ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「カッザーフィー大佐の死」で思う事

2011年10月25日 | 時事ネタ関連

リビアムアンマル・アル=カッザーフィー大佐拘束後に殺害された。」というニュースを見聞した際には、過去の独裁者達の哀れな最期が思い出された。*1多くの国民を虐殺して来た独裁者に「死」が与えられるというのは致し方無い事だけれど、出来得るならば「真面な裁判を受けた上での死刑」で在って欲しかった。今後のリビアが「法治国家」として存在して行くのならば、「(感情を100%排除するのは無理だろうけれど)法の下での裁き」というのが第一関門と考えていたので。

 

カッザーフイー大佐がどの様な形で最期を迎えたかは色々伝わって来てはいるが、「拘束直後の映像」及び「死んだ後と思われる映像」を見る限り、「私刑後の死」だった様に思われる。長期間に亘っ弾圧され、身内を虐殺された国民も多いだろうから、彼に対して深い恨みを持つ者が数多居るのは十二分に判る。もし自分の家族が彼によって虐殺されたならば、自分も彼に私刑を加えるかもしれないし。でも死んだと思われる彼の頭や身体を、多くの者がサッカーボールの如く蹴り上げている映像には、思わず目を背けてしまった。(「処刑されたベニート・ムッソリーニ総統の遺体が、処刑後に広場で逆さ吊りされて、多くの国民が投石した。」という逸話が思い浮かんだ。)

 

以前にも書いたけれど、「『死者に鞭打つ』事を嫌う余りに、社会的な問題が抜本的糺されない闇に葬られ、結果として同じ様な問題が繰り返されている。」のは日本悪しき部分と思っている。「必要が在れば、死者に鞭打つ事を厭ってはいけない。」というのが自分のスタンスだけれど、死者を蹴り上げる行為というのは非常に抵抗を覚える

 

けれど、飽く迄第三者だからそう思うので在って、実際に家族が虐殺されたならば、自分も蹴り上げてしまうかもしれない・・・。

 

*1 先月、「トリポリに在る治安機関の建物から、2004年にアメリカCIAが、テロ組織の幹部をカッザーフィー政権に引き渡し、過酷な尋問をさせていた疑いを示す文書が見付かった。」というニュースが報じられた。(詳細)カッザーフィー大佐と言えば「反欧米強硬派」として知られていたが、「アメリカと協力関係に在る面」“も”有していた訳だ。

 

古今東西の歴史を振り返れば判る様に、「大国が自らのエゴを押し通す、“正義”という錦の御旗掲げる裏側で、後ろ暗い事をし捲る。」というのは良く在る事。「其の事で他国がグチャグチャになろうとも、自国が発展すれば構わない。」というスタンスは、どうしても好きになれない。


コメント    この記事についてブログを書く
« 理系>文系 | トップ | 「真夏の方程式」 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。