高齢者の割合が増加している事も在るのだろうが、近年、夜中に救急車が走行する際のサイレンを耳にする機会が増えている。今年に入ってからは特に多く、「厳しい寒さが影響しているのかなあ?」と思ったりも。
先達て、知り合いの男性高齢者が自宅で意識を無くし、其の事に気付いた家人が呼んだ救急車にて、病院に運ばれた。幸いにも意識を取り戻し、今は元気なのだが、当時の事を其の家人が「本当に参っちゃったわ。」と話してくれた。
件の男性高齢者を「A氏」、其の家人を「Bさん」とするが、病院で意識を取り戻したA氏に対して医師が「どういう状態で意識を失われたか、覚えてらっしゃいますか?」と質問した所、A氏は「意識なんか失っていません。」と返答。「え?でも、意識を失われた状態で、此処に運び込まれて来たんですよ。」と医師が言っても、「唯、ボーっとしてただけで、意識は在りました。」等と言い張り続ける。Bさんが「何言ってるのよ。私が何度も何度も呼び掛けても、うんともすんとも言わないどころか、ぴくりとも動かないから、救急車で運んで貰ったんじゃないの。」と言っても、「否、そんな事は無い。意識はちゃんと在った。」と、此れ又一切認めない。最後は医師もBさんも、苦笑いするしか無かったと言う。
以前、病院関係者が記していたのだが、女性よりも男性の患者の方が厄介なのは、「自覚症状を、実際よりも軽く言い勝ちな点」なのだとか。女性の場合は概して自覚症状通りに言ってくれるのだが、男性の場合は「『痛いだ何だ。』と言うと、『男の癖に情け無い。』と思われそう。」という気持ちが強く働くのか、実際よりも軽く言い勝ちで、故に適切な処置が施せずに、症状を悪化させてしまうケースも少なく無いと。
前にも書いた事だが、高齢者が地域のイヴェントに参加する際、女性はすんなりと溶け込めるけれど、男性は中々溶け込めず、数回参加しただけで、来なくなってしまう人が結構居るらしい。「現役時代の肩書」を引き摺り、其の事許りを口にする(ひけらかす)ものだから、自ずと周りが煙たがり、離れて行ってしまうのが原因。「現役時代」は「現役時代」、「今」は「今」という切り替えが出来ない訳だが、そういう意味でも男性は厄介なのだろう。
自身が実際に経験してみないと、判らない事って在りますよね。自分は意識を失った事が無いのですが、高血圧を罹患している友人は、一度意識を失った事が在り、其の際には一瞬ブラックアウト状態、即ち目の前が真っ暗となって、気付いたら倒れていたそうです。時間的には数秒の事なのでしょうが、「倒れた時に打ち所が悪かったら・・・。」と話していました。
強烈な雨の日、スリップ事故(自損事故)を起こした事が在りますが、良くそういう時には「クルクルと車が回転するも、スローモーションの様な感じに見えた。」なんて話を以前に聞いていました。実際、そんな感じなので、「本当だったんだ。」と驚いたもの。実際にはそんな事無いんでしょうが、感覚的にはそう感じてしまうのでしょう。
「健康保険に加入していない患者が担ぎ込まれ、治療をした後にドロンされ、治療費を取りっぱぐれてしまうケースが少なく無く、病院の経営を悪化させる要因となっている。」なんて話を見聞しますが、海外では「(民間企業のも含め)健康保険の有無を確認出来ないと、急患で運び込まれても、治療して貰えない。」なんて事も珍しく無いと言いますから、そういう意味でも「日本に生まれて良かったなあ。」と思いますね。
意識不明から救急車が来るまでに意識が戻ったのですが意識が有るし目も開いてるけど何故か見える景色は一面灰色でした(人間死ぬ時はこんな状態になるのかなと思いました)
しばらく入院したんですが入院中に勉強になった医者の言葉はどんなにガンの予防(焦げた魚や肉を食べないなど)をしてもガンに成る人は成る何故なら生まれた時に既に遺伝子の中にガン細胞が有るからと言われた事と一文無しだろうが保険証が無かろうが救急車で運ばれて来たら迅速に検査及び治療はするから何か有ったら救急車で運ばれて来いと言われた事です(そりゃ一文無しで保険証も無しでテクテク歩いて病院に行っても相手にされないでしょうね)
現役を退いても、“過去”に強くしがみ付く人っていうのは、結局「自身」に自信を持てず、其れ故に「過去の名声」等に固執してしまうのでしょうね。
自分は“気にしい”という事も在り、「陰で『彼の人は、未だしがみ付いているのか。』と言われるのが嫌。」なので、“古巣”に電話するなんて事は無理。そういうのが平気で出来てしまうというのは、良くも悪くも“鈍感”なのかも。
女性でも、AK様が書かれている様なタイプは居ますね。そういう人は大概、周りがウザく感じ、離れて行ってしまうもの。「人の振り見て、我が振り直せ。」を、心掛けないといけないですね。
企業人として功成り名を遂げた人の中でも、現役を退いた後も未練がましく“古巣”に付き纏う人も居れば、スパッと過去を切り捨てて、自らは触れない様している人も居り、要は個々人のパーソナリティーによる所なのかもしれないなあという気がします。
以前にも書いたのですが、概して自身が「男らしさ」を強調している様な人物に限って、実態は非常に“ウェット”(女々しいと書くと、差別的に取られ兼ねない御時勢故。)だったりするもの。男らしさを売りにしていない自分も、ウェットさでは人の事をどうこう言えないだけに、余計にそう感じます。
悠々遊様も「怖がり」ですか。自分も、全く同じです。御化け屋敷は大の苦手ですし(でも、ジェットコースター等は大好きだったりするのですが。)、「痛がり」でも在るので、治療で歯を削る時なんぞは、一寸した振動や音で身体がビックンビックン反応してしまい、医師達に屡々苦笑されている始末。
女も女で亭主や自分の家柄や子供の学歴、勤務先自慢ばかりするのもおります。実は「日航」の夫と「東大」の息子自慢ばかりする人が知り合いにいました。故に私、日航には乗りません。
よく男らしさを「武士」にたとえる傾向がありますが、明治以前の武士の人口はどれくらいだったか。ほとんどが農工商に従事する人たちで、「武士は食うわねど高楊枝」などと気取ってやせ我慢していられなかったはず。
厄介な男が増えたのは明治以降のような気がするのですが(笑)。
ちなみに私は病院で手術を受けた際、「怖がりなので痛くないようお願いします」と言ったほうです(笑)。