昨日はクリスマス。良い歳になった今でも、この時期になると何故か心が浮き立ってしまうのだから、子供の場合は尚更だろう。度を越した家々のイルミネーションや、クリスマス商戦に煽られ過ぎて何でもかんでも買い求めるのはどうかと思うが、束の間とはいえ浮世の柵から魂を解き放ってくれるこういうイベントは、これからも長く存して欲しいものだ。
幼少時、自分は名古屋の片田舎に住んでいた。当時、我が家の風呂は、オガライトというおが屑を圧縮成型した燃料を釜に燃べ、その熱で炊くタイプで在った。*1従って、家の外には釜と繋がる煙突が設置されていたのだが、幼稚園児の頃は其処からサンタクロースが入って来るものと信じ切っていた。「煙突の直径が10cm在るか無いかという狭さなのに、入って来れる訳が無い。」といった思いすら浮かばない、今では考えられない程ピュアなガキだったのだ。小学校に入った辺りからは、流石にあの狭い煙突から入って来るという事に疑問を覚えたが、「ドラえもんのスモールライトを使って入って来るのではないか。」とか、「透明人間になって、ドアから入って来るのではないか。」(透明人間になったからといって、ドアを”通り抜けれる”訳ではないのだろうが(笑)。)等と考え、自らを納得させていた。
サンタクロースの存在も、かなり遅く迄信じていた。小学校4年位迄信じていた様に思う。学校で同級生にサンタクロースの事を話した際、「そんなの居る訳無いだろ。親がプレゼントを置いてるんだよ。」と嘲笑され、帰宅して親に真偽の程を尋ねた事も在る。苦笑いしながらも、「サンタクロースは居るんだよ。」と親は答えていたのが懐かしい。
うちの場合には、クリスマス・イブの夜にサンタクロースがプレゼントを持って来るという事になっていた。だから、毎年この夜は、「今年こそサンタクロースを見てやる!」と勢い込んで、かなり遅く迄狸寝入りをしていたのだが、何時の間にやら夢の世界に入り込んでしまい、朝目覚めた時には枕元にはプレゼントが置いてあるという繰り返しだった。子供の夢を壊さない様にと、さぞかし親は苦労した事だと思う。
煙突が在るという家が殆ど無くなった今、子供達は何処からサンタクロースが入って来ると思っているのだろうか?今でもプレゼントを入れて貰う為に、靴下を下げている子供は居るのだろうか?(自分も毎回下げていたが、一度たりとも中にプレゼントが入っていた事はなく、常に枕元に置かれていた。まあ、野球盤なんかが入る訳は無いのだけれども。)
そして、嘗て子供だった人達にも、「何時迄サンタクロースの存在を信じていて、何処から入って来ると思っていたか?」、「クリスマス・プレゼントは何時貰える事になっていたか?」(家によってはイブでは無く、クリスマスの夜という所も在る様なので。)、「靴下は下げていたか?」という事を無性に聞いてみたくなる。
*1 最早生産されていないと思っていたオガライトだが、”地球に優しい燃料”として今も生産されているのだとか。時代が一回りして、昔に戻っているという事か。
幼少時、自分は名古屋の片田舎に住んでいた。当時、我が家の風呂は、オガライトというおが屑を圧縮成型した燃料を釜に燃べ、その熱で炊くタイプで在った。*1従って、家の外には釜と繋がる煙突が設置されていたのだが、幼稚園児の頃は其処からサンタクロースが入って来るものと信じ切っていた。「煙突の直径が10cm在るか無いかという狭さなのに、入って来れる訳が無い。」といった思いすら浮かばない、今では考えられない程ピュアなガキだったのだ。小学校に入った辺りからは、流石にあの狭い煙突から入って来るという事に疑問を覚えたが、「ドラえもんのスモールライトを使って入って来るのではないか。」とか、「透明人間になって、ドアから入って来るのではないか。」(透明人間になったからといって、ドアを”通り抜けれる”訳ではないのだろうが(笑)。)等と考え、自らを納得させていた。
サンタクロースの存在も、かなり遅く迄信じていた。小学校4年位迄信じていた様に思う。学校で同級生にサンタクロースの事を話した際、「そんなの居る訳無いだろ。親がプレゼントを置いてるんだよ。」と嘲笑され、帰宅して親に真偽の程を尋ねた事も在る。苦笑いしながらも、「サンタクロースは居るんだよ。」と親は答えていたのが懐かしい。
うちの場合には、クリスマス・イブの夜にサンタクロースがプレゼントを持って来るという事になっていた。だから、毎年この夜は、「今年こそサンタクロースを見てやる!」と勢い込んで、かなり遅く迄狸寝入りをしていたのだが、何時の間にやら夢の世界に入り込んでしまい、朝目覚めた時には枕元にはプレゼントが置いてあるという繰り返しだった。子供の夢を壊さない様にと、さぞかし親は苦労した事だと思う。
煙突が在るという家が殆ど無くなった今、子供達は何処からサンタクロースが入って来ると思っているのだろうか?今でもプレゼントを入れて貰う為に、靴下を下げている子供は居るのだろうか?(自分も毎回下げていたが、一度たりとも中にプレゼントが入っていた事はなく、常に枕元に置かれていた。まあ、野球盤なんかが入る訳は無いのだけれども。)
そして、嘗て子供だった人達にも、「何時迄サンタクロースの存在を信じていて、何処から入って来ると思っていたか?」、「クリスマス・プレゼントは何時貰える事になっていたか?」(家によってはイブでは無く、クリスマスの夜という所も在る様なので。)、「靴下は下げていたか?」という事を無性に聞いてみたくなる。
*1 最早生産されていないと思っていたオガライトだが、”地球に優しい燃料”として今も生産されているのだとか。時代が一回りして、昔に戻っているという事か。
外国ではクリスマスは「家族・親戚みんなで過ごすもの」という感覚があるそうです。「恋人や友達と過ごす」という日本とは違いますね。でも、クリスチャンが多い国々だからか、「全ての人に幸せを!」とみんなでお祈りする気持ちは、見習いたいところがあります。
うちの娘も小学四年となった今年、サンタクロースを信じなくなりました。単身赴任生活でサンタ偽装工作もままならかったため、これ幸いとばかりに一緒にプレゼントを買いに行きましたが、まだ少し信じていた小学一年生の息子に少し悪い気もしますし、やはり少しさびしいですね。
サンタさん、私はかなり信じていたと思います。殆どの人が、サンタさんが親であることを知った衝撃を言われますが、何故か私にはその辺ボワ~ンと過ぎて行ってしまい、自然にいつの間にか真実を知ったって感じかな。
でも、夢は壊されずにこの年まで来ました。(笑) 甥っ子二人小二と年長ですが、まだしっかり信じていますね~。 上の坊主は煙突無いのにどうやって来たんだろう???って言ってたそうですが。 下は煙突無いので窓から入ってくる!!と言ってました。(笑)
夢があるのっていいですね~☆
・・私には今年サンタさん来なかったよ~(T_T)
煙突のある木造の平屋 お米屋さんが配達してくれるオガライトでお風呂を沸かす・・五右衛門風呂?
いま思い返せば、不便な生活だったけれど、
なぜか忘れがたい、濃密な人間関係がそこにはありました・・。
先日はお気遣い有難うございます。
野暮用があり、返事が遅れまして、すみません。
私も杉田かおるさんの話に行き当たった仲間です(笑)
知らなければ良かったことは山のように増えますネ。
知識を得れば、選択肢が増え、洞察力が深まり、感情もコントロールできるようになりますが、浮ついた部分がなくなり、性格が暗くなるのも避けられません。
人間は一旦知ったことからは逃逃れられない。
知ればますます際限ない知識への欲望が深まる。
知識を怪物のように感じることがしばしばです(笑)
私はまだまだ未熟なので臆病なのかも知れません。
こちらにお邪魔するようになってまだ日が浅く、拝見していない記事もたくさんありますので、過去の記事へのコメントをご容赦下さい〆