昨夜、NHKで放送された「歴史秘話ヒストリア」では、「日本人女性として、オリンピック史上初の金メダリストとなった前畑秀子さん。」を取り上げていた。1936年に開催されたベルリン・オリンピックの200m平泳ぎでは、地元ドイツのマルタ・ゲネンゲル選手が優勝の最有力候補となっていたが、前畑選手が1秒差で勝利した。
「メダル獲得が有力視された選手は、国民からの期待が大き過ぎて、とんでもないプレッシャーを感じる。」というのは今も変わらないけれど、大昔の日本の場合、其のプレッシャーは余りにも大きく、“円谷幸吉選手の自殺”という悲劇も生んでしまっている。前畑選手の受けていたプレッシャーも筆舌に尽くし難い程だった事が、今回の番組によって改めて思い知らされた。そんな経験をしている彼女だからこそ、競技引退後は“水泳を楽しむという指導”を心掛けていたのだろう。
前畑選手と言えば、マルタ・ゲネンゲル選手との200m平泳ぎでの実況が余りにも有名。所謂“前畑頑張れ実況”だ。【音声】
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「後25、後25、後25。僅かにリード、僅かにリード。僅かにリード。前畑、前畑頑張れ、頑張れ、頑張れ。ゲネンゲルが出て来ます。ゲネンゲルが出ています。頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ。頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ。前畑、前畑リード、前畑リード、前畑リードしております。前畑リード、前畑頑張れ、前畑頑張れ、前、前っ、リード、リード。後5m、後5m、後5m、5m、5m、前っ、前畑リード。勝った、勝った、勝った、勝った、勝った。勝った。前畑勝った、勝った、勝った、勝った。勝った、勝った。前畑勝った、前畑勝った。前畑勝った。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑の優勝です。前畑優勝です。」
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此方の情報によると、「我々が今耳にする事が出来る上記の内容は、実況終了後に別のスタジオで録音&レコード化した物から。」で、必ずしも実況通りでは無い様なのだが、当時生まれていなかった自分ですら、此の音声は何度聞いてもぐっと来る物が在る。冷静に考えれば「実況と言うよりも応援で在り、贔屓が過ぎる。」と言えるのだけれど、“実況者の心の奥からの強い思い”がビンビン伝わって来るからこそ、84年経った今でも“名実況”として、多くの人の心を打つのだろう。
思えば、もう結構以前から、「大きなスポーツの大会では競技者や実況者が、『こういう事を口にすれば、大きく取り上げられて、流行語になるだろう。』と、事前に計算した様なフレーズを使う。」事が増えた様に感じる。結果的には流行語として大きく取り上げられるのだけれど、個人的には心に響く物が無かったりする。
振り返ってみて、自分が純粋に感動したのは、「12年前に行われた北京オリンピックの女子ソフトボール決勝戦で、日本代表チームがアメリカ代表チームを『3対1』で破り、金メダルを獲得した瞬間の実況。」が最後だった様に思う。中継で解説を担当していた宇津木妙子さんが、涙声で口にした次の言葉が、今も忘れられない。
「よしっ!よしっ!よーしっ!!うわぁー、やった・・・やったぁ・・・やったっ・・・。」。
「事前に計算をしていない、心の奥からの強い思いが感じられる言葉。」は、確実に聞いている者の心を打つ。