身体の不自由な方を見掛けると「気の毒だなあ。」と思うし、「困っている事が在るならば、御手伝いしたい。」とも思う。実際、困っている様な方に声を掛け、御手伝いさせて貰った事も在る。
そんな感じで、身体の不自由な方の思いは其れなりに理解している積りだが、そういう方々が「実は、こういう事に困っているんです。」と吐露されているのを見聞して、「そうなのか・・・でも、そう言われてみれば、確かに困るよな。」と気付かされる事も。
何事にも言えるのだろうが、「其の立場に立ってみないと、判り辛い事。」って結構在ったりする。以前にも書いたと思うが、視覚障害者が「"点字ブロック"の上に自転車等を停めておられる方が結構居ますが、我々視覚障害者にとって点字ブロックは、『白杖等で触れる事で歩行に必要な情報を提供して貰い、且つ安全に誘導して貰う為の重要な存在。』。其の点字ブロックの上に自転車等の障害物が置かれているのは、非常に"怖い事"なのを理解して貰えたら嬉しいです。」と語っておられるのを聞いて、目から鱗が落ちる思いだった。
又、以前は「横断歩道をヨタヨタ歩き、半分も進まない内に赤信号に変わってしまって、戸惑っている高齢者を見掛けると、『何で、もっとサッサと歩かないんだろうな?」と疑問に思ったりしたが、「高齢者疑似体験教材」なる物の存在を知ってからは、考えが改まった。高齢者の肉体を疑似体験するグッズを身に付ける(視界が余り効かないゴーグルを掛け、動き難くなるサポーターを肘や膝に当て、両手首&両足には500g~1kg程の重りを付ける等。)と、「確かに、此れでさっさと歩くのは難しい。」と思えたからだ。
10月15日に放送されたラジオ番組「伊集院光のタネ」を聞いていたら、視覚障害を持っておられる方の投稿が読み上げられていた。「宅配便を利用する上で、困った事が在る。」という事だったが、此れ又、目から鱗が落ちる思いだった。
「宅急便では最近、"置き配"が増えていますが、此方が置き配指定をしていないのに玄関先等に置き配されてしまうと、ずっと気付かない儘になってしまう。又、事前に指定した"配達予定時間"から大幅に遅れてしまう場合、何の連絡も無いと、目が不自由な自分としては確認し様が無く困ってしまう。」。
「置き配OK。」を指定していなくても、最近は「当たり前の様に、玄関先等に置き配されている。」事が在る。配達員が再配達する手間を考えると、自分としては「全く問題無し。」と成るのだが、目が不自由では無いからこそそう思える訳で、視覚障害者にとって「非常に困ってしまう。」というのは理解出来る。注文する際、「具体的な障害を選択し、其れに対する配慮を求める。」というのが在っても良いのではないか?勿論、「そういうのを選択するのが嫌。」という人も居られるだろうから、"任意"という形にすべきだろうが。