自分が“真田幸村(信繁)”という人物の事を知ったのは、幼い頃に見たNHK人形劇「真田十勇士」【音声】によってだった。同番組が放送開始されたのは1975年4月7日だから、もう47年も前の事になる。真田幸村と彼に従う十勇士の魅力、そして何よりも“判官贔屓”な質の自分なので、「弱き立場の存在に加勢し、そして死んで行った彼等の物語。」に、思い切り感情移入してしまった。
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昌幸、信之、幸村の真田父子と、徳川家康、織田有楽斎、南条元忠、後藤又兵衛、伊達政宗、毛利勝永等の思惑が交錯する大坂の陣。男達の陰影が鮮やかに照らし出されるミステリアスな戦国万華鏡。
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今村翔吾氏の小説「幸村を討て」を読了。今村作品を読むのは、第166回(2021年下半期)直木賞を受賞した「塞王の楯」(総合評価:星4.5個)に続いて2作品目。
「幸村を討て」は1614年~1615年に起こった「大坂の陣」、特に豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」を中心に描いている。「徳川家康の視点」、「織田有楽斎の視点」、「南条元忠の視点」、「後藤又兵衛の視点」、「伊達政宗の視点」、そして「毛利勝永の視点」と、其れ其れの視点から描かれたストーリーが“章仕立て”で設けられ、其の合間合間に「真田信之の視点」から描かれたストーリーが短く挟まっている。「真田信之の視点」から描かれた部分には“章の名前”の代わりに、最初は「1文銭が1枚」、次は「1文銭が2枚」というう風にイラストで描かれ、最後は「1文銭が6枚」、即ち「六文銭」のイラストとなっている。歴史好きなら御判りだろうが、「六文銭と言えば“真田家の家紋”。」で在り、心憎い設定で在る。
真田昌幸と言えば、「少数で臨んだ『上田合戦』にて、2度も多数の徳川家康軍を撃退し、徳川家康を震え上がらせた策士。」として知られている。其の一方で、何度も仕える相手を変えて来たという現実も在り、人によっては「大局的見地は無かった。」と考える人も居るだろう。(真田家の規模や置かれていた状況を考えると、そういう風に“渡り歩く”形しか無かったのだろうな。」と、自分は思うが。)
真田昌幸と信之&幸村の父子は、「関ヶ原の戦い」によって大きく運命が変わる。信之は家康の重臣・本多忠勝の娘を娶った事も在り、家康率いる東軍に加わった。一方、“大の家康嫌い”の昌幸と、大谷吉継の娘を娶った幸村は、(大谷吉継の親友でも在る)石田三成率いる西軍に加わった。「何方の軍が勝っても、『真田家』は存続出来る。」という苦肉の策からでは在ったが、父子は敵と味方に分かれてしまったのだ。
結果、東軍は勝利を収める。敗軍側の昌幸と幸村は殺されてもおかしくなかったが、信之の助命嘆願により命は助かるが、高野山への蟄居が申し付けられる。10年余り失意の中に在った昌幸は、1611年に病死。そして、残された幸村は臥薪嘗胆の思いを持ち続け、大坂の陣に参戦し、華々しく散った。
歴史を振り返る時、我々は概して“歴史上の主要人物”にのみ注目してしまう。勿論、彼等にも“其れ其れの人生”が在るのだけれど、「“知名度は決して高くは無い武将達”にも、“其れ其れの人生”が在る。」という当たり前の事を、「幸村を討て」は思い出させてくれる。
「幸村を討て!」というフレーズが、何人かの武将の口から発せられる。此のフレーズが、全体を通して大きな意味合いを持って来る。
各武将達の思惑、特に真田一族の其れは、“著者のイマジネーションに負う部分が大きい”のだけれど、とても興味深い。又、家康に追い詰められたかの様に見えた信之が、最後の最後に見せた“深い策”には、「策士・昌幸の血を引いているなあ。」と感心させられた。「真田家を守る。」という“3人の思い”は、大坂の陣を経ても成し遂げられたのだ。
「塞王の楯」でも感じたが、今村氏の筆力は素晴らしい。「現実社会を忘れさせ、小説世界に読者を引き込ませる才。」が在る。
総合評価は、星4.5個とする。