「川崎区の多摩川河川敷で、中学1年の男子A君(13歳)が惨殺された事件。」に関し、18歳の少年Bを主犯とする未成年者3人が、殺人容疑で逮捕された。3人全てが容疑を否認している様だが、彼等を知る周りの人間からは、「彼等から激しい暴行を受け続けていたA君が『(Bがリーダー格の)グループから抜けたい。』と漏らしていた事をBが知り、其れからA君に対してBは強い怒りを持つ様になった。」という証言が出て来る等、彼等が惨殺に関わった可能性は、極めて高い様に感じる。兎にも角にも、警察は全力を傾けて、真相の究明に当たって欲しい。
此の事件に付いて自分が記事にするのは、先月の23日に続いて2度目。こんな短期間に再び取り上げるのには、「惨殺された少年に関する情報に触れる度、遣り切れなさが増してしまう。」というのが一番大きいが、「他人事には思えない。」というのも理由として在る。自分(giants-55)が中学1年生だった時、そう被害少年と同じ年齢だった頃の出来事だ。
「A君は2年前の7月末、牧歌的な土地から大都会へと転校して来た。」という事だが、自分の場合は小学校を卒業した直後、今の土地に引っ越した。だから、中学1年を迎えた時には、同級生に知り合いが1人も居なかった。A君の場合は転校から約1年半経っており、友達も結構出来ていた様だが、新しい環境に100%順応出来ていたかは疑問が残る。自分の場合よりも、環境の変化は劇的だったと思うから。だからこそ、牧歌的な土地では存在しなかったで在ろう“やさぐれた連中”に新鮮さを感じ、ついつい一緒に行動する様になってしまったのではなかろうか。
中学1年の時の自分は、兎に角、勉強が出来なかった。勉強に関して無気力で、授業は好い加減に聞いていたし、試験勉強も全くしなかったのだから、勉強が出来ないのは当然の事。
勉強は出来ないわ、腹を割って色々話せる友人は出来ないわで、不良行動こそしなかった(出来なかった)ものの、完全な落ち零れだった自分に、所謂“不良グループ”の連中が話し掛けて来る様になった。不良グループの一員になる気は全く無かったけれど、話が面白かったので、彼等と色々話す様になり、2ヶ月程経った頃だったろうか、「今度、一緒に遊ぼうぜ。」と誘われたのだった。でも、上記した様に、彼等の一員になる気は全く無かったので、「まあね。」といった感じで、曖昧な返事を返したのだが・・・。
半月程経った頃、バイクに跨った彼等が、自宅に遣って来た。先輩(矢張り不良グループ)も含め、8人程居ただろうか。バイク音が煩かったので、カーテンの隙間から外を覗いた所、彼等が遣って来た事を知ったのだった。
良く話していた(不良グループの)2人に付いては、人間的に嫌いでは無かったものの、不良グループに対しては強い嫌悪感を持っていたし、何よりも不良グループの一員になる事で、悪事に手を染める様になるのは絶対に嫌だった。
根が小心者という事も在り、母には「僕は居ないと言って。」と依頼。「良く話してる2人は、そんな悪い子じゃないんでしょ?自分自身が確りし、不良グループの一員にはならない事をきっぱり言った上で、其の2人とだけ付き合えば良いんじゃないの?」等と言っていたけれど、不承不承乍ら「○○君居ますか?」というインターホン越しの問い掛けに、「○○は居ません。」と答えてくれた母。其の答えを聞いて、「じゃあ、又来ます。」と言って、彼等は去って行った。
結果的に言えば、其れ以降、彼等が自宅に来る事は無かった。「或る人との出会いによって勉強に身を入れる様になり、成績がどんどん上がって行った事。」や「仲の良い友人が出来た事。」等も在って、2人とは自ずと“距離”が出来てしまった事が大きい。話はするものの、彼等が「一緒に遊ぼうぜ。」と誘う事は無くなった。
其の後、彼等が大きな悪事に手を染めたという話は聞かなかった。唯、「彼等が属していた不良グループを抜けるのは困難で、抜け様としたら酷い目に遭う。」という話は、良く耳にした。真偽の程は定かじゃないけれど、集団リンチでボコボコにされたという話も。
2人がそんな事に加わっていたとは思いたくないけれど、“グループとしては”「抜ける事を絶対に許さない!」という状況が在ったとしてもおかしくない。もし“彼の時”、居留守を使わなかったら・・・自分は不良グループの一員にさせられていたかもしれないし、抜け様としてボコボコにされていたかもしれない。そんな事を想像すると、A君の死はとても他人事とは思えない。
大学に入学した頃だったろうか、風の便りで2人の内の1人が亡くなった事を知った。海水浴に行った際、溺れて亡くなったと言う。其の話を聞いた際、自宅でそっと手を合わせた。
その土地からさまざまな子供がいる場所に住んだことは本人には刺激的だったでしょうね。ああいう悪いものにも出会ってしまったが…。(ああいうのはまあ田舎にもいるが殺人までやるかどうかは別として)
救いは彼をかばって、犯人に殴り込みに行ったような仲間たちもいたこと。それが殺人を招いてしまったが…。
しかし私や管理人さんの頃の不良と言いますか愚連隊と言えばバイクがつきものだったが、あの犯人どもはアニメオタクって、なんだかアニメオタクには悪いがしけた不良…。昔は良かったってわけではないが。ちょっとね。
「救いは彼を庇って、犯人に殴り込みに行った様な仲間達も居た事。其れが、殺人を招いてしまったが・・・。」というのは、全く同じ気持ちです。殴り込みに行った仲間達は、彼等なりの正義心で行った事だと思うけれど、結果として其の事が災いしてしまった訳で、彼等の中でトラウマとなってしまわないか、其れが心配です。
主犯格の少年、中学時代は虐められっ子だったという話が在ります。実際に彼を虐めていた連中が証言していましたが、「自分達が彼を虐めていた事で、逆に彼が虐める側へと回ってしまったのかも。」というのは在るかもしれません。だからと言って、彼の罪が減じられる訳では、全く在りませんが。
飽く迄も“字面”での印象ですが、主犯格の少年の父親が此れ迄出したコメントを見る限り、「保護者としての責任感が全く無く、責任逃れに汲々としてとしている。」という感じしか受けられない。「此の親にして、此の子在り。」と簡単に言いたくは無いけれど・・・。
高校はそれぞれ別々の町にある高校へ進学したのですが、彼女はギャル化してしまい、やがて悪い仲間と付き合うようになってしまいました。一度だけ電話がかかってきたことがあり、その時は私の「イモい文学少女」的な面を出すことで、「こいつは仲間にするのに脈なし」と思われるように話しました。その2か月後くらいに彼女の姉上が彼女を連れ戻し、彼女とその母上が近所の駄菓子屋までおでんを食べに来たときに、店の前を通りかかった私に、やつれた顔で控えめに手を振っていたのが、最後に彼女を見た時の記憶です。大人になってから、彼女からのあの電話は不良アピールのようでいて、実はSOSだったのかもしれないと思いました。また、彼女には美人の姉と勉強のできる姉がおり、末っ子の彼女はいずれもどちらかというと悪い部類に属していた。父上はそんな末娘に厳しく当たり、母上は不憫がって年齢不相応な額の小遣いを与えて溺愛したことが、上記のような性格傾向になったり、不良化してしまった背景にあるのだと知りました。
「有形無形の迫害を受けると、やがてうまくいかないこと全てを自分の属性のせいにしてしまい、自分の言動の非を認められない時期があった」と、あるマイノリティの方が書いておられました。マイノリティや元いじめられっ子のうち、トラブルメーカー化した人々にはそのような傾向があるように見受けられ、それがマイノリティ全体への迫害を正当化する口実として使われてしまう。
主犯格の少年が以前被害者に暴力をふるったことに対して、他のグループが抗議に来たことで、被害者が告げ口をしたことへの恨みとともに、その人望に妬みを抱いたと供述しているという報道を聞きました。被害者の人望うんぬんではなく、弱い者いじめをしたことをただそうとして、そのグループは押しかけてきたのだと思うのですが、「俺がうまくいかないのは俺だからなのか。アイツがこうしてかばわれるのはアイツだからなのか。俺はがんばって(不良としての)実績を作ってようやくここまで来たのに」みたいな気持ちにとらわれてしまったのでしょうか。主犯の少年は元いじめられっ子だったそうですが、出自などの要素が多数派であっても「なんか気に食わないから」という理由でいじめの対象になってしまうことがあるので、そういう思い込みを持ってしまうことはあるだろうと思います。かといって、彼の罪が減じられるわけでは全くありませんし、行為に対しては憤りを感じます。
「大人になってから、彼女からのあの電話は不良アピールのようでいて、実はSOSだったのかもしれないと思いました。」、そうかもしれませんね。「不良グループ」を肯定する気は全く在りませんが、社会から疎外されているという事で、彼等の中には鬱々とした思いが結構在ると思うし、「何とかして欲しい。」というSOSを無意識の内に発している事も、人によっては在るでしょうから。
社会から疎外されているが故に、彼等の結束力は強いでしょうし、だからこそ其処から抜け様とする者には、「絶対に許さない!」という気持ちも強くなってしまうのではないかと。加害者少年が、「自分は射会から疎外されているのに、被害者少年には多くの“仲間”が居る。許せない!」という思いになってしまったのだとしたら余りにも身勝手だし、幼稚な思考と思ってしまう。