「政治を代々私物化しといて、『勝ち組、負け組を固定化させない社会』の構築もないもんだ!」
漫画家のやくみつる氏が、安倍晋三氏を評した言葉だ。母方の祖父が”昭和の妖怪”こと岸信介元首相、大叔父は”政界の團十郎”こと佐藤栄作元首相。父方の祖父は所謂ハト派で知られた安倍寛元衆議院議員で、父親は安倍晋太郎元外務大臣、そして実弟は岸信夫参議院議員というのだから、良く言えば”華麗な一族”で”政界のサラブレッド”。悪く言えば、”世襲議員”にして”政界を私物化”しているとも言える。
そんな安倍晋三氏が一昨昨日、第90代内閣総理大臣に選出された。*1抽象的な概念ばかりが先行し、今一つも二つも具体的な政策が見えて来ない事や、これ迄の言動には勇ましさを感じさせるも、深い思慮&長期的な展望が感じられなかった事等に不安を感じるものの、小泉純一郎前首相よりは未だ”聞く耳”を持っていそうな所が救いといった点か。
初仕事で在る組閣も、”サプライズ人事”といった馬鹿げた遣り方を踏襲しなかった点は評価したいが、族議員と目される人物が数人起用(特に農林水産大臣に選ばれた松岡利勝氏は、これ迄にもブラックな噂が絶えなかった人物。)されていたり、(先の松岡氏もそうだが)論功行賞的な観点から、又は気心の知れた”御友達”といった観点からの人選という感も否めない。特に気になるのは、イエスマンばかりを集めている事で、内閣が”暴走”した時の歯止め役が居ない事。嘗ての中曽根康弘内閣で言う所の後藤田正晴氏の様な、首相にとって耳に痛い諫言を厭わない人物を入れる”懐の深さ”が欲しかった。兎に角、「美しい日本」という言葉だけが上滑りしない事を望みつつ、今後を注視して行きたい。
さて小泉政権は5年5ヶ月という長期政権だった訳だが、此処でその功罪を記すと共に、その評点をしてみたいと思う。何時もの如くこれは私見で在って、異論&反論も当然在るとは思っている。又、近年の教育現場では「通知表の素行欄に悪い評価は出来るだけ書かない様にする。」という傾向が強いと聞く。以前は「乱暴な面が目立つ。」としていたものを「非常に元気で在る。」と、「協調性に欠ける。」というのは「独立心旺盛。」といった様に置き換えるのだそうだ。この考えで行けば、功罪の「功」と捉えたものでもその視点を変えると「罪」に、又逆のケースも在り得る訳で、その辺も踏まえて以降を読んで戴けたらと思う。
小泉首相の「功」と言うと何と言っても、多くの国民が政治というものに関心を持つ様になったという事が挙げられるだろう。その結果、政治の流れが従来に比べると、一般レベルでも見え易くなったとも思う。又、従来は一握りの人間によって”密室”で、首相選びが行われていた様な不透明さを感じたが、世論をバックにした首相選びという流れになった事は、国民の意思を大きく反映する形になったのではないか。そして政策で言えば、郵政民営化を推し進めたのは個人的に評価している。
一方「罪」で言えば、これが「功」とは比較にならない程多い(苦笑)。多過ぎるので、特に気になった点だけを絞り込んで挙げてみる。
先ず、外交に於いて余りにも偏重が過ぎた事が挙げられる。自国の立場を毅然と表明するのは一国のトップとして当然必要なのだが、中国や韓国といったアジアの特定国に対して余りにも頑な対応に終始し、不必要に関係を悪化させてしまった。「相手が理不尽な物言いをするから、こっちも同じ事をする迄だ。一切聞く耳を持たないぞ!」というのでは、相手と悪い意味で同じ土俵に乗ってしまったと言える。その一方で、アメリカの言い成りになっているだけに見えてしまうのは、外交バランスがどうかと思う。「外交」、即ち「外との交渉」は押し引きが大事。「中&韓には押すだけ、アメリカには引くだけ。」というのでは、それは真の外交と言えまい。
イメージ戦略に過ぎ、パフォーマンスばかりが先行する一方で、その実態が殆ど見えなかった(又は実態が無かった)というのも在る。”サプライズ人事”等はその典型で、マスメディアも面白おかしく乗っかっていたのは同罪だろう。
概して説明責任を果たさなかったというのも、自分にはとても受け入れ難かった。小泉首相の発言はシンプル極まり無く、イメージ的にはパッと捉え易くは在るのだが、上記した様にその実態が殆ど見えない事が多く、その説明を求めると「それがどうした?何が悪い?」といった突き放した言い様ばかりでは、一国のトップとしてどうだったか。挙句、「飽きたら他に丸投げ。」としかい思えない遣り方が目立った。
そして最も「罪」と思えるのは、小泉スタイルの特徴とも言える「兎に角、対立軸(対抗勢力)を作り上げ、それを徹底的に攻める事で、自らの影響力アップを図る。」、「相手の主義&主張に一切耳を閉ざし、意に沿わない相手は全て排除する。」といった部分が、一般社会の風潮としても強くなって来た事ではないか。郵政民営化等は今後その良し悪しが判断されるものだろうが、人間としての成熟度を下げ、心の荒廃を助長したという点は、現段階に於いて大罪と断じて良いのではないかと考える。
国民の側にも大いに問題は在るのだが、シンプルさに慣れ切ってしまい、”思考停止”状態に在る人間が少なくないとしたら、「国民の意思を大きく反映した首相選び」という本来は喜ばしい方向性も、単なるイメージに引き摺られ、一方向に一気に流れる危険性は大とも言える。
総合的な評価を下すとすれば、”セックス・スキャンダルだけだった首相”や”鮫の脳味噌首相”等の様な零点よりは遥かにましだが、かと言って「その言動は一見明瞭なのだが、一つ一つを具に検分すると、実態が殆ど感じられなかった。」面を考えるととても合格点は与えられず、45点と評点したい。
さて、「皆様の小泉前首相に対する評点は如何なものだろうか?」どういった切り口でも構わないので、ズバリ聞かせて戴ければ幸いだ。
*1 自民党総裁に選出されて以降、やや不自然とも思える程に演説の場では「戦後生まれ初の首相」を連呼している安倍氏。イメージ戦略に於いては長けていた小泉前首相に比べるとどうしても遜色が否めない彼故、マスメディア対策担当にして側近の世耕弘成氏辺りが、「キャッチフレーズを作る可き。」といったアドバイスをしたのだろうか?
又、半ば冗談と思って読んで戴きたいのだが、安倍氏が「美しい日本」の実現を掲げるのならば、例えば毎月月初めにでも「今月の目標」なるものを表明してはどうだろうか?他者に対して極めて無関心とも思える人間が増えている様に思う一方、一寸矛盾する話だが「他者から格好悪いと思われたくない。」と過度に意識している人間も少なくない様に思う。だからこそ、「今月は、公共の場でマナー違反の言動をしている人に、皆で注意する月にしよう!」とか「今月は、街中に落ちているゴミを皆で1日5つは拾おう!」といった目標を掲げる事で、「当たり前のマナーを守らない事=非常に格好悪い」といった認識が広まるのではないだろうか。そして一人では注意出来なかったり守れなかったりする事でも、皆で行えばスンナリ出来そうな気もする。
大昔にやっていた笹川良一”大先生”の「一日一善のCM」だって笑いの種になっている面は在ったが、それでも「一日一善って大事だよな。」と心の何処かに刻み込まれた様に思う。元プロサッカー選手の前園真聖氏の「虐めは格好悪いよ。」というCMも然りだ。
漫画家のやくみつる氏が、安倍晋三氏を評した言葉だ。母方の祖父が”昭和の妖怪”こと岸信介元首相、大叔父は”政界の團十郎”こと佐藤栄作元首相。父方の祖父は所謂ハト派で知られた安倍寛元衆議院議員で、父親は安倍晋太郎元外務大臣、そして実弟は岸信夫参議院議員というのだから、良く言えば”華麗な一族”で”政界のサラブレッド”。悪く言えば、”世襲議員”にして”政界を私物化”しているとも言える。
そんな安倍晋三氏が一昨昨日、第90代内閣総理大臣に選出された。*1抽象的な概念ばかりが先行し、今一つも二つも具体的な政策が見えて来ない事や、これ迄の言動には勇ましさを感じさせるも、深い思慮&長期的な展望が感じられなかった事等に不安を感じるものの、小泉純一郎前首相よりは未だ”聞く耳”を持っていそうな所が救いといった点か。
初仕事で在る組閣も、”サプライズ人事”といった馬鹿げた遣り方を踏襲しなかった点は評価したいが、族議員と目される人物が数人起用(特に農林水産大臣に選ばれた松岡利勝氏は、これ迄にもブラックな噂が絶えなかった人物。)されていたり、(先の松岡氏もそうだが)論功行賞的な観点から、又は気心の知れた”御友達”といった観点からの人選という感も否めない。特に気になるのは、イエスマンばかりを集めている事で、内閣が”暴走”した時の歯止め役が居ない事。嘗ての中曽根康弘内閣で言う所の後藤田正晴氏の様な、首相にとって耳に痛い諫言を厭わない人物を入れる”懐の深さ”が欲しかった。兎に角、「美しい日本」という言葉だけが上滑りしない事を望みつつ、今後を注視して行きたい。
さて小泉政権は5年5ヶ月という長期政権だった訳だが、此処でその功罪を記すと共に、その評点をしてみたいと思う。何時もの如くこれは私見で在って、異論&反論も当然在るとは思っている。又、近年の教育現場では「通知表の素行欄に悪い評価は出来るだけ書かない様にする。」という傾向が強いと聞く。以前は「乱暴な面が目立つ。」としていたものを「非常に元気で在る。」と、「協調性に欠ける。」というのは「独立心旺盛。」といった様に置き換えるのだそうだ。この考えで行けば、功罪の「功」と捉えたものでもその視点を変えると「罪」に、又逆のケースも在り得る訳で、その辺も踏まえて以降を読んで戴けたらと思う。
小泉首相の「功」と言うと何と言っても、多くの国民が政治というものに関心を持つ様になったという事が挙げられるだろう。その結果、政治の流れが従来に比べると、一般レベルでも見え易くなったとも思う。又、従来は一握りの人間によって”密室”で、首相選びが行われていた様な不透明さを感じたが、世論をバックにした首相選びという流れになった事は、国民の意思を大きく反映する形になったのではないか。そして政策で言えば、郵政民営化を推し進めたのは個人的に評価している。
一方「罪」で言えば、これが「功」とは比較にならない程多い(苦笑)。多過ぎるので、特に気になった点だけを絞り込んで挙げてみる。
先ず、外交に於いて余りにも偏重が過ぎた事が挙げられる。自国の立場を毅然と表明するのは一国のトップとして当然必要なのだが、中国や韓国といったアジアの特定国に対して余りにも頑な対応に終始し、不必要に関係を悪化させてしまった。「相手が理不尽な物言いをするから、こっちも同じ事をする迄だ。一切聞く耳を持たないぞ!」というのでは、相手と悪い意味で同じ土俵に乗ってしまったと言える。その一方で、アメリカの言い成りになっているだけに見えてしまうのは、外交バランスがどうかと思う。「外交」、即ち「外との交渉」は押し引きが大事。「中&韓には押すだけ、アメリカには引くだけ。」というのでは、それは真の外交と言えまい。
イメージ戦略に過ぎ、パフォーマンスばかりが先行する一方で、その実態が殆ど見えなかった(又は実態が無かった)というのも在る。”サプライズ人事”等はその典型で、マスメディアも面白おかしく乗っかっていたのは同罪だろう。
概して説明責任を果たさなかったというのも、自分にはとても受け入れ難かった。小泉首相の発言はシンプル極まり無く、イメージ的にはパッと捉え易くは在るのだが、上記した様にその実態が殆ど見えない事が多く、その説明を求めると「それがどうした?何が悪い?」といった突き放した言い様ばかりでは、一国のトップとしてどうだったか。挙句、「飽きたら他に丸投げ。」としかい思えない遣り方が目立った。
そして最も「罪」と思えるのは、小泉スタイルの特徴とも言える「兎に角、対立軸(対抗勢力)を作り上げ、それを徹底的に攻める事で、自らの影響力アップを図る。」、「相手の主義&主張に一切耳を閉ざし、意に沿わない相手は全て排除する。」といった部分が、一般社会の風潮としても強くなって来た事ではないか。郵政民営化等は今後その良し悪しが判断されるものだろうが、人間としての成熟度を下げ、心の荒廃を助長したという点は、現段階に於いて大罪と断じて良いのではないかと考える。
国民の側にも大いに問題は在るのだが、シンプルさに慣れ切ってしまい、”思考停止”状態に在る人間が少なくないとしたら、「国民の意思を大きく反映した首相選び」という本来は喜ばしい方向性も、単なるイメージに引き摺られ、一方向に一気に流れる危険性は大とも言える。
総合的な評価を下すとすれば、”セックス・スキャンダルだけだった首相”や”鮫の脳味噌首相”等の様な零点よりは遥かにましだが、かと言って「その言動は一見明瞭なのだが、一つ一つを具に検分すると、実態が殆ど感じられなかった。」面を考えるととても合格点は与えられず、45点と評点したい。
さて、「皆様の小泉前首相に対する評点は如何なものだろうか?」どういった切り口でも構わないので、ズバリ聞かせて戴ければ幸いだ。
*1 自民党総裁に選出されて以降、やや不自然とも思える程に演説の場では「戦後生まれ初の首相」を連呼している安倍氏。イメージ戦略に於いては長けていた小泉前首相に比べるとどうしても遜色が否めない彼故、マスメディア対策担当にして側近の世耕弘成氏辺りが、「キャッチフレーズを作る可き。」といったアドバイスをしたのだろうか?
又、半ば冗談と思って読んで戴きたいのだが、安倍氏が「美しい日本」の実現を掲げるのならば、例えば毎月月初めにでも「今月の目標」なるものを表明してはどうだろうか?他者に対して極めて無関心とも思える人間が増えている様に思う一方、一寸矛盾する話だが「他者から格好悪いと思われたくない。」と過度に意識している人間も少なくない様に思う。だからこそ、「今月は、公共の場でマナー違反の言動をしている人に、皆で注意する月にしよう!」とか「今月は、街中に落ちているゴミを皆で1日5つは拾おう!」といった目標を掲げる事で、「当たり前のマナーを守らない事=非常に格好悪い」といった認識が広まるのではないだろうか。そして一人では注意出来なかったり守れなかったりする事でも、皆で行えばスンナリ出来そうな気もする。
大昔にやっていた笹川良一”大先生”の「一日一善のCM」だって笑いの種になっている面は在ったが、それでも「一日一善って大事だよな。」と心の何処かに刻み込まれた様に思う。元プロサッカー選手の前園真聖氏の「虐めは格好悪いよ。」というCMも然りだ。
以前にも書きましたが、「負け組」とか「勝ち組」なぞといった言葉遊びに奔走しているこの国のマスメディアのメンタリティーの低さが、この国の現実を表していますね。本質的な部分を見ようとしない、否、見たくないと、全てに於いて上っ面だけを見ている人の何と多い事か。
働きたくとも働く場を得られず、生活に困窮して生活保護を申請しても、なかなか認可が下りないという現実が在る一方で、別宅や外車を持ちながらも”法の網”を掻い潜って生活保護を受給している不埒な人間も居る。マヌケ様の書かれている様に、本来は生活保護を受けるべき生活苦を背負いながら、受給を潔しとせずに餓死の道を選んだ人を思う時、後者の様な下衆さには反吐の出る思いです。
「美しい国作り」を掲げ、何やら目新しい言葉を並べ立てていても、何故かその真実味が感じられないのは、長年に亘って彼の一族が曰くつきの某宗教団体と密接な関係に在る事も影響しているのかと。
太郎ちゃんは落選した経験在ったんですね。あれだけの毛並みですから、初当選以降楽々と当選を決めて来たものと思っておりました。あの発言の時に落ちたんですね。まあ、あの発言は酷かったですから当然でしょうが(笑)。
聞く所によると、長男の孝太郎氏は政治の世界に余り興味が無い様で、地元では次男の進次郎氏が地盤を引き継ぐのではないかという声が専らだとか。彼はアメリカのシンクタンクに職員として採用されている(コネ?)そうで、近年は小泉前首相の後援組織にも積極的に顔を出し、「政治家になりたい。」といった事を口にしているという記事も以前目にしました。
唯、政治家の道を志していなかったものの、父親の急死等によって、結局は地盤を引き継ぐ事になった二世や三世は過去にも何人か居ますので、孝太郎氏もどうなる事か判りませんが、少なくともしっかりした主義&主張も無いのに、”取り敢えず”政治家”でも”なっておくかといった考えでだけは、立候補しないで貰いたい。
誰を支持するにしても、内実を見極めないで唯妄信的に支持しているというのも全く困ったもの。消費税の引き上げに対するアンケート結果が良く紹介されますが、「増税に賛成。」とする人が結構多い事は未だしも、「無条件で仕方無し。」としている人が多いのはどんなものかと。自分もこの国を愛していますから、本当にこの国が立ち行かない状況に在るのならば、増税も致し方無いと思います。でも、無条件でOKとはどうしても考えられません。未だ未だ歳出は減らせると思っており、先ずは徹底的に歳出削減を図った上で増税は為されるべきでしょう。「無条件で仕方無し。」とするのは、長期的には判らないでもないのですが、先ずは足元をきちっと見極めて行く事が必要。「小泉さんが言ってるんだから仕方無い。」とか「安倍さんが言ってるんだから受け容れる。」というのでは、余りに自分が無さ過ぎではないでしょうか。
そもそもパフォーマンス下手というのも在りますが、小泉前首相よりは未だ廻りを見渡せる様に思う安倍首相ですので、間違ってもブッシュ大統領の前でプレスリーの格好をして失笑を買う様な愚かしさは見せないと信じたいものです(苦笑)。
嘗ては「話がピーマン。」なんて言い方が流行りましたよね。ですから「小泉改革=ピーマン改革」という出だしに、「中身が無いって事だな。」と早とちりしてしまいました。
自分が良く参加させて貰っているライブ配信サイトに、「結局、国民は『改革』を求めたものの、改革に伴う痛み等の弊害には耐えられなかった。だから、小泉批判が何時迄も残る。国民の意識の低さが露呈した。要するに、日本ではまったりな社会が望まれてるのかな。崇高な理想を掲げて、それに向かって突き進むなんて、国民は求めてはいるものの、「実行したくない。」というのが国民の本音かな?」といった書き込みがされていました。これって或る意味では正しくも思えますが、一寸違っている様にも思うんです。
「多くの国民が毎日毎日ピーマンばっかり食べさせられている一方で、官僚や政治家達は肉や魚、野菜、フルーツ、それにデザートと相変わらず豪勢な食事をしている。」様に感じてしまう国民が少なくないのではないか?つまり、痛みを一方的に一般国民に背負わせる一方で、”身内”には全くと言って良い程(乃至は国民に背負わせている痛みに比べたら、比較にならない程)痛みを背負わせていない現実が、小泉改革批判に繋がっている面が在る様に思います。
ロシアとの外交も停滞していたままでしたね。結局はアメリカ一辺倒の”阿り”をしていただけで、その他の国に関してはおざなり、又は全く棚上げ状態に在ったのではないでしょうか。
一つの国にベッタリ付き添うというのは、良い目が出ている時には問題無くとも、一旦歯車が狂い始めると他国から総スカンを食うだけ。どの国に対してもきちんと対峙した上で、まともな外交をやっていかないと、にっちもさっちも行かなくなってしまうでしょうね。
これからも何卒宜しく御願い致します。
と私は勝手に命名しとります。
青々として見た目は良い、食べるとほろ苦。
それでも、健康のためなんだから苦いピーマンをもっと食えと小泉は言う。
いくら健康のためだとは言え、毎日毎日ピーマンばっかり。
逆に栄養のバランスが悪くなってしまったので、
もうそろそろピーマンの肉詰めを食わせろと思ったら任期満了。
後は後継総理に丸投げして、バカボンのパパそっくりの竹中ともども
「苦労したけど俺って頑張ったよね。バイバイ」だってさ。植木等もビックリのクレイジー無責任。
まるで、バカボンのパパからバカボンに世襲されたような自民党総裁選。
支持もしないし期待もしない。ただ結果のみ。賛成の反対の賛成なのだ。。。
最後に一つ。北方領土で漁師を殺したのは世紀の火事場泥棒「こそ泥ロシア」ではない。
支持率upが望めないからと「こそ泥」を野放しにしてきた小泉が殺したようなのもなのだ。
5年前なら付入る隙は十分に有った。それが見てみよ。中国特需、イラク戦争、ガスプロム実質国営化。
この5年を経て今やこそ泥ロシアは世界のエネルギー供給に巨大な影響力を持つに至った。
最早、国勢と自信を回復したこそ泥ロシアから、一括にしろ分割にしろ、
4島全てを返還させることは不可能に近い。
これはまさに売国的無関心不作為。売国奴小泉を私は評価いたしません。0
なんかウヨっぽい。。。反省。
日本の選挙で当選を果たす為には「地盤(後援組織)、看板(知名度)、鞄(資金)」の所謂「三バン」が必要と良く言われますよね。安倍ちゃんも太郎ちゃんも、そして禎一ちゃんも皆”王朝育ち”。そうじゃない人間が政治家になったと思えば、太蔵ちゃんや神取ちゃんみたいなのが少なくないのですから、全く嫌になります(苦笑)。
此処でも何度か書いたのですが、「自民党をぶっ壊した。=派閥を無くした。」訳では全く無いんですよね。それ迄は絶大な力を持っていた田中派の流れを汲む橋本派が崩壊し、その結果福田派の流れを汲む森派にその力が一極集中しただけという、自民党内のパワー・バランスの移行に過ぎないと捉えています。「人が3人集まれば派閥が出来る。」という言葉通り、派閥を完全に無くすというのは無理でしょうし、記事でも書きましたように首相選びに於いて、派閥の力が必ずしも機能しなくなって面は在るので、その意味では自民党をぶっ壊した事にはなるのかもしれませんが、でも今回の組閣では派閥に配慮した抜擢をしている事を考えると、未だ自民党の悪しき部分は残っている様に感じます。
「仏作って魂入れず」と言うのも在りますが、表面的な御色直しをしたものの、その中身はそれに見合った変化を遂げたのかと言えば、極めて疑問と言える様な気がします。
当ブログをずっと見て下さっている方だと、今回の自分の評点には「意外と甘いなあ?」と思われた方も多かったのではなかろうかと。あれだけ小泉前首相の遣り方を批判していましたからね(笑)。
彼の前の首相達が余りにも酷過ぎたというのが、彼の評点を結果的に甘くしてしまった面は正直在ります。それに郵政民営化を始めとして、最終的な評価を下すには未だ早過ぎるというのも、減点を躊躇させた要因の一つ。
それ迄政治に無関心な人々を、取り敢えずは関心を向けさせたというのは評価したいと思っています。空虚なパフォーマンスばかりで惹き付けたというのはゲンナリしますが、先ずは多くの国民に政治に関心を持って貰い、それ以降は国民自身がより勉強して、それぞれの見識を磨き上げる事で、どういう方向性で在れ感情だけではない、理論を伴った主義&主張を持ってくれれば、それはそれで「功」なのかもしれないなと。
後、小泉氏が今後どういう形で政治活動をして行くかで、それも減点要因に為り得るでしょうね。院政を敷いたり、返り咲きを企図していたりが無ければ、その潔さはプラス評価したい所です。
記事でも触れました一番の”問題児”が、案の定やってくれましたね。論功行賞の面を重視する余り、”質”に疑問を感じてしまう人物を抜擢してしまったこの内閣が、これから上手く機能して行くのか不安を覚えます。
所謂「小泉改革」は、表面に見えている部分だけでは無く、その本質的な部分を良く良く見ていかないといけないでしょうね。散々書いた事では在りますが、「多くの国民が痛みを背負わされた一方で、官僚や政治家といった”身内”は安全圏に置かれたまま。」というのが実態だと思いますし、一部官僚に到っては従来よりも悪い意味で力を増した様に思えてなりません。
パフォーマンスに踊らされるのでは無く、しっかりと本質的な部分を見て、その上で民意を表して貰いたいのですが、まるでアイドルの追っ掛けをしているが如く、「きゃあー、安倍さ~ん!!」等と叫んでいる連中を見てしまうと、来夏の参院選も自民党の勝利に終わるのではないかという気がします。
日本船舶振興会のあのCMにメインで出ておられた有名人では、笹川良一氏と山本直純氏も既に鬼籍に入られ、御存命なのは高見山氏(現在の東関親方)だけとなってしまいました。それだけもう古い時代の話になってしまっているんですよね。
自分も幼少時は「一日一善(発音的には「いちにちいちじぇん!」と聞こえましたが。)の爺ちゃん」と捉えておりましたが、その後に彼の人となりを知って行く中で、同様に「どういう気持であの活動をしていたんだろうなあ?」と感じたものです。
概して「多忙さ」をエクスキューズにする事で、己が思考停止を仕方無きものと自らに納得させ、その結果”居心地の良い”シンプルさに浸り切ってしまっている人が増えて来たとしたら、この国の先行きはとても暗いものと言わざるを得ません。何事にも先ずは疑問を持って当たるという事を忘れたら、人間の進化って其処で止ってしまうと思います。
「誰が誰だか判らないし、誰に入れても同じ。」とか「自分が一票投じた所で、世の中は何も変わらない。」としたり顔で言う人が居ますが、それを100%否定はしないものの、「でも、本当に知ろうと努力しているの?端から諦めてしまったら、世の中悪化する事は在っても、好転する事は無いんじゃないの?」と言いたくなります。ネット上には玉石混交では在りますが、多くの情報に触れる事は出来ます。「判らない。」というのと「判ろうとしない。」は絶対に違うし、先ずは疑問を持って事に当たって欲しいと心から思います。
我が老親は遺族会ゆえ自民党員ですが、投票したいとも思わん!と怒っていました。しゃーなしに谷垣に入れたそうですが…。
郵政民営化:法律は作ったが、むしろこれからが大事
競争の激化:民心の荒廃を招いた(保守派はこれを「戦後教育のせい」にしたいようだが、お門違いもいいところ)
ワンフレーズポりティクス:首相自らコミュニケーションを拒否しているのですからこの国の国民のコミュニケーション能力は低下するはず。
外交:靖国参拝に固執し、まともな釈明をせず(giants-55さんも仰る通り万事そうでしたが)中韓だけでなく世界中の顰蹙を買った。
小泉改革は「仏作って魂入れず」といったところかと思います。今後の進展も考慮して0~20点と評点します。
郵政民営化については高く評価します。巨大な郵貯は異常な存在なのです。
ただ他のことは官僚主導からまったく抜け出せていないです。そこが自民党政権の限界なのかも。
安部政権は補佐官はなかなかの面子をそろえてますが、閣僚と党の役員人事はいただけないです。
族議員と論功。
人事は小泉流で良いのです。今までのように首相よりも党の長老に権威がある体制には戻してはいけません。
数にものをいわせて好き勝手、官僚ベッタリの安部内閣には期待 ゼロ!
ここらでもう一回 自民NO を選挙で突きつけてやりましょう!!
でもその相手民主のスキャンダル 明らかな自民の先制攻撃。こりゃ政府も本気だ!
時間がなくて乱暴な意見ですみません。
笹川良一氏、懐かしい名前です(苦笑)
子供心にも、
「一日一善のお爺ちゃん」
そう記憶していたので、後年、笹川氏のことを知るにつれ、
どんな志であの活動をしていたのか想像してしまいました。
先日の「右でなければ左・・」にも繋がりますが、
日々の生活と時間に追われ、人心の無関心は極まっていると思います。
文明は進み、余暇時間は増える一方、人は政治などに時間や意識を割くゆとりを無くしてしまいました。
先日、明石家さんまさんが自身の番組で、
“もう僕は自分のことで精一杯で、まだ政治のことを考える余裕はない”
と発言していました。
お笑い芸人さんのバラエティ番組での発言なので、
さほど真剣に捉えるのはおかしいのですが、
大抵の人の本音も似たり寄ったりではないでしょうか?
「自分個人の楽しみを追い求めているだけで精一杯」
そんな中で、メディアも視聴者も、分かり易さを求め、
小泉前総理のような、簡単、明瞭(中身なし)に飛びついてしまう。
世の中がが複雑化し、物事に時間が掛かれば、即決するシステムに変えようと短絡的に考え、
議会で意見が対立し、平行線を辿れば、強い権力を持った議長に託そうと考えてしまう・・・。
つまり文民統制を半ば放棄してしまっているのが日本人ではないでしょうか?
“誰が誰だか分からないし、誰に入れても同じ”
そう云って投票経験のない知人も、一人や二人ではありません。
目新しさや分かり易さ、メディアの評価で投票する。
常識では当選しないと思える人物が国会議員になっている現実。
目を瞑り、耳を塞いだままでは、聞こえるはずはありません。
すぐに結果を求める多くの現代人は、忍耐強さ、粘り強さ、持久戦が大の苦手となってしまって、お年寄から子供まで、短気で堪え性を失ってしまっているように感じます。
見た目、弁舌、キャッチフレーズ、
そんな議員や総理に信を置く国民に明るい未来が望めるでしょうか?
甚だ疑問だと感じます。