流石に最近は殆ど見なくなったが、30代前半位迄はストレスが極度に溜まると嫌な夢を良く見た。「だだっ広い教室にて試験を受けている場面」というのが定番で、試験監督官の「残り時間は5分です。」という声が室内に響き渡り、ふっと自身の答案用紙を見ると、何も書かれていない真っ白状態で焦り捲るという悪夢。実際にそんな経験をした事は無いのだが、悪夢に魘された挙句に目が覚めると、嫌な寝汗をびっしょりかいて疲労困憊状態。それだけ、自分にとって「試験」は嫌な存在だったという証しなのだろう。
試験と言えば一昨日、今年の大学入試センター試験が終了した。いよいよ受験シーズン到来という事で、受験生達には持てる力をフルに出し切って、良い結果を残して貰いたいもの。自分が受験生だった頃は「大学共通一次試験」という呼称で、国公立を志願する者は5教科7科目(国語、数学、英語、理科2科目、社会2科目。)を受験しなければならなかった。無謀にも国公立“も”志願した自分だが、何しろ理系科目がサッパリ駄目だったので、この試験が本当に嫌だった。
東京新聞の社説「筆洗」(19日付、朝刊)が、今年のセンター試験に付いて触れていた。国語の試験の第1問は、政治社会学者の栗原彬氏が1984年に発表した評論「かんけりの政治学」から出題された物で、「缶蹴り」等の身近な遊びを取り上げ乍ら、社会の在り様を考えさせる内容。本文中には「かんけりは子供たちに好まれている」と記されているのだが、出題者はこの「缶蹴り」の意味を受験生が判らない可能性を考えてか、注釈を付けていたそうだ。
幼少時、缶蹴りを当たり前の様に遣っていた自分からすると「へー。」と思ってしまうのと同時に、「そう言われてみれば、缶蹴りなんか知らない今時の子って多いだろうなあ。」と妙に納得してしまう。先日、おりがみ様が学生時代に読まれた森鴎外氏の「舞姫」の事を書き込んで下さったが、文語体で書かれたあの小説は注釈に溢れており、それ等が無かったら現代人の多くは内容を理解するのに呻吟する事だろう。缶蹴りに留まらず、「竹馬」や「どろけい」、「影踏み」等、昔は普通に遊ばれていた物も、やがては注釈が無ければ全く理解出来ない存在になってしまうのかもしれない。
試験と言えば一昨日、今年の大学入試センター試験が終了した。いよいよ受験シーズン到来という事で、受験生達には持てる力をフルに出し切って、良い結果を残して貰いたいもの。自分が受験生だった頃は「大学共通一次試験」という呼称で、国公立を志願する者は5教科7科目(国語、数学、英語、理科2科目、社会2科目。)を受験しなければならなかった。無謀にも国公立“も”志願した自分だが、何しろ理系科目がサッパリ駄目だったので、この試験が本当に嫌だった。
東京新聞の社説「筆洗」(19日付、朝刊)が、今年のセンター試験に付いて触れていた。国語の試験の第1問は、政治社会学者の栗原彬氏が1984年に発表した評論「かんけりの政治学」から出題された物で、「缶蹴り」等の身近な遊びを取り上げ乍ら、社会の在り様を考えさせる内容。本文中には「かんけりは子供たちに好まれている」と記されているのだが、出題者はこの「缶蹴り」の意味を受験生が判らない可能性を考えてか、注釈を付けていたそうだ。
幼少時、缶蹴りを当たり前の様に遣っていた自分からすると「へー。」と思ってしまうのと同時に、「そう言われてみれば、缶蹴りなんか知らない今時の子って多いだろうなあ。」と妙に納得してしまう。先日、おりがみ様が学生時代に読まれた森鴎外氏の「舞姫」の事を書き込んで下さったが、文語体で書かれたあの小説は注釈に溢れており、それ等が無かったら現代人の多くは内容を理解するのに呻吟する事だろう。缶蹴りに留まらず、「竹馬」や「どろけい」、「影踏み」等、昔は普通に遊ばれていた物も、やがては注釈が無ければ全く理解出来ない存在になってしまうのかもしれない。
共通一時対策?として黒く塗りつぶす練習までやりました。 やっててなんだが馬鹿げていて、ストーンズ好きのだれかが、「ペイント、イット、ブラック!イェーイ」とか叫ぶやつがいたっけ。 現代国語にも古文のように注釈がなくては解読?できなくなる時が来るのですかね。 昔の遊びやモノではありませんが、チェのことを何も知らない、韓国に修学旅行で行ったりするのが普通になってしまった最近の高校生はチェを崔と思ってしまったり、単なるTシャツの絵柄のオジサンのようで、いずれ旧東欧やロシアですら革命という言葉にも長い注釈が必要な時代が来るかもしれませんね。
実際にそういった経験は無いのに、嫌と言う程試験場での悪夢を見るというのは、やはり「試験」に対する潜在的な強迫観念が在るんでしょうね。
マークシートを塗り潰す練習、自分もさせられました。「楕円部分から食み出さない様に。」とか「鉛筆はBの濃さの物を使う事。」とかって注意され乍ら、しこしこ塗り潰すあの練習って、今考えるとかなり間抜けでしたね。
>注釈
この前どんと焼きとか左義長を知らない人がいました。
大学時代、授業料をバイトで稼がなければいけないという事情に加え、勉強嫌いという事も在って(笑)、講義には余り真面目に出ていませんでした。故に3年を終えた時点で取得していた単位は多く無く、4年で卒業出来るかどうかはかなり危うい状態。「1単位足りないので、留年だな。」と教授から通達され、「そこを何とか御願いします!」と必死で叫ぶ夢を見て、やはり嫌な汗をかいた事も何度か在りましたね。
因みに「どんと焼き」は知っておりましたが「左義長」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E7%BE%A9%E9%95%B7)は知りませんでした。
あ~あ、オレはもう学生じゃないんだ。試験はないんだ。あの時の安堵感は快楽ですね。
缶けり、どううま、かかしけんぱ、さざえさん
これらは、私が子供のころに遊んだ遊びです。私は神戸市立の小学校でしたが。
こういう土地土地の子供の遊びは、誰かが残そうという意志を持って、記録に留めておかないといずれ忘れさられてしまうでしょう。
何故か高校に通っていて
また自分でも二回目通っていると
判っているのです。
夢ながら、何が言いたいのでしょうね?
>どんと
私は「とんど」と記憶しています。
今はダイオキシンがどうこうとかあり
あまり聞きませんね・・
大きくなると「仲の良い人がいなくなって寂しくなる夢」、「旅行の待ち合わせ場所に遅れる夢」ですね。
ちょっと前に牟田悌三氏のエントリーが有りましたが、
私も「ケンちゃんシリーズ」をよく見ていました。
ある回で戦争中のエピソードがでてきて、
一緒にTVをみていた祖父から、
「昔は戦争があってアメリカのB29に爆弾落とされた」などの話を聞きました。
思わず、飛行機が飛んでないか窓の外を確認したぐらい怖かった思い出があります。
祖父から「もう戦争も終わっているから爆弾は落とされない」と言われても
やはり怖くて、それがトラウマになったのか、
しばらくは空襲に会う夢を見ました。
空襲の夢というのは、かなり恐ろしいでしょうね。自分は空襲の夢こそ見た事は在りませんが、小学校の頃に読んだ「はだしのゲン」がトラウマとなって、原爆投下直後の地獄の様な有り様を夢で見た事は在ります。実際に体験した訳では当然在りませんが、家族が倒壊した家の下敷きになり、必死で助け出そうとするものの無理で、やがて火の手が迫って来る・・・という所で目が覚めました。全く嫌な夢です。自分の場合はあくまでも夢なのですが、世界では今正に戦争が現実の地域も在る。平和で在る事の幸せに感謝する一方で、戦禍に苦しんでいる人達が存在している事に心の痛みを感じます。
缶蹴りに注釈がついたのは驚きでしたが、言われてみると缶蹴りで遊んでいる子供たちも見なくなりましたね。
「どろけい」という言葉になじみがなく、参照先を拝見しましたら、なるほど「警察と泥棒」でしたね。私の地方では「けいどろ」と呼ばれていました。
先日、友人がUFOキャッチャーで取ったデジカメを幼稚園児の娘におもちゃとして与えたそうです。景品ですから、もちろんモニターもついていないのですけど、「ファインダーをのぞいて撮る」というのにとても違和感があったようで、また撮った写真をすぐに確認できないということで、あまり喜ばれなかったそうです。私の時代はカメラなんて高価で「おもちゃ」としては買い与えられなかったのに...。学研雑誌の付録についてきたカメラ(ピンホールカメラというのでしょうか?)を大事にして遊んでいた記憶があります。
ゲーム機の中で遊んだ気にさせられて大きくなっているヒトが多いのですからして体力低下は無理もないかと・・。
缶けり、ドロケイあたりは小学校で必修科目にしといたほうがよさそうです。
うちの保育所では卒園までには
とりあえずコマがまわせて竹馬が乗れて逆上がりができて鶴が折れてドロ団子が作れるようにはなってますが・・・もうそれだけではおっつかない時代になっています。