「軍部が暴走し、多くの国民が望まない中、日本は太平洋戦争に突入してしまった。」という認識を、ずっと持っていた。でも、様々な本や当時の人達の証言を読んで行く中で、必ずしもそうで無い事が判った。勿論、戦争に反対し続けた人達も存在したが、多数は戦争に対して否定的では無かったと言う。世の中を覆い尽くす閉塞感を嫌い、「戦争で勝利すれば、素晴らしい未来が待っている。」といった風に考え、戦争を望む人達が少なく無かったのは事実の様だ。そして、そういう人達がどんどん増える事で、マスメディアも戦争を肯定的に報じ始めた。「戦争反対!」を叫ぶ人達の声は、戦争を望む声の広がりによって封じ込まれて行く。「『早く戦争をしろ!』という国民の声に後押しされ、日本は無謀な戦争へと突入した。」という面“も”、自分は在った様に考えている。(だからと言って、当時の“責任者達”の罪が減じられる訳では無いが。)
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「さだまさし、インスタで呼び掛け 強制力伴わない緊急事態宣言は『自由の国の証』」(4月8日、デイリースポーツ)
歌手のさだまさしが7日、インスタグラムで「『緊急事態宣言』に今思うこと」と題した文章を投稿し、共感の声が上がっている。
さだは月額制公式サイトに投稿した文章を、其の儘インスタグラムにアップ。普段は有料会員しか読む事が出来ない文章だが、より多くの人に呼び掛ける意味を込めて、誰でも読めるインスタグラムに「全文」を掲載した。
さだは先ず、医療従事者や、生活インフラに関わる「休むにも休めない」数々の仕事に従事している人々へ感謝を伝え、ミュージシャンを含めた、働くにも場所が無い人へ「負けるな。」とエールを送った。
そして日本での緊急事態宣言が強制力を伴わない事から、「一見緩やかで、何も変わらない様に感じるでしょうが、実は此れは日本が民主主義国家で在る事の証明なのです。」と訴えた。
そして「『自由な国』で在る証なのです。誇りに思うべき事です。だからこそ、守り抜きたいのです。」とも強調。新型コロナウイルスとの戦いは「戦争」とも記し「然し、国同士が争う『戦争』と決定的に違う事は、此の病魔との戦いは『私達国民』の力だけで乗り越える事が出来る(又、乗り越えなければならない)という事です。」とも綴った。
又、「経済の事に付いて、行政に付いて、彼此言って解決する物で在れば、申し上げたい事は山程在りますが、此処は涙を呑み、言葉を呑んで、先ずは危機の回避に力を尽くす時だと思います。」とも呼び掛け。最後には、「誤解を恐れずに言うなら、我々は此の新型コロナとの戦いに於ける『戦友』です。共に力を合わせて、戦いに勝ちましょう!生き抜きましょう!母の命日の夜に。」で締め括られている。
可成りの長文だが、心を動かされた人は多く、湘南乃風の若旦那も「本当に、そう思います。」等コメント。他にも「医療従事者です。さださんのメッセージを読んで、涙が溢れました」、「心にすっと入って来る言葉でした。」、「一緒に頑張りたいです。」等、300件を超えるコメントが寄せられていた。
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我が国で“非常事態宣言”の話が出始めた頃より、ずっとモヤモヤした思いが在った。其の事を記事にし様と思い続けていたものの、上手く纏める自信が無く、ずるずると今日に到った経緯が在る。でも、今回のさだ氏の主張は、自分が書こうと思っていた事が含まれており、先ずは紹介させて貰った次第。
先ず理解しなければいけないのは、「今回の非常事態宣言は、先月に成立した『改正新型インフルエンザ対策特別措置法』に基づいている。」という事。「非常事態宣言は強制力が無い。」と喧伝されているけれど、本当にそうだろうか?改正新型インフルエンザ対策特別措置法を読むと、「臨時の医療施設を作る為の土地や家屋は、所有者の同意無く収用が出来る。」等、結構な強制力が在るのだ。「非常事態なのだし、医療施設を作る為に個人の権利が縛られるのは仕方無い。」と考える方も居られるだろう。では、「政府にとって不都合な“事実”を流そうとするメディアは、完全に封じ込める事が出来る。」となったら、どう考えるだろうか?
新型インフルエンザ等特別措置法の改正案が審議されていた3月11日、「緊急事態宣言が出た際、首相から必要な指示を受ける『指定公共機関』に民放TV局は指定されるか?」という質問に対し、「今回、民放は指定しないが、法律の枠組みとしては民放を指定して、『今、此の情報を流して貰わないと困る。』という事で指示を出す。そして、放送内容に付いて変更、差し替えをして貰うという事は、本来の趣旨に合う。そういった事は在り得る物だ。」という政府答弁書が出された。批判が出た事で、13日になって此の答弁を撤回する“様な”発言は在ったものの、細かく分析すると「番組変更の指示等の可能性を、完全に否定した訳では無い。」のだ。
新型コロナウイルス感染が世界中に広まってしまったのは、「発生源の中国が当初、“正しい情報”を隠し続けたから。」で在る。不都合な事実を報じさせなかった事で、こんなにも拡大してしまったのだ。「緊急事態宣言が出されても、日本ではそんな事は起きる訳が無い。」と主張する人も居られ様が、「自分にとって不都合な事を指摘されると、嘘を吐いたり、話を逸らしたりして、徹底的に誤魔化し続ける。本来は保存しなければならない書類も、不都合な事実が明らかになりそうならば、即座に廃棄させる。又、自分にとって都合の良い拡大解釈や、捻じ曲げた解釈を行う事を十八番としている。」という人間が、国のトップに在り続けている事実を忘れてはいまいか?
7年前の記事「“全体主義”への回帰」の中で詳しく書いたが、自民党が作成した『憲法改正案』は非常に問題が在る。憲法改正というと、第9条(平和主義)と第96条(憲法の改正手続き)に許り注目が集まるけれど、自民党が作成した「憲法改正案」は、「“個人の権利”を縛る条文が非常に多く、“全体主義への回帰”を良しとする内容。」と言って良い。こんな危うい改正案を“普通に”出しているのだから、緊急事態宣言を拡大解釈し、そして政府にとって都合の良い様に悪用しないという保証は無いだろう。
話を元に戻すが、さだ氏の書いた「一見緩やかで、何も変わらない様に感じるでしょうが、実は此れは日本が民主主義国家で在る事の証明なのです。」というのは、一面では正しいと思うし、自分も賛成だ。でも、「国民個々の自覚が足りない。」と言われてしまえば其れ迄だが、緊急事態宣言なんぞ出されなくても、国民個々が自身を律すれば済む話。「政府が、不都合な事実を抑え込む可能性が在る。」という緊急事態宣言を、望んで「早く出せ!!」と主張する人が少なく無い事に、自分はずっとモヤモヤ感が在ったのだ。
「『早く戦争をしろ!』という国民の声に後押しされ、日本は無謀な戦争へと突入した。」という過去を知れば、「緊急事態宣言を早く出せ!」なんて、軽々しくは言えない。「新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込めなかった場合、責任を取るのか?」と記者から質問されると、「首相を辞める気は無い。」という趣旨の発言をした安倍晋三首相。「どんな事をしても、感染拡大を抑え込む!」という気持ちが在れば、辞任の意思をも示せるだろう。そういう強い意思が確認出来れば、国民は安心出来るのだし。
「モラルや規範意識を破壊し、首相の座に居座る事だけを目的としている様な人物。」を、4割近くもの人間が支持し続けている現実。“余りにも鈍感過ぎる人”の多さは、日本の未来に不安を感じさせる。
実はこの記事を拝見しながら私もモヤモヤしていたのですが、考えをうまくまとめられず悶々としていました(苦笑)。
まず、先の大戦に対する認識ですが、概ねgiants-55さんと同じです。
日本で戦争の話題を取り上げるとき、空襲や原爆などの「被害者」の視点で取り上げられることが多く、「だから戦争は良くない」と結論付けられているように感じています。
だったら戦争に勝っていて空襲や原爆などの被害を被っていなかったら、言い換えれば戦争に勝っていたら「戦争は良くない」と言えていただろうかと考えてしまうのです。
現に、日本も堂々と自衛隊を憲法に明記し軍隊として認めるべきと主張する人たちは、先の大戦での侵略や植民地化、そこで現地の人たちに行ってきたことには口を濁し認めようとはしません。
個々の事例では人道的対処を貫いた将兵がいたとしても、全体としては虐待や差別があったのは否めないはずなのにです。
さて、今般の新型コロナウイルス感染対策においての政府の対応です。
当たり前のことですが、まず第一に政府には国民の生命財産を守る義務と責任があります。
徹底した感染予防対策でウイルスを封じ込めたとしても、経済が困窮して生活苦から死者が急増してもいけないし、経済活動優先で感染死者が大量に出てもいけない。
バランスを取りながらといっても、どこに重点を置いたどのバランスが良いのか、現時点でわかっている人は誰一人いない。
結末が分かっていない時だから、リーダーはこういう時こそリーダーシップを発揮し、大博打をするつもりで思い切った決断をしなければならないと思うし、全責任も負わなくてはいけない。
それが出来ないならリーダーの資格は無いし、出来ると決断したなら徹底して行わなくてはならない。
と、以上のことを考えると、緊急事態宣言を出した以上、猶予なく徹底的な対策を講じる義務と責任が安倍首相にはあります。
どんな非難をされようと徹底的な処置をして、コロナ禍の終息後は潔く職を辞して政界を去るという責任を全うすべきなのです。
何故なら、どんな決断をしたとしても、コロナ禍による感染者や死者、経済的困窮による貧困や死者の大量発生は、避けようがないからです。
つまり、このような非常事態においては、結末の如何によらずのリーダーの勝利は無いと言えるでしょう。
大変残念ながら、火事場泥棒はいます。
こんな状況に乗じて詐欺を働く人間や、休業して無人になった店舗への空き巣なども発生します。
自分本位の人間が一定数いるのは確かです。
自分が感染源になっていることに気付かず、安全なところに避難しようとする人たちが少なからずいることも確かです。
そんな時に「徹底した命令ではなく、あくまでも要請です、それが民主主義」といっていて乗り切れるでしょうか。
肝心なのは緊急事態宣言が非常事態宣言になり戒厳令になり全体主義になだれ込んでいかないよう、対策を講じておくことです。
緊急事態時のリーダーを英雄にしてはいけないのです。
先の大戦で連合国側を勝利に導いた貢献者のチャーチルやドゴールは、その後選挙で敗北しています。
戦時のリーダーを英雄として温存した国はその後独裁国家になっています。
日産を立て直したゴーンを英雄視したばかりに彼は独裁者になりました。
・・・とりとめがなくなってしまいましたが、性善説で物事を進めては事態が悪くなりますと、要約すればそれが言いたかったのかなぁ(苦笑)。
安倍首相に対して批判をし続けている自分ですが、新型コロナウイルス感染拡大という未曽有の事態に関しては、「誰が首相を務めていたとしても、感染拡大は防げなかったろうな。」という思いを持っています。其れ程、自分も含めて多くの人間(日本のみならず)は、今回のウイルスを当初は舐めていた様に思うのです。
でも、安倍首相を責められないのは、“或る時期”迄で在って、其れ以降の彼の対応は酷過ぎる。感染拡大が懸念される様になっても、“御友達との会食”を続けていた。其の事を批判されると、「様々な意見を聞くべく、様々な人と会食をしているのがいけないのか!」と何時もの如く打ち切れた。様々な意見を持つ様々な人と会食を持ち、参考にするのは悪い事では無い。でも、実態は「安倍ちゃん凄い!」と持ち上げてくれる御友達(百田尚樹氏等)だけと会食しているんだから、様々な意見を聞ける訳が無い。こういう見苦しい言い訳をするから、自分は彼を信用出来無い。正直に「色々なストレスが溜まっているので、御友達と会って発散している。」とでも言った方が、遥かに信じられる。
国民に外出自粛を要請し乍ら、首相夫人は桜を見て楽しんでいる画像を平然と公開。指摘されると「レストランで食事をし、偶々桜が映っていただけではないか!」といった趣旨の反論をした首相。何処で食事をしたから云々が問題なのでは無く、国民が皆我慢しているのに、率先して範を見せるべき首相夫人が、国民感情を逆撫でる様な事を平気でしている事が問題なのではないか?参加した人間の中からは「首相夫人は様々な分野の若い人を会わせる事で、役に立てればという善意で遣っている。」と擁護していたけれど、参加していたジャニーズの某タレントといい、、参加しているメンバーは殆ど同じで、首相夫人の“御友達”だったというのですから、全く説得力無し。此の夫婦は本当に似ていて、批判に対して「反論する事在りき。」という子供じみた部分が強い。
「戦争」に関しての悠々遊様の御意見、全く同感です。開戦に賛成し乍らも、負けたら「自分達は被害者だ!」と主張するのは変。勿論、開戦時の指導者の責任は問われるべきだけれど、開戦に賛成していた国民も「全く罪が無い。」とは言えない。
此れは他国でも言える事でしょうが、「自分の所属する組織に関する“悪い事実”は徹底的に否定し、“良い事柄”は事実で無くても、事実として賛美する。」という傾向が、日本は特に強い気がしています。「自分の祖父が所属していた部隊は、一人たりとも民間人を殺さなかったと聞いている。だから、日本軍も同様で、1人たりとも民間人を殺していない!」と主張する人が、以前居りました。「一部だけを取り上げ、全体を批判する。」というのもおかしいけれど、同様に「一部だけを取り上げ、全体も同様で在ると擁護する。」のも又、全く説得力を持たないと言えるのに。極右とか極左とか称される人達は、概してそういう傾向が強い様に感じます。何事も是々非々で当たらないと、道を誤らせてしまう。
「緊急事態時のリーダーを、英雄にしてはいけないのです。」、全く同感ですね。歴史を学べば学ぶ程、そういう思いを強くする。