ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

寿産院事件

2021年01月29日 | 歴史関連

太平洋戦争に敗れてから3年経った1948年。其の年の1月12日の夜中、東京都新宿区弁天町パトロールしていた警官2人が、蜜柑箱を運ぶ葬儀屋に不審さを感じ、事情聴取を試みた所、其の箱の中に4体の嬰児の死体を確認。3日後の15日、新宿区柳町で「寿産院」を経営する主犯の石川ミユキ(当時51歳)と夫の猛(当時55歳)が殺人容疑で逮捕された寿産院事件と呼ばれる事になる、嬰児の大量殺人事件が発覚したのだ。

戦争の傷跡が残る当時、日本ではベビー・ブーム最中で、寿産院にも大勢の嬰児がた。石川夫婦が「嬰児を貰い受ける。」と新聞広告等呼び掛けたで、200人以上の嬰児が集められたと言う。親から1人当たり4千から5千円の養育費を、そして東京都からは補助金と配給品を受け取り乍ら、配給品を闇市横流しする等して、嬰児達には満足に食事を与えていなかった。又、
嬰児に対する虐待常態化しており、凍死餓死窒息死等、様々な死因で亡くなっていて、其の総数は正確に判明していないが、85人から169人の間とされている。蜜柑箱に入れられていたのは、そんな被害者の内の4人だったのだ。

石川ミユキは東大医学部産婆講習科を経て産婆となり、牛込産婆会の会長を務めていた他、新宿区議会議員選挙出馬(結果は落選)という経歴を、又、猛は憲兵軍曹から警視庁巡査も務めたという経歴を有しており、共に“地元の名士”と言って良い存在だった様だ。

蜜柑箱を運んでいた葬儀屋は釈放されたが、石川夫婦と助手の3人は起訴され、診断書を偽装していた医師の中山四郎も、同様に起訴された。東京地方裁判所は、「殺人罪に付いては証拠不充分の為、無罪。」とした上で、ミユキに懲役
8年、猛に懲役4年、助手は無罪、中山には禁固4年の判決を言い渡した。判決に不服だった事で控訴されるも、1952年4月に東京高等裁判所が言い渡した判決は、「ミユキに懲役4年、猛には懲役2年。」


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