御笑い大好き人間の自分にとって、「御笑いタレント」や「芸能人」というよりも、「芸人」という呼称の方が、数百倍も敬意を込めた物で在る。「芸人」とは、正に「他者が真似出来ない本当の芸を持った人」の事。其れだけ「芸の欠片も感じられない『芸“NO”人』や『馬鹿騒ぎするだけのタレント』が芸能界を跋扈している証左。」でも在る。
16年前の記事「元祖“無責任男”逝く」でも記した様に、自分は「ハナ肇とクレージーキャッツ(以降、「クレージー」と記す。)の全盛期を全く知らず、ザ・ドリフターズを”御笑いの教科書”として育って来た人間。」だ。でも、森繁久彌氏の「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」と同様、クレージーの「無責任シリーズ」や「日本一の男シリーズ」はヴィデオ等で何度も見た程好きな映画。「個性豊かなクレージーの面々は、『ジャズ・バンドの演奏者としても、高い才能を有している。』という“大前提”の基、芸人としても大活躍していたのだから凄いし、彼等が存在しなかったら、後のザ・ドリフターズは存在しなかった。」と言っても良いだろう。
“旧メンバー”というのも存在する様だが、クレージーと言えば「ハナ肇氏、植木等氏、谷啓氏、犬塚弘氏、安田伸氏、石橋エータロー氏、そして桜井センリ氏の7人。」だ。そんなクレージーも「1993年にハナ氏、1994年に石橋氏、1996年に安田氏、2007年に植木氏、2010年に谷氏、そして2012年に桜井氏が鬼籍に入られた。」が、残る犬塚氏は数年前迄芸能活動を続けておられた。
俳優としても、味の在る演技を見せていたクレージーの面々。犬塚氏も其の例外では無く、コミカルな役からシリアスな役迄、幅広い演技を見せてくれた。
そんな犬塚氏、数ヶ月前から体調を崩されて入院されていたが、(犬塚氏の意向で死亡日等は明らかにされていないが、恐らくは)26日に94歳で亡くなられたと言う。此れで、「クレージーのメンバーは、全員旅立たれた。」事になる。「一番早く旅立たれたハナ氏から30年目での全員集合。」というのは、“此の世に残された自分”からすれば喪失感しか無い。
ザ・ドリフターズもそうだが、クレージーも「“元気だった日本”に、更なる活力を与えてくれた存在だった。」と思う。合掌。
昔の歌番組は“生バンドによる演奏”が当たり前でしたけれど、コスト削減の流れも在って、今では“録音された演奏を流している”だけという“カラオケ状態”ですよね。特別番組で時折生バンドの演奏が見られますが、其の迫力&豪華さは、“録音された演奏を流している”のとは雲泥の差が在る。
ヴァラエティー番組も又、昔は豪華な作りだった。表面的な部分だけでは無く、ネタ作り等の裏方の部分にも惜しみ無く予算を注ぎ込み、出演者も手を抜かずに演じていた。クレージーの出演映像(TV番組や映画等)を見ていると、其れは感じます。
植木氏や谷氏の様に、犬塚氏は決して前面に出る役所では無かった。でも、脇役として存在感を遺憾無く発揮されていた。
大林宣彦監督が自身の“遺作”として撮った「海辺の映画館 キネマの玉手箱」は、大林監督が「此の人に、是非出演して貰いたい。」という人達を厳選した作品と言われていますね。犬塚氏も其の1人で、良い味を出していました。
自分は落語に関して大した知識は無い人間ですが、“昭和の名人”と称された5代目・古今亭古今亭志ん生氏の逸話で「酒をこよなく愛した彼は、飲み過ぎで高座で演目中に寝てしまった事も少なく無かったが、或る日、矢張り演目中に寝てしまった所、客が『寝かせておきな。こういう姿も、味が在るんだぜ。』と言った。」というのは有名ですよね。寝ている姿すらも味が在る。犬塚氏も、そんな存在だったと思います。
giants-55さんは、クレージー・キャッツの全盛期を全く知らないとの事ですが、私はその全盛期の真っ只中、1961年に始まるクレージーがレギュラーの「シャボン玉ホリデー」をリアルタイムで、毎週欠かさず見ていました。クレージーのメンバーとザ・ピーナッツとの掛け合いコントに、毎回腹を抱えて大笑いしていました。とにかくギャグや笑いのセンスが抜群で、かつ洗練されてて、今見直してもその面白さは全く古びていません。現在のお笑い番組なんか足元にも及ばないでしょう。番組の台本・構成作家として青島幸男、前田武彦といった才人たちがいた事も成功の要因だと思います。
犬塚さんはgiants-55さんも書かれている通り、“コミカルな役からシリアスな役迄、幅広い演技を見せてくれた”俳優としての活躍も見逃せませんね。
既に1965年、松竹映画「素敵な今晩わ」(野村芳太郎監督)で堂々主演を果たしています(岩下志麻と共演)。
その他クレージー映画での出演以外に、多くの映画でも印象的な助演を務め、映画の出演作は他の3人に比べダントツに多いですね。中でも山田洋次監督作品では、山田監督の出世作「馬鹿まるだし」(1964)以来、数多くの山田監督作品に出演して記憶に残る名演技を見せています。中でも1968年の「吹けば飛ぶよな男だが」における、主人公(なべおさみ)を温かく見守り、なべの不始末で指を詰めるヤクザ役は絶品とも呼べる好演でした。その他「男はつらいよ」シリーズにも6本程出演、シリーズ最後の作品「男はつらいよ 寅次郎紅の花」のタクシー運転手役も記憶に残っています。
クレージーの一員のコメディアンとしてよりも、こうした名バイプレイヤーとしての犬塚さんの活躍も忘れないでいて欲しいと思います。
最後の映画出演は、大林宣彦監督の「海辺の映画館 キネマの玉手箱」(2019)における、“映画館で幸せそうに居眠りする客”の役でした。合掌。