昨日放送されたドキュメンタリー番組「NNNドキュメント’21」では、「ヤング・ケアラー」を取り上げていた。恥ずかし乍ら、此の番組を見る迄、「ヤング・ケアラー」なる用語を全く知らなかったし、彼等の実態に大きなショックを受けた。
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ヤング・ケアラー:「親や兄弟等、家族の介護や世話をしている18歳未満の子供。」を指す。料理や買い物等の家事や、幼い兄弟姉妹の世話、身体的な介護等、本来は大人が担うべき役割を背負っている。
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2016年に大阪府立高校の生徒約5千人を対象に行った「ヤング・ケアラーの実態調査」では、約20人に1人(約5.2%)がヤング・ケアラーで、彼等が家族の介護や世話に費やしている時間は「学校が在る日:4時間以上は約14.3%、学校が無い日:8時間以上は約11.4%。」という結果だったと言う。
又、今年4月に公表された「ヤング・ケアラー 国の実態調査」では、「中学2年生:約17人に1人(約5.7%)、高校2年生:約24人に1人(約4.1%)。」がヤング・ケアラーと判明。「中学生の場合、クラスに1人か2人は、ヤング・ケアラーが居る。」という計算になる。
「ヤング・ケアラーになると、学校に行けなかったり、勉強が出来なくなったりする等、其の後の進学や就職に大きく関わって来る。健康状態も一度崩すと、簡単には回復しない。友人関係が築けず、人間関係で苦手意識が植え付けられ、社会参加への大きな足枷になる事も在り、生涯に亘って大きな影響を受ける。」と、専門家は問題点を語っていた。
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・17歳の女子高生:現在、40代の母と暮らす。精神的に不安定な母に代わり、家事等を担っている。中学生の時には学校を休み勝ちとなり、周りの大人達に相談するも「家事等が嫌なら、断れば良い。」とか、「しなければ良い。」と言われるだけで、全く理解して貰えなかった。
・小学6年の男子:4年前、父親(73歳)が認知症を罹患。母親が家計を支える為、仕事に出ている間、外出して家に帰れなくなった父親を引き取りにいったり等、彼が父親の面倒を見ている。
・22歳の大学院生の女性:元ヤング・ケアラー。幼稚園の時、両親が別居。自覚の無い儘に、統合失調症の母の世話をる事に。夜歩き回る母を捜す等、大変な思いをして来たが、母の事を触れるのが恥ずかしくて、誰にも相談出来ないで来た。人間関係を築き難く、人と一緒に食事をする事が出来ない等、現在は定期的にカウンセリングを受けている。
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登場した(元)ヤング・カウンセラー達の姿に大きな衝撃を受けたが、一番印象に残ったのは、現在42歳の男性。「食べ物は、固形の儘では口にする事が出来ない。」という彼。10年前に罹患した摂食障害による為で、「30年間に亘る母の介護で、彼女が食べ物を喉に詰まらせないか恐れる余り、自分自身も固形物を口にするのが怖くなった。」のが原因と言う。
3歳の時、交通事故で父親を亡くした彼。小学2年迄は友達に恵まれ、非常に活発だったが、小学3年の時に祖母と母の介護を行わなければならなくなった事で、環境は大きく変わってしまう。彼女達の介護や世話に忙殺される様になったのだ。定時制高校3年の時、母の病状が悪化。親戚の助けを受けても、夜1時間位しか授業に出られず、卒業後は希望していた専門学校への進学を断念。生活の為、書店でのアルバイトを始めるも、祖母&母共に寝た切りとなり、辞めざるを得なくなった。以降、外部との繋がりも無くなり、2人の介護と世話に専念。祖母は施設で亡くなり、彼が38歳の4年前、自宅で母を看取る。定時制高校を卒業してから約20年、祖母と母の介護と世話だけに生きて来た様な彼は、職を捜そうと思っても履歴書に書ける様な職歴や資格も無く、職は見付からない。結局、38歳で生活保護を受給する事に。(昨年、アルバイトとして働ける様になったが。)
定時制高校の時の先生が彼の状況を知り、非常に気に掛けてくれたと言う。他にも彼の大変な状況を理解してくれた大人達は居たのだが、“公的な助け”は受け辛い状況だった。と言うのも、「介護や世話は、家族が行うべきで在る。」という考えが世の中には根強く在る上に、「子供を含め、同居する家族は介護の担い手と見做され、其の為に使う事が出来ない福祉サーヴィスが在る。」からだ。“介護を受ける人中心のサーヴィス”というシステム上の不備が、ヤング・ケアラーを苦しめている現実。
「苦しくても、誰にも相談出来ない。」、「『子供だろうが、家族ならば介護や世話の担い手になるべき。』という考えと、そういう考えに立脚した(様な)福祉サーヴィス。」という環境が、ヤング・ケアラー達を“セーフティー・ネット”から篩い落としている現実は、余りに辛い。
昨日の「NNNドキュメント’21」を見ていて、小学5年時に同級生だった女子の事を思い出した。両親は離婚し、父親に妹と弟と共に引き取られた彼女。我が家からは割合近くに住んでいたが、妹達の面倒を見乍ら、家事も担っていた。介護を担っていた訳では無いけれど、ヤング・ケアラーに近い状況だったと、今になって思う。
日本に義務教育制度が出来てからも、学校に通えるのは親に一定程度の安定した収入がある家庭か、親が教育の意味を理解できている場合に限られている時代がありましたね。
幼い兄弟を背負いながらでも学校に通えるのはまだ恵まれた方で、勉強する暇があったら家事、家業を手伝えという親が多かった(それだけ貧しかった)現実は、「二十四の瞳」の頃でさえあったわけです。
それから80年も90年も経ち、その頃とは社会環境も変わって誰もが大学を目指せる時代になったというのに、そこからこぼれ落ちる、落ちざるを得ない子供たちがいるこの社会としての貧困。
外国人技能実習生の現状といい、政治が人権を軽視してきた結果の歪みだと思います。
残念ですが日本人の人権意識は100年は遅れている(あるいは停滞している)のでしょう。
でなければ人権問題に鈍感な政治家を選挙で当選させることはないはずですから。
自分は、「『おしん』の頃」というイメージが在りましたけれど、「『二十四の瞳』の頃」という感じも在りますね。
「強者は全て悪で、弱者は全て善。」とは思いませんけれど、少なくとも「必死で頑張っている弱者に対しては、面白おかしく『自己責任なのだから、放っておいて構わない。』と叩くのでは無く、セーフティー・ネットで救い上げる世の中で在って欲しい。」と思います。
「自分にとって好都合な権利は無闇矢鱈と主張する一方、不都合な義務は一切負おうとしない輩。」が少なからず存在する我が国。同時に、権利意識が薄い人も存在しますね。弱者の側との“ハードル”が昔に比べて格段に低くなったというのに、「自分は無関係。」と思っている人が、何と多い事か。