サムの息子ではなく、「リーの息子」を取り上げてみたい。と言うのも、昨日のスポーツニッポンにこの話題が載っていたからだ。
日本球界で活躍後、メジャーに戻っても活躍した選手というのは過去にも居た。1989年にタイガースに在籍していたセシル・フィルダー選手等はその代表例だろう。*1しかし、日本球界で活躍した父親を持ち、自身はメジャーで活躍したというJr.選手は今迄に居ただろうか?自分が記憶する範囲では思い浮かばない。ところが、今年のメジャーにそういった凄いJr.選手が誕生したのである。シカゴ・カブスのデレク・リー選手(29歳)その人で在る。
熱きプロ野球ファンならば、”リー”という名前に心の疼きを覚えるのではないだろうか。勿論、この人の元妻の愛称ではない。日本球界最強の兄弟選手、レロン・リー選手とレオン・リー選手の事だ。本当に最強の兄弟選手だった。共に10年以上日本球界に在籍し、300本近い本塁打を放った。特に兄レロン氏の通算打率.320は、未だに日本記録(4,000打数以上の場合。)として光り輝いている。
デレク・リー選手はレロン氏の甥っ子に当たる。つまり、レオン・リー氏の息子という事だ。1993年のドラフトでサンディエゴ・パドレスに一巡目(全体では14番目)に指名されたデレク選手だが、メジャーデビューは4年目の1997年だった。翌年の1998年にフロリダ・マーリンズに移籍し6年間在籍。そして、昨年にカブスに移籍したのだが、昨年迄は打率が3割を超える事も無く(最高打率は2001年の.282。)、最多本塁打も昨年の32本というのだから、”まあまあ”の選手という範疇に在ったと思う。
そんな彼が今年は大爆発しているのだ。彼が属するナショナル・リーグでは27日現在、「打率部門1位、本塁打部門2位、打点部門3位」という成績で、「38年ぶりの三冠王誕生か?」と騒がれているのだ。(因みにメジャー129年の歴史に於いて、三冠王を達成した選手は過去13人(15回)しか居ない。日本球界は7人(11回)。)しかも、一度も3割を超えたシーズンが無かった男が.388の打率で独走(2位は.337。)しているというのだから脱帽だ。
父レオン氏が選手として日本球界に在籍していた頃、彼は父と一緒に横浜で育った。彼が2歳から11歳迄の間だ。だから、今でも日本の食材は好きだと言う。そして、当時父の”仕事場”で在った川崎球場・横浜球場・神宮球場へ、父親に連れられて良く行ったのだそうだ。父親と一緒に練習に参加したり、多くの試合を見て行く中で2つの事を学んだといい、その事が今の彼の礎になっているのではないかと。
「1つは日本の選手が練習に取り組む姿勢で、兎に角真面目で一生懸命な事。もう1つは集中力。日本のファンの応援は試合中ずっと続き、まるでアメリカのバスケットの様に五月蝿い。その中でプレーする集中力は凄いと思ったし、如何に大事かが判った。」
間断無く喚き散らす日本の応援スタイルは好きではないのだが、この様な効能が在ったとは(笑)。
何はともあれ、嘗ては日本球界を大いに沸かせてくれた名選手のJr.がメジャーで名選手に成りつつ在り、その礎が日本球界に在ったというのは嬉しさを覚える話だ。
*1 昨年、フィルダー氏が多額の借金を抱えて失跡というニュースが報道された。彼の息子プリンス・フィルダー選手は先日メジャーデビューしたばかりだが、父親は今何をしているのだろうか?
日本球界で活躍後、メジャーに戻っても活躍した選手というのは過去にも居た。1989年にタイガースに在籍していたセシル・フィルダー選手等はその代表例だろう。*1しかし、日本球界で活躍した父親を持ち、自身はメジャーで活躍したというJr.選手は今迄に居ただろうか?自分が記憶する範囲では思い浮かばない。ところが、今年のメジャーにそういった凄いJr.選手が誕生したのである。シカゴ・カブスのデレク・リー選手(29歳)その人で在る。
熱きプロ野球ファンならば、”リー”という名前に心の疼きを覚えるのではないだろうか。勿論、この人の元妻の愛称ではない。日本球界最強の兄弟選手、レロン・リー選手とレオン・リー選手の事だ。本当に最強の兄弟選手だった。共に10年以上日本球界に在籍し、300本近い本塁打を放った。特に兄レロン氏の通算打率.320は、未だに日本記録(4,000打数以上の場合。)として光り輝いている。
デレク・リー選手はレロン氏の甥っ子に当たる。つまり、レオン・リー氏の息子という事だ。1993年のドラフトでサンディエゴ・パドレスに一巡目(全体では14番目)に指名されたデレク選手だが、メジャーデビューは4年目の1997年だった。翌年の1998年にフロリダ・マーリンズに移籍し6年間在籍。そして、昨年にカブスに移籍したのだが、昨年迄は打率が3割を超える事も無く(最高打率は2001年の.282。)、最多本塁打も昨年の32本というのだから、”まあまあ”の選手という範疇に在ったと思う。
そんな彼が今年は大爆発しているのだ。彼が属するナショナル・リーグでは27日現在、「打率部門1位、本塁打部門2位、打点部門3位」という成績で、「38年ぶりの三冠王誕生か?」と騒がれているのだ。(因みにメジャー129年の歴史に於いて、三冠王を達成した選手は過去13人(15回)しか居ない。日本球界は7人(11回)。)しかも、一度も3割を超えたシーズンが無かった男が.388の打率で独走(2位は.337。)しているというのだから脱帽だ。
父レオン氏が選手として日本球界に在籍していた頃、彼は父と一緒に横浜で育った。彼が2歳から11歳迄の間だ。だから、今でも日本の食材は好きだと言う。そして、当時父の”仕事場”で在った川崎球場・横浜球場・神宮球場へ、父親に連れられて良く行ったのだそうだ。父親と一緒に練習に参加したり、多くの試合を見て行く中で2つの事を学んだといい、その事が今の彼の礎になっているのではないかと。
「1つは日本の選手が練習に取り組む姿勢で、兎に角真面目で一生懸命な事。もう1つは集中力。日本のファンの応援は試合中ずっと続き、まるでアメリカのバスケットの様に五月蝿い。その中でプレーする集中力は凄いと思ったし、如何に大事かが判った。」
間断無く喚き散らす日本の応援スタイルは好きではないのだが、この様な効能が在ったとは(笑)。
何はともあれ、嘗ては日本球界を大いに沸かせてくれた名選手のJr.がメジャーで名選手に成りつつ在り、その礎が日本球界に在ったというのは嬉しさを覚える話だ。
*1 昨年、フィルダー氏が多額の借金を抱えて失跡というニュースが報道された。彼の息子プリンス・フィルダー選手は先日メジャーデビューしたばかりだが、父親は今何をしているのだろうか?
この選手は数年前に存在を知っていました(メジャー通ではない私でも)。
オヤジさんもすごい選手でしたが、息子もブレイク中とは。
向こうではボンズ親子やグリフィー親子など両方名選手というのも多い。
グリフィー親子は、同一チームで両方とも現役選手だったときがあったとか。
スコアボードには「グリフィー父」「子」するのだろうか。「松沼兄」というのは見たことがあるが、「父」「子」はすごい?
日本の二世はそこまで行ってないですね。
同じスポーツで同じポジションはやめておいたほうがよさそうな(例:ひまわりと月見草)。
私はひまわりJrさんは三塁でなく外野をすべきだったと、思ってました。
それはそうと、デレク・リーはオリックスにレオン監督がいたときに、移籍してくるのではないかと話題にはなってたんですが…ここまで成長してるとは思ってませんでした^^;
で、ケン・グリフィー親子の場合はやはり親子同時在籍選手ってことで知ったんですが、1番ケン・グリフィーJr、2番ケン・グリフィーSrとコールされてたようです。
にしても、フィルダーはどこへ…
なんか今年いきなり開花しましたよね。
いつか日本でもプレーをしてほしいなって思いますけど・・・さすがにそれは無いかな・・!?
一度レオンがオリックスの打撃コーチに就任した時、オリックスがデレクの獲得に動いたようなのですが。
あれは無かったって事でしょうか???(笑)
でも、嬉しいニュースです。
すなわち「グリフィー父」「グリフィー子」。
親子競演は「父が18~19才で子が生まれ」「子供が早くメジャーに上がり」「父親がそれまでメジャーにいる」「かつ同じチーム」という4条件クリアが必要です。
再度グリフィー親子に脱線。
2年前マーリンズがワールドチャンピオンになった時もしっかり貢献してますし。
いつか忘れましたが日米野球にも来ましたよね。
1シーズンでホームラン32本も打っていればまあまあ以上の選手じゃないですか?
松井ですらまだ3年目とは言え31本なんですし。
今まで3割打ったことがなかったのは意外でした。
でも確かに今年の活躍は凄まじいですね。
何があったんでしょうか?