ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「幸村を討て」

2022年05月19日 | 書籍関連

自分が“真田幸村(信繁)”という人物の事を知ったのは、幼い頃に見たNHK人形劇真田十勇士」【音声】によってだった。番組が放送開始されたのは1975年4月7日だから、もう47年も前の事になる。真田幸村と彼に従う十勇士の魅力、そして何よりも“判官贔屓”なの自分なので、「弱き立場の存在に加勢し、そして死んで行った彼等の物語。」に、思い切り感情移入してしまった。

************************************************
昌幸信之、幸村の真田父子と、徳川家康織田有楽斎南条元忠後藤又兵衛伊達政宗毛利勝永等の思惑交錯する大坂の陣。男達の陰影鮮やかに照らし出されるミステリアス戦国万華鏡
************************************************

今村翔吾氏の小説幸村を討て」を読了。今村作品を読むのは、第166回(2021年下半期直木賞を受賞した塞王の楯」(総合評価:星4.5個)に続いて2作品目。

「幸村を討て」は1614年~1615年に起こった「大坂の陣」、特に豊臣家滅亡した「大坂夏の陣」を中心に描いている。「徳川家康の視点」、「織田有楽斎の視点」、「南条元忠の視点」、「後藤又兵衛の視点」、「伊達政宗の視点」、そして「毛利勝永の視点」と、其れ其れの視点から描かれたストーリーが“仕立て”で設けられ、其の合間合間に「真田信之の視点」から描かれたストーリーが短く挟まっている。「真田信之の視点」から描かれた部分には“章の名前”の代わりに、最初は「1銭が1枚」、次は「1文銭が2枚」というう風にイラストで描かれ、最後は「1文銭が6枚」、即ち六文銭」のイラストとなっている。歴史好きなら御判りだろうが、「六文銭と言えば“真田家の家紋”。」で在り、心憎い設定で在る。

真田昌幸と言えば、「少数で臨んだ『上田合戦』にて、2度も多数の徳川家康軍を撃退し、徳川家康を震え上がらせた策士。」として知られている。其の一方で、何度も仕える相手を変えて来たという現実も在り、人によっては大局的見地は無かった。と考える人も居るだろう。(真田家の規模や置かれていた状況を考えると、そういう風に“渡り歩く”形しか無かったのだろうな。」と、自分は思うが。)

真田昌幸と信之&幸村の父子は、「関ヶ原の戦い」によって大きく運命が変わる。信之は家康の重臣本多忠勝の娘を娶った事も在り、家康率いる東軍に加わった。一方、“大の家康嫌い”の昌幸と、大谷吉継の娘を娶った幸村は、(大谷吉継の親友でも在る)石田三成率いる西軍に加わった。「何方の軍が勝っても、『真田家』は存続出来る。」という苦肉の策からでは在ったが、父子は敵と味方に分かれてしまったのだ。

結果、東軍は勝利を収める。敗軍側の昌幸と幸村は殺されてもおかしくなかったが、信之の助命嘆願により命は助かるが、高野山への蟄居が申し付けられる。10年余り失意の中に在った昌幸は、1611年に病死。そして、残された幸村は臥薪嘗胆の思いを持ち続け、大坂の陣に参戦し、華々しく散った。

歴史を振り返る時、我々は概して“歴史上の主要人物”にのみ注目してしまう。勿論、彼等にも“其れ其れの人生”が在るのだけれど、「“知名度は決して高くは無い武将達”にも、“其れ其れの人生”が在る。」という当たり前の事を、「幸村を討て」は思い出させてくれる。

「幸村を討て!」というフレーズが、何人かの武将の口から発せられる。此のフレーズが、全体を通して大きな意味合いを持って来る。

各武将達の思惑、特に真田一族の其れは、“著者イマジネーション負う部分が大きい”のだけれど、とても興味深い。又、家康に追い詰められたかの様に見えた信之が、最後の最後に見せた“深い策”には、「策士・昌幸の血を引いているなあ。」と感心させられた。「真田家を守る。」という“3人の思い”は、大坂の陣を経ても成し遂げられたのだ。

「塞王の楯」でも感じたが、今村氏の筆力は素晴らしい。現実社会を忘れさせ、小説世界に読者を引き込ませる才。が在る。

総合評価は、星4.5個とする。


コメント    この記事についてブログを書く
« 2年連続で詰まらなさそう | トップ | 不可思議な事許り »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。