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「18÷0=? 小3の算数プリントが不可解な出題で物議『割れませんよね?』、『“答え無し”では?』」(6月24日、ねとらぼ)
或る小学校で3年生に出題された算数の問題が、Xをざわつかせています。「18÷0=?」・・・って、其れ割れない奴では?
話題の発端は、イラストレーターのちゃーろーさん。娘さんが「どうして良いか判らない。」と見せて来た宿題の小問、「18÷0」に頭を抱える事となりました。
抑、「零で割る割り算(零除算)」は、答えを数学的に定義する事が出来ません。と言うのも、「18÷3=6」が「6×3=18」と置き換えられる様に、「18÷0=?」を整理すると「?×0=18」。詰まり、「18÷0」の答えは「0を掛けると18になる数」となるのですが、当然乍らそんな数は存在せず、求め様が無いのです。
Xで意見を求めた所、大きな反響が在り、「零で割る事は出来ない。」、「電卓で試すと、エラーが出る。」といった反応が多数。ちゃーろーさんは娘さんと一緒に考えて、「答え無いよね?」という結論に到達し、宿題は「18÷0=答え無し」として提出されました。
ところが後日に返却されたプリントを見ると、「答え無し」と書いた箇所はまさかのXで、先生曰く「正解は0。」。説明は、「0で割ったら0」だけで終わったそうです。
結果をXで報告した所、「0で割れる訳が無いのに、先生の解釈を聞いてみたい。」、「問題自体が悪問。」、「抑、零除算は学習指導要領外で、小学生に出す物では無いのでは。」等と、批判的な声が多数。其の一方で、「小学生の頃、同じ様に『答えは0だ。』と教えられた記憶が在る。」といった声も見られます。
ちゃーろーさんとしては先生を責めたい訳では無く、単に答えを0とした理由が気になっているとの事。Xでの反響に、「同じ様に教えられて、A÷0=0だと思った儘、大人になった人が結構居る事に驚きました。」と、編集部の取材に答えました。
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子供達の考える力を涵養する意味では、「18÷0=?」という数式に着目させるのは、決して悪い事では無い。元記事に在る様に、「『18÷3=6』が『6×3=18』と置き換えられる様に、『18÷0=?』を整理すると『?×0=18』という事になる。という事は、『18÷0』の答えは『0を掛けると18になる数』となる訳だが、そんな数は存在しない。こういうケースを『零除算』と呼び、答えを数学的に定義する事は出来ないという事になっている。」と、教師が子供達に説明すれば良いのだから。
なのに、何の説明も無い儘、「正解は0。」という“誤った答え”を示すだけでは、最早教育と言えないだろう。其の先生自体が「零除算」という概念を知らなかった可能性も在りそうだが、其れは其れで又問題だと思う。
この話題はヤフーニュースで知りました。
子供の考える力を養うという意図なら、仰るように有用な問題かもしれませんが、どうもそうではなく、問題を出した教師自身が深い考えもなく、ただ受け売りのように出した可能性大ですね。
もしこの問題を理解したうえで出していたなら、『0で割ったら0』なんて『正解?』を出せるわけがない。
よって、この教師の回答に『×』。
学校の先生が超多忙というのは事実でしょうが、だからといって自分で調べたり検証もせず無責任な教育をすれば、生徒の方は後で自分で考えたり、正しい答えに巡り合う機会があればよいが、無責任な教育を無批判に刷り込まれたままこれからの一生を過ごすことになるかもしれない。
これは算数に限らず、歴史認識などにも言えることで、教師の役割と責任は非常に大きいと、改めて感じます。
子供の頃、「あんなに夏休みが長いし、学校の先生って楽で良いなあ。」と思っていました。でも、長じて、教師になった友人等から”現実”を聞かされると、「先生って大変だなあ。」と思う様に。
「先生って他所の世界を知らず、狭い世界だけで生きて来た人種なので、変わった人が少なく無い。」と自嘲気味に話しつつも、「でも、生徒の親にも変なのが少なく無いんだよね。余りにも常識外れなモンスター・ペアレントが、本当に多い。」という話も良く聞かされましたが、矢張り"一番の悩みの種”は、「余りにもしなければならない事が多く、其れ等に忙殺されて、肝心な子供達と触れ合う時間が作れない。」という事の様です。
とは言え、「未来を背負う子供達を育てる。」という重要な役割を担う教師。今回の様に、「良く判らないけど、兎に角、解答として書かれている事を教えれば良い。」というのでは困りますね。
最近増えている様ですが、「部活の外部委託」というのも1つの手だし、何よりも”仕事の為の仕事”といった感じの”無駄なペーパーワーク”をばっさりと無くし、"意味在る授業の為の準備”や"子供達との触れ合い”に時間を回せる様に、"国として”真剣に対策を取っていかないと、此の国はどんどんおかしな方向に向かってしまうと思います。
「詰め込み教育は悪!」となると、一気に「教える中身を激減。」。次に「ゆとり教育は悪!」となると、再び「詰め込み教育に戻る。」という、余りに長期的ヴィジョン&戦略の無い教育方針を展開して来た文科省(旧文部省)。翻弄され続けて来た子供達は、良い迷惑以外の何物でも無い。