近年、「“素人”のレヴェルが上がったのか?其れとも、“プロ”のレヴェルが下がったのか?」と考え込んでしまう事が、良く在る。
昔、俳優としてデビューしたての子は、一律に同じ様な雰囲気が在った。泣き方、笑い方、怒り方等、口調や表情が“劇団仕様”で、個性という物が全く感じられない子が殆ど。又、劇団に通わず、素人から俳優の道に進んだ子は、「顔が良いだけだな。」と思ってしまう程、口調も表情も素人臭かったもの。
然し、今はデビューしたてでも、「上手いなあ。」と感じる子が多い。俳優としての上手さを図る目安の1つとして“目での表現”が在るけれど、そういうのも含めて、きちんと演技出来ていたりする。劇団に通ってデビューした子でも“劇団仕様”という感じがしないし、何よりもそういう所に全く通わず、素人から突然俳優になった子でも、演技の上手さ感じる子が少なく無い。此の場合は、「素人のレヴェルが上がっている。」と言えそうだ。
一方、MC(司会)の世界に関しては、「プロのレヴェルが下がっている。」という気がする。本業とは違う人間がMCを行うのが珍しく無くなっており、林修氏や八代英輝氏等はそつ無くMCを熟している。予備校講師の林氏と弁護士の八代氏は、共に“他者を惹き付ける話術力”が求められる商売という事も在り、抑、MCとの親和性が高いのだろう。又、2人ともあらゆる方面の知識が豊富というのも、MCをそつ無く熟せている要因。
唯、彼等を含め、別に本業を持ち乍らMCを熟している人達には“定型化された話し方”というのを感じる。“ワンパターンな話し方”で在り、一番強く感じるのが“1人ボケ&ツッコミ”を多用する事。「自分でボケて、自分でツッコミを入れる。」という、明石家さんま氏が十八番とする手法だ。
少しでも捻りが在れば未だしも、旧態依然とした1人ボケ&ツッコミを多用されると、正直興醒めしてしまう。目新しさが全く感じられないこういう話術が通用するのは、宮根誠司氏の様なプロのMC達“も”、好んで使っているからだと思う。(「相手を執拗に茶化す事に腐心している。」というのも、プロor素人のMCに共通する点。)
旧態依然とした話術が、全て悪いとは思わない。そういうのが評価される分野も在るからだ。でも、MCの世界ではどうだろうか?旧態依然とした話術にプロがしがみ付いている事で、全体的にプロのレヴェルが落ち、だからこそ素人でもMCを熟せる時代になっているのではないだろうか?
「〇〇でしょ?おいおい違うって!」みたいな1人ボケ&ツッコミは、アイドルの世界でも流行っている。ワンパターンで在り、薄っぺらさしか感じられないので、そういう場面を見掛けると、速攻でチャンネルを切り替えてしまう。
ですが、そうした社会の変化、実力主義の台頭に対して、意外にも動じなかったのがテレビやラジオであり、アマが活発のレースの場となっても、それが一流を自負するだけの事はあるプロを脅かすものではなく、より斬新な人材を歓迎しているようにも観えます。
地上波だけの時代ではないし、BSなどは面白く、人気もある番組があると思いますが、インターネット放送がなかなか人気が出ないのは、メディアの多様化によって、選択肢は増えたものの、既存メディアと対決するような、マイノリティからの挑戦がない事が理由ではないでしょうか。多様化への対応として、試験的に始められたのが、キー放送局のBS放送だと思うのですが、マスコミは、IT革命による情報の多様化に実に巧く対応したと思います。
インターネット放送は、其の自由性が最大の売りだと思います。タブーの無さ等、自由性は人を惹き付ける一方で、新聞やTV等と比べると、どうしても“真実”という点では危うさが在る。極右系or極左系の放送だと、明らかな捏造が溢れていたりもするし。そういうのを好む人達には受けるのだろうけれど、そうじゃ無い人達だと引いてしまうでしょうね。
インターネット放送自体は面白い媒体だと思うし、良い形で発展して行けば・・・とは思いますが。