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「大豊泰昭さん死去 元中日の本塁打王 51歳白血病で 最近は歩行困難に」(1月19日、スポニチ)
中日、阪神で活躍した大豊泰昭(たいほう・やすあき、本名:陳 大豊)さんが18日午後10時41分、急性骨髄性白血病の為、名古屋市内の病院で死去した。51歳。台湾出身。通夜、告別式は故人の遺志により、近親者のみで執り行う。喪主は妻・百合子(ゆりこ)さん。
2009年に発病し、一時回復したが、昨年11月から再度治療と療養をしていた。
台湾・華興高から名古屋商大に留学中、愛知大学野球リーグで通算24本塁打を放ち、1年間の中日球団職員を経て、1988年にドラフト2位で中日に入団。一本足打法で人気を博し、1994年には38本塁打、107打点で2冠王に輝いた。1998年に阪神へ移籍し、2001年に中日に復帰したが、2002年に引退した。現役14年間で通算1,324試合で1,089安打、打率2割6分6厘、277本塁打、722打点。ベストナイン1度、オールスターゲーム出場3度。
引退後は中日のアジア地区担当スカウト等を経て、名古屋市で中華料理店を経営(2011年に岐阜へ移転)していた。昨年、急速に体力が低下し、歩行困難等になった為、店にも姿を見せなくなっていた。
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引退が2002年なので、大豊氏の現役時代をリアル・タイムで見て、そして記憶しているのは、20代以上という感じだろうか。彼の現役時代を知らない人に「大豊泰昭選手」を説明するならば、「色んな意味で、イチロー選手と対極に在る選手。」というのが判り易い様に思う。「スリムでクール。しなやかなバッティングで、テキサスヒットを積み重ねる。」というのがイチロー選手のイメージならば、大豊選手は「ずんぐりとした体型で、闘志剥き出し。豪快なバッティングで、ホームランを量産。」というイメージが在るから。
母国の英雄・王貞治選手に憧れ、日本でプロ野球選手となった大豊氏。素晴らしい記録を残しているが、其れ以上に“記憶に残るタイプの選手”だったと思う。一本足打法でホームランを放つ彼の姿は、今も忘れられない。
彼は1988年のドラフト2位でドラゴンズに入団したが、同年のドラフト会議で指名された主な選手は、以下の通り。(因みに、翌年の1989年のドラフトでは、野茂英雄氏や佐々木主浩氏、佐々岡真司氏、前田智徳氏、与田剛氏、古田敦也氏、新庄剛志氏、潮崎哲也氏、元木大介氏[入団拒否]、岩本勉氏、小宮山悟氏等が指名されている。)
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「1988年度ドラフト会議で指名された主な選手達」
【ライオンズ】
1位:渡辺智男氏
2位:石井丈裕氏
【近鉄バファローズ】
1位:米崎薫臣氏
【ファイターズ】
1位:中島輝士氏
【ブレーブス】
1位:酒井勉氏
【ホークス】
1位:篠田淳氏
【オリオンズ】
1位:前田幸長氏
4位:初芝清氏
【ドラゴンズ】
1位:今中慎二氏
2位:大豊泰昭氏
【ジャイアンツ】
1位:吉田修司氏
【カープ】
1位:野村謙二郎氏
5位:江藤智氏
【ホエールズ】
1位:谷繁元信氏
【スワローズ】
1位:川崎憲次郎氏
3位:笘篠賢治氏
【タイガース】
1位:中込伸氏
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【大豊泰昭氏】
昨年、TV番組で大豊氏の近況が報じられていた。2005年に前妻を病気で亡くされる等、引退後は辛い出来事が結構在ったのを初めて知ったが、最も衝撃を受けたのは“現役時代とは別人の様な姿”だった。「2009年に急性骨髄性白血病を発症し、治療の後遺症で別人の様な姿になってしまった。」との事。「必ず復活します。」と宣言していたのだが・・・。
大分前になるが、大豊氏が自身の少年時代の話をしていたのが、強烈に印象に残っている。台湾での事だが、子供だった大豊氏は、川で良く鰻を獲っていたのだとか。其の獲り方というのが、「川の中に青酸カリを放り込むと、鰻がプカプカ浮いて来るので、其れを獲っていた。」と言うのだ。
「猛毒の青酸カリで死んだ鰻なんか食べて、大丈夫だったんですか?」という記者の問い掛けに、「体調を崩した人も結構居たけれど、自分は全く何とも無かった。」と豪快に答えていた大豊氏。「凄いなあ。」と思いつつも、「年齢を重ねてから、後遺症的な物が出たりしないのかなあ?」という懸念も。急性骨髄性白血病の発症と、関係性は無いだろうけれど。
昨年の香川伸行氏の訃報もショックだったが、大豊氏の訃報も大きなショックだ。余りに若過ぎる・・・合掌。