*********************************
デビュー戦を初回KOで飾ってから、3敗1分。当たったかも知れないパンチ、此れをしておけば勝てたかも知れない練習。
考え過ぎて許りいる、21歳プロ・ボクサーの僕は、自分の弱さに、其の人生に厭きていた。
長年のトレーナーにも見捨てられ、先輩の現役ボクサーで駆け出しトレーナーの変わり者、ウメキチとの練習の日々が、僕を、其の心身を、世界を変えて行く。
*********************************
第16回(2018年下半期)芥川賞を受賞した小説「1R1分34秒」(著者:町屋良平氏)。初回KOという素晴らしいデビュー戦を飾ったものの、以降は燻り続けているプロ・ボクサーが主人公。「ああすれば良かった。こうしていれば良かった。」といった“後ろ向きさ”が前面に出ているので、読んでいて気が滅入る。
ボクシング用語が多用されているのだが、其の説明が全く無いんで、ボクシングに興味が無い人にとっては、「どういう意味?」と戸惑いそう。自分はボクシングが好きなので、其の点では問題無かったけれど、ボクサーの日記、其れも目新しさも何も無い、だらだらとした文章を読まされている感じがした。
「文章が読み難い。」と感じてしまうのは、本来“漢字”の方がスッキリする部分を、“平仮名”で記している事が多いからだろう。
しかしその時の経験で「てにおは」や「起承転結」を覚え、会社の報告書やレポート類で、書き直しをさせられることはほとんどありませんでした(笑)。
小説も報告書の類も、意図するところを第三者に伝えるということでは同じですが、その手法は全く別物ですね。
極力表現の無駄を省き、ストレートかつ合理的に意図を伝えるのが報告書だとすれば、小説は意図の理解を助けるよう様々な表現を駆使し、しかもそれが無駄でないように見せる、ということではないかと。
作品に当たり外れの差が大きな作家は、表現力が不足というか、読者に読んでもらうという努力が不足しているのかな。
最近の入選作に外れが多いとすれば、選考者のほうにも「読むことが仕事」という一種の慣れが生じて、「お金を払って読む読者」という視点が欠けているのかもしれませんね。
「小説も報告書の類も、意図する所を第三者に伝えるという事では同じですが、其の手法は全く別物。」、「最近の入選作に外れが多いとすれば、選考者の方にも『読む事が仕事。』という一種の慣れが生じて、『御金を払って読む読者。』という視点が欠けている。」、全く同感です。
文学賞を主催しているのが出版社で在る以上、其処に「受賞作を、多く売りたい。」という感情が介在するのは止むを得ない事。そういう感情が行き過ぎてしまうと、「注目を集めそうな人の作品を受賞させたい。」となってしまい、そういう思惑が選考委員に反映される事も在るでしょうね。一時期、“最年少受賞者”とか“最高齢受賞者”というのが流行りましたが、中には読むに値しない様な物も在った。