案の定と言うべきか、ジャイアンツのダン・ミセリ投手が解雇された。長年ジャイアンツ・ファンをやっているが、駄目外国人選手を掴まされる事では定評の高いジャイアンツにあっても、これ程迄の超早期解雇は記憶に無い。何しろ、未だ開幕から1ヶ月も経っていないのだ。
とは言え、来日時のブクブクと太った体型から、「別人が来たのではないか?」とナイン達から揶揄されたミセリ投手。最初から不安視はされていたが、自身の相次ぐ救援の失敗を、「リトルリーグみたいな小さな球場でやってるから、こういう結果になってるんだ。」と球場のサイズに責任転嫁するに到っては、解雇も時間の問題だろうと思っていた。
首脳陣の二軍調整を拒否し、肩の痛みを主張し続けていたというのだから、球団としても解雇に踏み切らざるを得なかったのだろうが、年俸1億8千万円の大半を持っていかれた挙句、浅草観光で上機嫌な姿を見せ付けられたジャイアンツ・フロントは良い恥晒しと言っても良いだろう。
それにしても、ジャイアンツの外国人選手獲りの下手さ加減は、全く救い様が無い。以前より、エージェントの売り込みを鵜呑みにし、”名前”や過去の実績に安直に飛び付いた挙句、大金を毟り取られて続けて来たジャイアンツ。最近でこそ、球団関係者を現地派遣して実際に調査する等している様だが、過去に煮え湯を飲まされ続けて来た妙な契約(「選手本人の同意が無ければ、二軍に落とせない。」等。)を相変わらず結んでいた等、社会保険庁並みの杜撰さ。ヤンキースと戦力補強の緊急会談が行なわれたというが、泥縄と言える御粗末さで、フロントの責任が問われてしかるべきだと思う。
それにしても、過去に多くの外国人選手がやって来た日本プロ野球。中には、とんでもない連中も少なからず居た。
1984年に近鉄バファローズに入団するも、僅か29試合に出場しただけで帰国してしまったドン・マネー選手。その理由は「藤井寺球場のロッカールームにゴキブリが居たのがショックだった。」という事だった。
”台湾のイチロー”という触れ込みで1997年にジャイアンツに入団したルイス・デ・サントス選手。全くの期待外れの成績しか残せなかった彼には、真面目でせんだみつお顔をした選手というイメージしか残っていない。
1998年、結果的に日本一を決めたベイスターズに在籍していたホセ・マラベ選手。キャンプ&オープン戦では好結果を出し、開幕戦及び第2戦で連日の猛打賞を記録するも、その後は大失速。惨憺たる結果で1年を終え、首になってしまった。彼は「振った所に球が来なかった・・・。」という言葉を残して帰国したのだが、チームは日本一を決めたとはいえ、この言葉に報われない思いを覚えたベイスターズ・ファンは少なくなかったのではなかろうか。*1
ジャイアンツに在籍した外国人選手の歴史に、新たな汚点を残したミセリ投手。或る意味では、ドン・マネー選手を超える存在になるのかもしれない。ジャイアンツ・ファンとしては全く嬉しくない話だが(^o^;;;。
*1 その後、マラベ選手は韓国野球のヘテ・タイガーズに入団するも、入国の際に拳銃を所持しているのが発覚し逮捕。釈放後にキャンプに参加するも、実力不足という事で公式戦に一度も出場する事無く、1年で解雇されたそうだ。
とは言え、来日時のブクブクと太った体型から、「別人が来たのではないか?」とナイン達から揶揄されたミセリ投手。最初から不安視はされていたが、自身の相次ぐ救援の失敗を、「リトルリーグみたいな小さな球場でやってるから、こういう結果になってるんだ。」と球場のサイズに責任転嫁するに到っては、解雇も時間の問題だろうと思っていた。
首脳陣の二軍調整を拒否し、肩の痛みを主張し続けていたというのだから、球団としても解雇に踏み切らざるを得なかったのだろうが、年俸1億8千万円の大半を持っていかれた挙句、浅草観光で上機嫌な姿を見せ付けられたジャイアンツ・フロントは良い恥晒しと言っても良いだろう。
それにしても、ジャイアンツの外国人選手獲りの下手さ加減は、全く救い様が無い。以前より、エージェントの売り込みを鵜呑みにし、”名前”や過去の実績に安直に飛び付いた挙句、大金を毟り取られて続けて来たジャイアンツ。最近でこそ、球団関係者を現地派遣して実際に調査する等している様だが、過去に煮え湯を飲まされ続けて来た妙な契約(「選手本人の同意が無ければ、二軍に落とせない。」等。)を相変わらず結んでいた等、社会保険庁並みの杜撰さ。ヤンキースと戦力補強の緊急会談が行なわれたというが、泥縄と言える御粗末さで、フロントの責任が問われてしかるべきだと思う。
それにしても、過去に多くの外国人選手がやって来た日本プロ野球。中には、とんでもない連中も少なからず居た。
1984年に近鉄バファローズに入団するも、僅か29試合に出場しただけで帰国してしまったドン・マネー選手。その理由は「藤井寺球場のロッカールームにゴキブリが居たのがショックだった。」という事だった。
”台湾のイチロー”という触れ込みで1997年にジャイアンツに入団したルイス・デ・サントス選手。全くの期待外れの成績しか残せなかった彼には、真面目でせんだみつお顔をした選手というイメージしか残っていない。
1998年、結果的に日本一を決めたベイスターズに在籍していたホセ・マラベ選手。キャンプ&オープン戦では好結果を出し、開幕戦及び第2戦で連日の猛打賞を記録するも、その後は大失速。惨憺たる結果で1年を終え、首になってしまった。彼は「振った所に球が来なかった・・・。」という言葉を残して帰国したのだが、チームは日本一を決めたとはいえ、この言葉に報われない思いを覚えたベイスターズ・ファンは少なくなかったのではなかろうか。*1
ジャイアンツに在籍した外国人選手の歴史に、新たな汚点を残したミセリ投手。或る意味では、ドン・マネー選手を超える存在になるのかもしれない。ジャイアンツ・ファンとしては全く嬉しくない話だが(^o^;;;。
*1 その後、マラベ選手は韓国野球のヘテ・タイガーズに入団するも、入国の際に拳銃を所持しているのが発覚し逮捕。釈放後にキャンプに参加するも、実力不足という事で公式戦に一度も出場する事無く、1年で解雇されたそうだ。
発音は違いますけど、ピッタリでしょ?↓
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=misery&kind=jn&mode=0&ej.x=31&ej.y=5
トラックバックありがとうございました。
ミセリの解雇は当然だと思いますが、早い決断に驚きました。
過去にもダメ外国人はたくさんいたんですね。
近鉄にいたマネーは覚えています。
そこで巨人にいたダメ外国人で私が印象に残っているのはトマソンと言うバッターですね。
なんか三振ばかりして全然打てなかったと覚えています。
あとはクルーガーと言う投手もいました。
あだ名がクレージークルーガーだったと思います。
確か成績はさっぱりだったような。
巨人の歴代ダメ外国人にミセリも加わって
しまいましたね。
そうすれば、ジャイアンツの株も上がるってもんです。
追伸.黒木さんの悪口いってごめんさいね。
より低い打率で、へっぴり腰で空振りする、あのお方。
;^_^A やっぱり、前のオーナーが死んでくれないと、変われないのでしょうね。
メジャーのプライドがある人(マネーとか)には、「何故このようなところでプレーせねばならないのか。今までの努力は何だったのか」となるんでしょうね。
ミセリは違う意味ですけどね。
さて巨人ではありませんが、私の記憶に最も残っている‘ダメ’外国人といったら阪神にいたグリーンウェル。巨人に負けず劣らず(失礼な話ですけど)外国人に泣かされ続けた阪神でも彼は正にキング・オブ・給料ドロボー(笑)
その彼にヒットを打たれた数少ない投手は広島なんですけど。
それから、そうミセリのことは嘆かないでもいいと思いますよ。また獲ればいいんです。どっかのビンボー球団はそこそこ活躍した外国人すらも繋ぎとめられず、他球団で大活躍されているんですから(涙)
フロントのいい加減な契約にもあきれてます
現場もいい迷惑だったのではないでしょうかね
異国で活躍する難しさってあるのでしょうが
戦績のヒドさに言動まで信じられないとさすがにあきれてしまいますね
Gは本当にダメ外人ばかり連れてきますね。
ミセリがやめて私が思い出した選手は…。
ロッテから移籍したヒルマンです。
ミセリとはちょっと違うタイプの理由で辞めていきましたが、
年俸泥棒なのは同じですよね。。。
もぉGの外人には期待しません。
ってか生え抜きの選手にもっと金とチャンスを与えるべきですっ!!!!
「Les Miserables(レ・ミゼラブル)」の邦題は「ああ無情」ですが、差し詰めミセリ投手の場合は打たれまくって「ああ炎上」という感じでしょうか。
ジャイアンツの外国人選手史上最短の解雇というのも多くの耳目を惹いた所以でしょうが、それにも増して能天気に浅草見物してる写真が、これだけ彼を”人気者”にしてしまった理由かと(笑)。
泥縄の補強を行なっている様ですが、みっともない限りです。兎に角、獲るならば性格面も含めて適応能力が在るかどうかも判断材料にしないと、同じ轍を踏む事になると思います。
P.S. 予想通り、タイガースとの3連戦は負け越し。誰かさんではないですが、想定の範囲内とはいえ、ピッチャーが四球連発では勝負になりません。
ローズ選手も元々三振が多い選手では在りますが、今年は特に”扇風機”ぶりが目に付き、頭の痛い所です(^o^;;;。
と言うのも、「ジャイアンツにクルーガーという選手が在籍していて、”クレージー・クルーガー”というあだ名だった。」という記述に、「そんな選手居なかった筈。クルーズの間違いでは?又は、”クレージー”というあだ名ならば、”クレージー・ライト”と呼ばれたライト投手と勘違いされているのでは?」と最初思ったからです。
しかし、念の為調べてみた所(http://964.jp/Z1qh)、1979年に確かにクルーガーという選手が在籍していた事が判明。30数年の長きに亘るジャイアンツ・ファンを自認している自分にとっては、これはかなりのショックでした(笑)。
他の在籍選手(デビットやペレスといった超マイナー選手ですら。)は全て記憶しているのにも拘らず、何故かクルーガー選手だけは記憶から完璧に抜け落ちていました。と言うよりも、在籍の事実を知った今でも、この選手がどういった選手だったのか、全く思い出せない有様。恐らく、奥ヒダ様が書かれている様に、相当酷い成績しか残せなかった為なのかもしれません(笑)。
奥ヒダ様、一瞬とは言え疑念を持ってしまって、申し訳在りませんでした(^o^;;;。