人は“余りに辛い現実”に直面すると、「其の記憶を忘れたい。」と思ったりする。そういう気持ちは良く判るのだけれど、中には“忘れてはいけない記憶”というのも在る。「“余りに辛い現実から生まれた記憶”を脳裏に刻み込み、若い世代に伝えて行く事で、将来同じ様な事態が起こる事を防いだり、又、起こってしまった際には少しでも被害を少なくさせる為。」にだ。
13年前の記事「あの日自分は・・・」で書いたが、1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の恐ろしい記憶は、今も忘れられない。当時、殆どの国民が「日本でも、こんな事が起こるのか・・・。」と恐怖心を抱いたろうけれど、時が過ぎ去る毎に其の記憶は薄れて来ている様に感じる。阪神・淡路大震災から16年後に発生した東日本大震災の記憶に“上書き”され、そして東日本大震災の記憶すらも、発生から7年目の今では記憶が薄れ掛かっている人も。
私たち神戸市民は、この日この時間を絶対に忘れません/忘れられません。
馬齢を重ねる毎に月日の過ぎ去るスピードが速くなっている感がしますが、彼の未曾有の大震災から、もう23年が経ったんですね。後2年で、もう四半世紀。「そんなに経ったのか。」というのが、正直な気持ちです。
「1月17日」という日を迎えると、マスメディアでは阪神・淡路大震災の話題を取り上げはしますが、少なからずの人にとっては“過去の出来事”という印象が強いかもしれない。でも、彼の大震災で愛する人を失った方々にとっては、何れだけ時間が経とうとも“過去”には成り得ない。多くの人が記憶に留め、後世に伝えて行かなければいけないと思います。
そうしたことが積み重なって、報道の正義や良心があるのかも知れませんが。
東日本大震災の際には経験した事の無い強烈な揺れを経験しましたが、阪神・淡路大震災の際には、隆様同様に揺れを感じた記憶が在りません。当日は朝目覚め、TVを点けたら「関西で物凄く強い揺れが在った。」事を知った。でも、“自分が想像出来得る以上の現実”が起こっていた事を知らぬ儘出社し、昼休みにTV映像で惨状を知ったという経緯。彼の時目にした光景は、23年経った今も忘れられません。
当ブログを覗いて下さっている方の中には、大きな揺れを経験しただけでは無く、近しい方を彼の震災で亡くされた方が何人か居られます。当時の状況を書いておられ、其れを読むと「被災地(乃至は被災地に近い場所)に身を置いておられた方々」と「(自分の様に)被災地から遠い場所に居た人間」との“温度差”に気付かされ、愕然としました。リアル・タイムで彼の状況を見ていたというのに・・・。