昨日東京ドームで開催された「ジャイアンツ・フェスタ2006」で、桑田真澄投手が退団挨拶を行った。PL学園時代から見続けて来たが、自分の中では未だ以って彼は別格の存在。だからこそ、このままユニフォームを脱いで欲しかったという気持ちは今でも在るが、彼が決断した以上はメジャーで頑張って欲しいし、引き続き応援したいと思っている。何はともあれジャイアンツでの21年間、本当に御疲れ様でした。
去る人在れば来る人在りで、ファイターズの小笠原道大選手*1がジャイアンツ入りを決断した。球界全体の繁栄を考えた場合、彼には是非ともファイターズに残留して貰いたかった。厳しい経済状態に在る中、駒大苫小牧の大活躍に続いてファイターズの優勝と、北海道に希望の星が徐々に瞬き始めていただけに残念でならない。
北海道といえば、財政破綻した夕張市の財政再建計画案が先日報じられていた。夕張市と言えば嘗ては「炭鉱の町」として知られ、”黒いダイヤモンド”の採掘に従事する人達及びその家族で賑わっていた。1960年には約12万人の人口を誇った彼の地も、世の中のエネルギー源が石炭から石油に移り変わって行く中で鉱山が閉鎖され、それ以降は住民の流出が進み、今や全盛期の9分の1以下の約1万3千人という状況に。(夕張炭鉱の哀しい歴史の一端が、おりがみ様のブログ「記憶鮮明、意味不明」の「黄色いハンカチは今」という記事で触れられている。是非読んで戴きたい。)
そこで夕張市は「炭鉱の町」から「観光の町」への転換を決めたのだが、やった事は結局”ハコモノ”の大量生産。そして御決まりの如く観光客の誘致に失敗し、莫大な借金を抱え込み財政破綻に到ってしまった。借金の額は約360億円。
この莫大な借金を約20年で返済すべく、市が打ち出した財政再建計画案の内容が、夕張市民の間に波紋を投じている。現在約270人の職員を2009年度当初迄に半分以下に減らし、職員の給与を来年度から平均3割カットするという”身内”への厳しい姿勢は何処ぞの国会議員達に見習わせたい所だが、一般市民に求められる負担はそれ以上の過酷さ。
所得に応じた市民税率を0・5%、固定資産税率を0・05%、そして公共施設の使用料は50%それぞれ引き上げられる。下水道使用料は10㎥当たり約1,000円引き上げて2,440円とし、ゴミ処理を有料化。小・中学校併せて11校を4年内に各1校に統廃合。「元々格安だったのを、国の基準に合わせただけ。」とは言うものの、保育料は大幅にアップ。市営の共同浴場6か所の内2ヶ所と公衆便所7か所全ては閉鎖(残った共同浴場には、入湯税150円が新設される。)、図書館やプール、市営球場等の公的施設の廃止も盛り込まれている。「40歳代の夫婦と小学生、幼児(3歳以上)の4人家族」の場合、試算では年間16万5,880円(月額1万3,824円)の負担増になるとか。
夕張市では65歳以上の高齢者の割合が40%以上との事だが、そんな彼等にも負担は大きく圧し掛かってくる。70歳以上の高齢者が病院の行き帰りに使用するバスは一律片道200円なのだそうだが、補助廃止で最高4倍以上に跳ね上がる。2008年には市営の養護老人ホームが廃止されるとか。現在47人の入居者は住む家を失う訳だ。
夕張市を指導する立場の総務省は、今後”第二の夕張市”を出現させない為に一罰百戒的な意味合いから、より厳しい案の提示、即ち「全国最低水準の生活」を市民に求めて行く意向とか。
「貧乏人は何もせずに、死ぬまで暮らせ。」という事か。夕張市民には同情を覚えるが、これ迄の放漫財政を結果的に黙認して来たのも夕張市民なのだ。財政がかなり危機的な状況に在る事はそれなりに知っていたのだろうが、心の何処かには「いざとなれば国が救済してくれる。」という”甘え”も在ったと思う。故にこの期に及んで、市側の案を一方的に糾弾するというのもどうかとは思う。
だが、それにしても過酷だ。或る新聞では「夕張市を出るも残るも地獄」と報じていたが、その通りだろう。そして、夕張市の現状は決して対岸の火事では無いと思う。ともすると他者を面白おかしく甚振る為に用いられる事が多い「自己責任」という言葉だが、何処の地域に在ってもその地域の財政状況を厳しく監視していないと、遠からずの内に夕張市民の悲哀を味わう事になると思うべし。無駄金をバンバン使っているトップは結構居るのだ。
*1 とは言え、こんな状態のジャイアンツに来てくれる小笠原選手には感謝の気持ちを持っている。「外様に冷たいジャイアンツに在って、彼が活躍出来るのだろうか?」という声も在るが、個人的には活躍出来るのではないかと期待している。ジャイアンツに入ったからと言って、浮付いた気持ちになってしまう様なタイプでは無いと思うし、これはあくまでもイメージ的なものなのだが、彼には嘗てジャイアンツに移籍して活躍してくれた”鉄仮面”こと加藤初投手の姿がオーバーラップするからだ。
去る人在れば来る人在りで、ファイターズの小笠原道大選手*1がジャイアンツ入りを決断した。球界全体の繁栄を考えた場合、彼には是非ともファイターズに残留して貰いたかった。厳しい経済状態に在る中、駒大苫小牧の大活躍に続いてファイターズの優勝と、北海道に希望の星が徐々に瞬き始めていただけに残念でならない。
北海道といえば、財政破綻した夕張市の財政再建計画案が先日報じられていた。夕張市と言えば嘗ては「炭鉱の町」として知られ、”黒いダイヤモンド”の採掘に従事する人達及びその家族で賑わっていた。1960年には約12万人の人口を誇った彼の地も、世の中のエネルギー源が石炭から石油に移り変わって行く中で鉱山が閉鎖され、それ以降は住民の流出が進み、今や全盛期の9分の1以下の約1万3千人という状況に。(夕張炭鉱の哀しい歴史の一端が、おりがみ様のブログ「記憶鮮明、意味不明」の「黄色いハンカチは今」という記事で触れられている。是非読んで戴きたい。)
そこで夕張市は「炭鉱の町」から「観光の町」への転換を決めたのだが、やった事は結局”ハコモノ”の大量生産。そして御決まりの如く観光客の誘致に失敗し、莫大な借金を抱え込み財政破綻に到ってしまった。借金の額は約360億円。
この莫大な借金を約20年で返済すべく、市が打ち出した財政再建計画案の内容が、夕張市民の間に波紋を投じている。現在約270人の職員を2009年度当初迄に半分以下に減らし、職員の給与を来年度から平均3割カットするという”身内”への厳しい姿勢は何処ぞの国会議員達に見習わせたい所だが、一般市民に求められる負担はそれ以上の過酷さ。
所得に応じた市民税率を0・5%、固定資産税率を0・05%、そして公共施設の使用料は50%それぞれ引き上げられる。下水道使用料は10㎥当たり約1,000円引き上げて2,440円とし、ゴミ処理を有料化。小・中学校併せて11校を4年内に各1校に統廃合。「元々格安だったのを、国の基準に合わせただけ。」とは言うものの、保育料は大幅にアップ。市営の共同浴場6か所の内2ヶ所と公衆便所7か所全ては閉鎖(残った共同浴場には、入湯税150円が新設される。)、図書館やプール、市営球場等の公的施設の廃止も盛り込まれている。「40歳代の夫婦と小学生、幼児(3歳以上)の4人家族」の場合、試算では年間16万5,880円(月額1万3,824円)の負担増になるとか。
夕張市では65歳以上の高齢者の割合が40%以上との事だが、そんな彼等にも負担は大きく圧し掛かってくる。70歳以上の高齢者が病院の行き帰りに使用するバスは一律片道200円なのだそうだが、補助廃止で最高4倍以上に跳ね上がる。2008年には市営の養護老人ホームが廃止されるとか。現在47人の入居者は住む家を失う訳だ。
夕張市を指導する立場の総務省は、今後”第二の夕張市”を出現させない為に一罰百戒的な意味合いから、より厳しい案の提示、即ち「全国最低水準の生活」を市民に求めて行く意向とか。
「貧乏人は何もせずに、死ぬまで暮らせ。」という事か。夕張市民には同情を覚えるが、これ迄の放漫財政を結果的に黙認して来たのも夕張市民なのだ。財政がかなり危機的な状況に在る事はそれなりに知っていたのだろうが、心の何処かには「いざとなれば国が救済してくれる。」という”甘え”も在ったと思う。故にこの期に及んで、市側の案を一方的に糾弾するというのもどうかとは思う。
だが、それにしても過酷だ。或る新聞では「夕張市を出るも残るも地獄」と報じていたが、その通りだろう。そして、夕張市の現状は決して対岸の火事では無いと思う。ともすると他者を面白おかしく甚振る為に用いられる事が多い「自己責任」という言葉だが、何処の地域に在ってもその地域の財政状況を厳しく監視していないと、遠からずの内に夕張市民の悲哀を味わう事になると思うべし。無駄金をバンバン使っているトップは結構居るのだ。
*1 とは言え、こんな状態のジャイアンツに来てくれる小笠原選手には感謝の気持ちを持っている。「外様に冷たいジャイアンツに在って、彼が活躍出来るのだろうか?」という声も在るが、個人的には活躍出来るのではないかと期待している。ジャイアンツに入ったからと言って、浮付いた気持ちになってしまう様なタイプでは無いと思うし、これはあくまでもイメージ的なものなのだが、彼には嘗てジャイアンツに移籍して活躍してくれた”鉄仮面”こと加藤初投手の姿がオーバーラップするからだ。
やはり職員の意識や市民の行政に対する姿勢に問題があると思います。
うちもそうですが、ほとんどの市民や職員は都会からおくれてるのだから、高速道路が必要って言います。
私は嫌われるの覚悟で反対を主張します。
個人の家庭の家計に例えれば住宅ローン等の負債が山ほどあるのに、コンパクトカーで充分なところをスポーツカーに買い換えるみたいなものだと。
夕張市民も自分達が選んだ市長や議会の政治が招いたことを認識すべきです。
やはり一時的な混乱はあっても公共事業に頼る経済はやめるべきです。そうしないと夕張市のような自治体は次から次へと出てくるでしょう。
言い方悪いですが、高学歴の人材が働ける場所が少ないというのは地域にとってかなり致命的な事ではないかと思います。
新しい産業を生み出す事ができず、人工的な観光と商業に頼った産業の育成は一時的な話題を呼べても永続的な発展に結びつかずに破綻する例が多いような気がします。
では夕張市はどうすれば良かったのか?
難しいですが、無理に人口の維持を考えずに農業の振興を図ればよかったのではないでしょうか。
夕張の方は気の毒ですが。負担無しというのは無理ですね。
夕張だけの問題じゃないですホントに。明日は我が身。
おっとは高知出身ですが、20数年前「どうしてこっち(東京)に出てきたの?」と聞いたら「仕事無かったもん」とはっきり云いました。
南国土佐を後にしてミヤコへ行く人幾万ぞ・・と言う替え歌があるくらいですから。にぎわってるのは市街地や郊外の大型店です。漁村とか山間部に行くと愕然とする景色(廃墟。廃屋)に出会えます。
上の方のご意見に賛成ですが
>無理に人口の維持を考えずに農業の振興を図ればよかったのではないでしょうか。
うーん・・これは当時としては厳しい選択かも。農政もとんでもないコトになってますからねぇ・・・。お米の安さったら泣けてきますし、メロン以外のウリものが(洒落じゃないですよ)あの炭鉱の土地に栽培できたのかどうかはわかりません。
ファーム球団誘致とかも、あの寒い気候では二の足かぁ・・・。
みのが朝ズバでワーワー言ってますが、余計人口流出しちゃいそうです。
ではまたー。
市民に責任があると主張するメディアも含めた人々の多くは、夕張市が決算期になると一時借入金を使った赤字隠しをしていたことをもう少し考慮してあげられないものでしょうか?
日本中の町で同じように所謂、粉飾決算が行われて毎年毎年帳簿上黒字とアナウンスされていたら、多くの平々凡々と暮らしている一般市民にその危機感が生まれるだろうか?いや、無理だろう。公の目に見える無駄でさえ不満を持っても他人任せで実害無しには然う然う自発的に解決する意欲を持たない人間が跋扈する昨今。そんな日本中何処にでも居る極普通の存在になってしまった人達を民度が低いと斬り捨てられる程、我々は高邁なのだろうか?殆どの日本人は目に見えない不正など分かるはずが無い。増してや気の置けない政治家の知り合いなんて居やしない。
悲しいかな、地方自治の担い手達の意識や能力は普段から各メディアで見慣れている国政レベルのそれとは雲泥の差なのです。役人は小規模故フットワークはそれ也に軽いが前例主義には変わりはなく、議員は地元の名士と目されている古参議員が略無選挙で多選し、たまにそういう人達の中で引退することで空きが出たほんの1、2議席が右も左も分からない新人によって埋められて、そういう新人も議会に入れば事なかれ主義で惰眠を貪る古参多選議員の権勢を恐れて意見一つ言うのにも気を使い、波風起こすとその地域社会で生きて行けなくなるから結局日和るしかなくなる。支持団体の有無に関わらず地方ではそうなってしまっているのです。
もうお分かりでしょう。所詮、地方自治は腐っているのです。規模が小さいから見通しが利くどころか顔がはっきりと見える分しがらみが非常に強い。どんなに高潔な志が有ろうが地域生活に根差したそういうしがらみが邪魔して、ケツに火が着いて更に火達磨にならないと知恵熱が出ない体質なのです。
それでも地方都市といえども大都市は地元マスコミや市民オンブズマンがそれ也に監視しているので上記ほど酷くは有りませんが、得てして過疎の地方にはそのマスコミもオンブズマンなんて監視組織もないから身も蓋も無い。
当時の前夕張市長にしてみれば、世の中を見渡せば何処も彼処も交付金で箱ものを建てるのが当たり前な時代、既存予算だけでは大量雇用も税収も望めない新規の農業事業に舵を切るより、霞ヶ関の紐付きとはいえ箱ものを作るならどんどん奮発してくれた地方交付金、更に閉山に共なう特別交付金も有るとなれば折からのバブル景気に乗っ掛って当時流行りの観光レジャー事業に舵を切ってしまったのもしょうがないのではないかと思います。
勿論、バブルに踊ったことは今思えば愚かだったけれど、当時は日本中が踊り狂い、それを助長していたのは紐付き交付金をばら撒いて我田に水を引いた霞ヶ関だったのに、踊りを止めたら死んでしまうと信じたあまり、皮肉にも踊り死んでしまったら我関せずで一罰百戒とは笑止でしょう。関東東海地方などはバブルの残滓は今や見る影も有りませんが、日本全国各地でまだまだバブルの残照は影を落とし続けているのです。
とどのつまり、夕張の失敗はこの「踊りを止めたら死んでしまう」と信じたことに有るのであって、踊らされたこと自体については情状を斟酌したいものです。
無論、全て、バブルと霞ヶ関が悪いと言う気は毛頭有りません。哀れにも、「踊りを止めたら死んでしまう」と信じて巧妙に真実を隠し通した前夕張市長を信じてしまった結果責任を市民は負わなければならないでしょう。多分世論は市民の甘えだとか自己責任だというのが大勢でしょうが、私には惨過ぎてそこまでは言えません。
荒唐無稽で例えが悪いですが、全市民がエクソダスしてしまったら全国民で尻拭いする羽目にになる。ですが農家はそれをしようにも絶対出来ないところに悲劇があるわけで。。。このように諸々の事情を考えたら、これから艱難辛苦に耐え忍ぶ夕張市民に対して温かく寛容で在りたいと思うのです。
(・・・いくらなんでも長過ぎますね。すみません。最後までお読み頂き有り難う御座います。)
「夕張市民には同情を覚える。→だが、放漫財政を黙認して来た夕張市民に責任が無いとは言えない。→だが、過酷過ぎる。」文章の中でもやや一貫性の無い”蛇行”気味の私見を書かせて貰ったのには、公民様と同様の気持ちも拭い去れなかった為なんです。と言うのも、夕張市側が借入金等を用いて表面的に”目晦まし”をしていたという話も在り、財政の”実状”を市民がどれ程迄きちんと確認出来たかという点に疑問が残る所で、今日の報道でも「連結決算をきちんと行っていない地方自治体では、住民が実状を見破るのは難しいと言える。」と語っていた専門家も居ましたしね。
唯、同情、そして過酷過ぎるという市民を庇いたい気持ちが在る一方で、夕張市の放漫財政に関しては5、6年程前から週刊誌(「週刊文春」か「週刊新潮」だったと思いますが。)で何度か取り上げられており、何故その当時から市民は騒がなかったのだろうか?という思いも在るんです。実際に同じ立場になってみたら自分も同じ思いになったかもしれませんが、其処にはやはり「何かやばそうだけど、いざとなったら国が救済してくれるさ。」という甘えが在ったのではないかという気がするんですね。
上記した様に、自分も同じ様な楽観的な思いを抱いてしまった”かも”しれませんが、やはり今後同じ様な苦しみを味わう住民達が続出しない為にも、他山の石として自らを律しなければいけないなあと思うんです。
バブル期の日本は本当に狂っていました。多くの人達が、太平の世が未来永劫に続くという熱に浮かされていたと思います。「ふるさと創生事業」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E5%89%B5%E7%94%9F%E4%BA%8B%E6%A5%AD)なる”実の無い”政策で、全国の市町村に一律1億円の交付金がばら撒かれ、それで「黄金のこけし」やら「日本一長い滑り台」といった”キワモノ”が次々に作られましたよね。
夕張市の失敗は、決して他人事では無い。自らを律し、少なくとも自らが在住する地域の財政はきちんと監視しなければ、明日は我が身だと思います。
唯、堂々巡りになってしまうのですが、夕張市民の責任”も”感じる一方で、それにしても酷過ぎるという思いがどうしても拭えないのも事実。何でもかんでも国が救済するというスタイルは、国家財政自体が逼迫している今、決して好ましくは無いものの、国会議員を一人”飼う”のに年間最低1億円かかるという話を耳にすると、「じゃあ議員数を半減して浮いた分を、夕張市の借金穴埋めに廻せば、2年も在れば完済になるのに。」という思いが出て来てしまうんですよね・・・。
はじめまして。あなたの仰ること良く解るつもりです。
確かに親戚が多い人が議員になる議会。
我が身の保身が大切で前例と中央省庁の通達の神学論争が大事な職員。
そのなかで有権者が適切な判断をするのは確かに難しかったかもしれませんね。
今の役所に一番欠けるのは説明責任です。
ただ僕が思うのは夕張市程度の規模の自治体で議会が市の財政状態を把握してなかったとは到底考えられません。野党もいるし今夜のテレビで夕張市の特集してたけど、やはり財政の危機を訴えていた議員もいたそうです。
厳しいようだけど市民にも責任はあります。
それにマスコミが指摘しない点。
夕張市のような人口1万人を超える程度の自治体で何百億も箱物をつくる公共事業をすればオイシイ思いをした人達はたくさんいたはず。
その報いといえなくもないです。
関係なかった人達は同情しますが・・・
生活弱者になればなる程過酷な影響が及ぶもの。ですから敢えて思うのです。これから運良く引っ越す宛が有って町を去ってしまう人達の分まで結果責任をとらされる泣く泣く残らざるを得ない人々の行く末を。
決して高いとは言えない日本の民度を思えば、この現在の国情に忸怩たる思いで甘んじている日本人の一人としては分を弁え医者の不養生のようなことは言いますまいと。
運悪く過失を犯して服役する事が確定した後になってさえ、咎人に更に鞭打つような言葉を使うことは、他人である私には惨過ぎて口の端に乗せるのも憚りたいと思うのです。
「20年で約360億円の借金を返済する為、非常に厳しい生活環境に何とか市民を挙げて耐えて欲しい。」市側としてはそういう思いなのでしょう。唯気になるのは、果たしてこの”耐久生活”を強いた所で、果たして目論見通り20年で完済出来るのだろうかという事。公民様も御指摘の様に、彼の地に見切りを付けて外に出てしまう人が出るで在ろう事は予想され、その多くは比較的若い世代だと思われます。若い世代、それも勤労者の流出が増加すれば、必然的に税収は減少して行く訳で、そうなると更なる耐久生活を強いられるといった”負のスパイラル”に陥る可能性は大かと。
結局、公民様にしてもアラメイン伯様にしても、そして私自身にしても、心の根っこの部分では夕張市民の多く(これ迄散々美味しい目に遭って来た人達は別にして。)に深い同情を感じているのは同じなんですよね。だからこそ悩ましく在るのですが・・・。
住民税があがるとかは仕方ないにしても除雪の費用とか国が援助すべきではないかとも思いますね。
市民に責任があるという考えに変わりませんが、こういう状態になるまで放置して勇気を持って市民に告げなかった市長や職員、議会の罪は重いです。