BS12では現在、ドラマ「寺内貫太郎一家」【動画】が再放送されている。1974年に初めて放送された此のドラマは、名脚本家・向田邦子さんが脚本を担当した作品。当時は毎週、夢中になって見ていた。
範疇で言えば「コメディー調のホームドラマ」という事になるのだが、単に面白いだけの内容では無い。面白さの中に「孤独」や「老い」、「死」というテーマが時折盛り込まれ、爆笑させられた後にしんみりさせられ、涙ぐんだりもさせられるドラマで、「向田さんが真骨頂を発揮した作品。」とも言える。そんな素晴らしい作品だからこそ、マツコ・デラックス氏が寺内貫太郎に扮する【動画】等、未だに多くの人の記憶に刻み込まれているのだ。
脚本も素晴らしいが、出演者も非常に良かった。此の作品で俳優としてデビューした小林亜星氏は、演技面でぎこちなさは在るものの、“昭和の頑固親父”を実に味わい深く演じていたし、周りを固める俳優達が本当に良かった。芸名が「悠木千帆」だった頃の樹木希林さんが婆さんに扮し(当時は、何と31歳!)、腰をくねらせ乍ら「ジュリ~っ!」と絶叫するのが名物だったが、加藤治子さんが同様の事をした【動画】際には爆笑してしまった。又、伴淳三郎氏や由利徹氏といった“昭和の名喜劇人”が爆笑させ、しんみりとさせ、そして泣かせる演技を見せていたっけ。
「寺内貫太郎一家」で忘れちゃいけないもう1人の喜劇人が、昨日亡くなられた。「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」【歌】を歌っていた事でも知られる左とん平氏だ。心不全にて、80歳で亡くなられたと言う。冠婚葬祭関連のCMにずっと出ておられたが、別の方が変わって出ていたので、「どうしたのかなあ?」と思ったのが昨年の事。「昨年6月に急性心筋梗塞で倒れ、ずっと闘病されていた。」事を、今回の訃報で初めて知った。
「博打で逮捕され、一時は芸能界から干されるも、再び復帰&活躍出来る様になったのは、芸能界の重鎮達から救いの手が差し伸べられたから。」と言う。そんな何とも憎めない雰囲気が、彼には在った。
「寺内貫太郎一家」が放送されていた当時、左とん平氏に顔がそっくりな同級生が居た。綽名が「とん平」だったのは言う迄も無い。彼は今、どうしているのだろうか?
脚本を担当していた向田邦子さんと伴淳三郎氏は37年前、由利徹氏は19年前、プロデューサーの久世光彦氏は12年前、(貫太郎の弟役だった)谷啓氏は8年前、そして加藤治子さんは3年前と、「寺内貫太郎一家」に関係し、鬼籍に入った人は何人か居る。今回、“昭和の名喜劇人”の1人・左とん平氏が亡くなられた事で、更に昭和という時代が遠くなった気がする。合掌。