞いた。『嘘だろ!?』と思い、当時の住所録にH先生の自宅の電話番号が載っていたので電話したけど、全く無関係な人が出た。多分、御家族は引っ越されたんだろう。」という答えが。
「H先生は本当に亡くなられたのだろうか?もし亡くなられているのならば、せめて仏前で手を合わせたい。」という思いが、其れ以降ずっと心の中を占めていた。兄弟から話を聞いて半年程経った頃、H先生のマンションを訪問してみる事に。卒業してから数十年経っていたが、うろ覚えの記憶を頼りに何とか当該マンションを見付け出した。でも先生の部屋だった所には別の名前のプレートが掛かっており、念の為マンション中を捜したが、H先生の名前は見当たらなかった・・・。