自分は、「御笑い大好き人間」で在る。「何故、御笑いが好きになったのか?」を考えると、「ザ・ドリフターズの笑いを見て育った。」というのも在るが、「子供の頃、今は亡き父が良く御笑い番組を見ていて、其れを自分も一緒に見ていた。」というのも、結構大きな要因だと思う。
父が欠かさず見ていた御笑い番組の1つに、「大正テレビ寄席」というのが在った。大正製薬1社がスポンサーの公開放送で、自分が見ていた頃は、日曜の12時から12時45分迄の放送。「落語や漫才、コント、物真似、漫談、マジック、パントマイム、腹話術、音楽ショー等々。」と、様々な分野の芸を1つの番組内で見せるのは今でこそ珍しく無いが、「大正テレビ寄席」は其のパイオニア的存在ではなかったろうか。獅子てんや・瀬戸わんや両氏や青空球児・好児両氏、東京ぼん太氏、ケーシー高峰氏、ゼンジ―北京氏、東京コミックショウ等々、数多くの芸人を此の番組で知った。
「東京テレビ寄席」の司会を務めていたのは、1人の漫談家。ウクレレを弾き乍らの定番の口上、「日曜の御昼だよ~。『大正テレビ寄席』の時間が来ました~。今日も楽しく、観て頂戴。あ~んあんあ~、やんなっちゃった、あ~んあんあ~、驚いたっ!」で番組は始まる。其の後に芸人達が芸を披露するのだが、芸の合間には幾つかのコーナーが在り、自分が一番好きだったのは、其の漫談家が的屋スタイルで仕切る「バーゲン・セール」。
「バ~ゲンだよ~。」という彼の掛け声で、「バーゲン・セール」は開始。舞台に置かれた机の上には、赤と青の洗面器が伏せられていて、各々の洗面器の中には、何等かの品物が隠されている。中身が何か全く判らない儘、場内の観客はオークション形式で競り落としに掛かる。毎回、競り落とした金額は結構な高額で、選んだ洗面器を引っ繰り返すと、中身は大抵が束子等の安価な商品。だがしかし、「商品の他に必ず“御負け”がどっさり付き、此れ等が競り落とした金額を大幅に上回る高額で、競り落とした人はほくほく顔で商品を持って帰る。」というのが御約束。漫談家の巧みなトークと、「今日は、どんな御負けが付くんだろう。」という好奇心により、ついつい見入ってしまうコーナーだった。
父の仕事の関係で名古屋から関東に引っ越し、2年程経った頃だったろうか、現在は「渋谷ヒカリエ」となっている場所に当時在った「東急文化会館」に家族で行った際、其の地階で「大正テレビ寄席」の収録に使われていた映画館を実際に見て、物凄く感動したのを覚えている。「生で収録している所を、何時か見てみたいな。」という其の時の望みは、結局叶う事は無かったが・・・。
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「牧伸二さんが死去 多摩川に飛び込み自殺か」(4月29日、スポニチ)
ウクレレ漫談家の牧伸二(本名:大井守常)さんが29日、亡くなった事が判った。78歳だった。
29日午前0時、東京都大田区の丸子橋付近の多摩川に「男性が飛び込んだ。」との通報が在り、警察官が駆け付けた所、川に浮いている男性を発見。病院に搬送されたが、間も無く死亡し、家族が牧さんと確認した。
警視庁田園調布署は、自宅が現場近くに在る牧さんが川に飛び込み自殺を図ったと見て、調べている。橋には、牧さんが使っていたと見られる杖が残されていたと言う。遺書は見付かっていない。
東京都出身の牧さんは1960年代から1970年代に「あ~んあんあ~、やんなっちゃった、あ~んあんあ~、驚いたっ!」のフレーズをウクレレに乗せて、社会を風刺した「やんなっちゃった節」が人気を博した。1963年から現テレビ朝日の「大正テレビ寄席」の司会となり、番組は15年続いた。
2002年に脳出血を患い、療養していたが、最近でも舞台に立つ等、仕事に復帰していた。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
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【牧伸二氏】
“マキシン”事牧伸二氏【動画】が自殺したというのは、昨日の昼頃に速報で目にした。「嘘だろっ!」というのが、最初に思った事。良い意味で「のらりくらりとした雰囲気の牧氏」と「自殺」というのが、どうしても重ね合わせられなかったから。
続報によると「発作的な自殺」というのでは無く、「悩んだ末の自殺」という感じがした。50年来の友人というケーシー高峰氏によると、「近年は度を越した深酒を(牧氏が)していたので、何度か『控えた方が良い。』と忠告していた。」そうだ。「国民の事なんか一顧だにせず、私利私欲の充足のみを図ろうとする政治。」が幅を利かせている此の国だから、牧氏が「あ~んあんあ~、やんなっちゃった。」と其の事に絶望したとしても、気持ちは判らないでも無いけれど、自殺という選択肢は取らないで欲しかった。大好きな芸人の1人なだけに、本当に残念だ。
ポール牧氏(彼も、大好きな芸人の1人だった。)もそうだったが、「『人を笑わせる事』を生業にしている人間が、自ら死を選ぶ。」というのは、堪らなく哀しい。
此処数年、「昭和九年会」のメンバーが次々に鬼籍に入っているが、牧氏も其のメンバーの1人だ。同年齢の人間が亡くなるというのは身につまされる物だが、「昭和九年会」の残されたメンバー達も同様だろう。
「泉ピン子さんが牧氏に師事していて、其のデビューは漫談家としてだった。」というのは知る人ぞ知る話だけれど、彼女を芸能界にデビューさせたというのも、牧氏の功績と言えるのかもしれない。合掌。
「自殺」という言葉が引っ掛かったのかできませんでした。ので、コメント失礼します。
演芸協会の会長の重圧なのか
観客減に悩んでおられたのか
更に、脳出血のリハビリの後、以前のように
ウクレレが弾けなくなったからか
・・松鶴家ちとせさんも仰っておられますね。
長年の「やんなっちゃった」が言霊になっていたとしたら
辛いところです。
また、亜仁丸レスリーさんも54歳の若さで亡くなりました。引退後も愛されるキャラクターでした。
4月はたくさんの有名人がこの世を去りましたね。
あみーご長嶋様の書かれた記事にて、「サッカーの小野伸二氏の名前は、彼の母親が牧伸二氏の大ファンで、其れに因んで名付けた。」というのを知りました。ジャイアンツの阿部慎之助選手の「慎之助」という名前も、彼の母親がピーターさんの大ファンで、彼の本名「池畑慎之介」に因んで名付けたという事ですし、結構そういう例って在るんですね。
一発芸が幅を利かす近年の御笑い界に在って、「じわじわと笑いを誘う芸」を得意としている芸人は、行き辛い環境に在るのかもしれません。残念な話です。
亜仁丸レスリー氏の逝去の報も、吃驚しました。1月の趙成民氏の自殺もショックでしたが、亜仁丸氏も病気とはいえ若過ぎます。実力も然る事乍ら、魅せるプレーにも長けた選手でしたね。合掌。
なんというのかな、20代ぐらいから40代前半ぐらいの方が「昭和」探訪するブログに感じる「何か古いものを珍しいと褒めつつ見下す」雰囲気と共通するような感じ。古くはとんねるずあたりが落語家を散々コケにしていたり。当時はまだ落語界・演芸界に何か老いた権威という雰囲気があったので若者からしたら痛快に思えたでしょうが、今の演芸界にはそのような力はない(三平一家が無理やり上げ底でまるで歌舞伎の連中かと思うような権威を演出していますが、失笑物ですね)。
そんな風潮に誇り高い老芸人が耐えられるとは思えない。
彼のもちネタが持ちネタだけに辛いですね
ポール牧も自殺でしたが彼の「自滅」とは違う哀しさがあります。
「昔気質の芸人を、若手&中堅の芸人が取り上げて弄る。」というのは、ビートたけし氏も「オールナイトニッポン」で良くしていましたね。「今風」とのズレを笑いに昇華させるというのは結構好きなのですが、根底に「其の芸人に対する愛情」が少しでも無いと、其れは単なる「からかい」になってしまう。物真似にも通じる話では在りますね。
ナイツの場合、個人的には「先輩芸人を弄り倒し乍らも、根底には敬愛の念が垣間見られる。」様な感じが在り、結構好きです。
「短時間で瞬発的な笑い」が求められる「TVでの御笑い」に付いていけない「昔風の芸人」というのは、結構居るでしょうね。「時流に乗れないのは、其れ自体が芸人失格。」という声も在りましょうが、自分はそういう昔風の芸人“も”堪らなく好きです。
大病を患って以降、ウクレレを弾くのが困難になったと言われている“マキシン”。大好きな芸人の1人・ケーシー高峰氏も、全盛時に比べると格段に滑舌が悪くなった。加齢の残酷さを感じる面でも在りますが、ベテランにはベテランの味も在る。良い芸を出来るだけ長く見せて欲しいものです。
俺の学生の頃に地元の名古屋テレビが牧伸二を起用して土曜日の昼に愛知県内の団地で漫談などをする番組が有りました(当時は東京のスターを起用するとは名古屋テレビもやるな、と思って見てました)
大正テレビ寄席と言ったら名前は忘れましたがお笑いグループがヒヨコの格好で「ピョピョたらピョピョ~」などと唄う歌が一時ブームになった気がしますが覚えてる人て居るかな
自殺した有名人より自分が歳上になったと気付いた時て何かえもいわれぬ気分になりますね
名古屋は独特の食文化を有する事で有名ですが、TV番組も結構独自路線を行く物が、少なくとも昔は結構在りましたよね。以前書いた「マゴベエ探偵団」(http://goinkyo.blog2.fc2.com/blog-entry-637.html)や「ブンブンバンバン」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%B3)等は個性的な番組でしたし、長寿番組だった「中学生日記」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E6%97%A5%E8%A8%98)もNHK名古屋放送局が制作していましたし。
「大正テレビ寄席」と「ヒヨコ」というキーワードで思い出すのは、獅子てんや&瀬戸わんや両氏の繰り出すギャグ「たまごの親じゃ、ピーヨコちゃんじゃ。ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃがぁがぁ。」。「オレたちひょうきん族」では片岡鶴太郎氏が此れを再現し、改めて脚光を浴びました。
ピヨピヨ軍団(橋達也と笑いの園)がピヨピヨ音頭を歌ってたらしいです
音源も写真も動画も見当たらないのが残念です
勘違いしていた様で、済みませんでした。
「橋達也と笑いの園」という名称には薄らと覚えが在るのですが、実際に見た記憶が在りません。調べてみた所、同グループは1977年~1981年に掛けて活動していた事になっており、此の時期だとTV等で見ていておかしくない筈なのですが・・・。