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「若者の反日感情、制御出来ず デモ、中国指導部に打撃」(10月16日、朝日新聞)
中国の少なくとも3都市で16日に起きた反日デモは、対日関係の修復に乗り出した中国共産党・政府に打撃を与えた。愛国教育の影響で反日感情が根強い若者達が、日本との「戦略的互恵関係」の構築を目指す胡錦濤体制の足元を揺さぶった形だ。月末にハノイで温家宝首相が、11月には横浜で胡国家主席が菅直人首相との首脳会談に臨むべく準備を進めている中で、中国の指導部は世論を見極め乍らの難しい対応を迫られる。
ブリュッセルでのアジア欧州会議に際しての温首相と菅首相の「廊下会談」に続き、梁光烈国防相は11日、ハノイのホテルの廊下脇のソファで北澤俊美防衛相と会談。国営新華社通信が何方も「会談」という言葉を使わない等、中国側は薄氷を履む様に対日関係の修復に踏み出していた。
16日のデモも、新華社は英文配信だけによる報道を続けた。デモを黙殺する事は避けつつ、中国社会に情報が一気に広がる事は避けたい、という指導部の意向が透けて見える。
北京では15~18日、共産党の第17期中央委員会第5回全体会議(5中全会)が開催中だ。ほぼ1年に1回のペースで開かれ、5年に1度の党大会の職権を代行、党の重要な方針を決める。其の期間中にこうしたデモが起きる事は地方都市でも極めて異例で、大衆の自発的な行動を党中央が抑え切れない事を露呈したと言える。
江沢民前国家主席が主導した愛国教育の徹底で反日感情を植え付けられ、目覚ましい経済成長の恩恵も享受している若い世代の多くは、1972年の日中国交正常化以降に日本の戦争責任を問い乍らも、其の経済成長には熱い眼差しを注いだ世代とは違う対日観を持っている。
今回のデモは1980年代に生まれた「80後」や、1990年代に生まれた「90後」と呼ばれる世代の参加が目立つ。現地から発信された写真には「沖縄を回収、解放せよ。」といった過激な横断幕を掲げる若者達の姿が写っている。偏狭で過激なナショナリズムが、東京で反中デモが在るといった情報等に反応し、反日感情に火が点く事は今後も在り得る。だが、大衆の感情を制御するのは容易では無い。
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成都市ではインターネットを通じた呼び掛けで2千人以上が集まり、デモ活動を繰り広げたとか。一部参加者が暴徒化し、イトーヨーカ堂等の大手日系スーパーを襲い、窓ガラスやショーケースを割る等の狼藉を働いたとも。(「反日運動」を題目にしつつ、実際には中国政府に対する不平&不満をぶつけているだけの連中も、結構存在している様な気もしている。*1日本にとって迷惑千万な事に変わりは無いが。)相手の主張に耳を貸さず、一方的に自身の主張を繰り広げた挙句、暴力によって相手を抑え込もうとするというのは時代錯誤も甚だしく、絶対に許される事では無い。そんな遣り方を“実質的に”黙認している中国という国も、先進国と名乗る権利を有さないだろう。
ネット上では差別用語等を繰り出して中国をバッシングしている人も少なくない様だが、其れは控えた方が良い。「相手も差別用語を繰り出してバッシングしているのだから、此方が同じ事をして何が悪い!」という事なのだろうが、同じ土俵に上がってしまうというのは結局、同じ穴の狢になってしまうという事。野卑な遣り方に対して同じ野卑な遣り方で返すというのは、とても賢明な事とは思えない。尖閣諸島問題もそうだが、自身の主張を毅然と訴える。(損害賠償も当然求める。)其の際には中国に対して不快感を示している諸国としっかり連携を図り、より戦略的に推し進める事が重要。強かな国と遣り合うには、感情ばかりを先走らせていては駄目だ。(「いろは丸沈没事故」の際の、海援隊等の強かな交渉術を見習うべき。)
「教育」という物の重要さを感じるニュースでも在る。余りにも偏った教育を施せば、斯くも偏狭で無思考な“ロボット”が生産されるという事なのだ。「日本の行って来た事は全て悪。」という教育も、又、逆に「日本の行って来た事は全て正義。」とする教育も、其の極端さからすれば中国と同じ事態を招く事になるだろう。どれだけ好きな相手で在っても、100%完璧な人間なんぞ居ない。国家だって同じ事なのに、偏狭な思考しか有していない人間には、其れが通じないのは困った物。
日本にも中国にもネット上の情報、其れも自らが好ましく思う「一方向からだけの情報」にしか触れず、他者バッシングに嬉々としている様な人達が少なからず居る。狭い空間だけでしか生きられないというのは、非常に怖い事だ。
*1 此の記事を書き上げたのは実は一昨日の事だったのだが、昨日の「報道ステーション」で同じ分析(デモ参加者の中には「反日運動」の名を借りて、実は中国政府への反発を表している者も多いのではないか。)がされていた。
「若者の反日感情、制御出来ず デモ、中国指導部に打撃」(10月16日、朝日新聞)
中国の少なくとも3都市で16日に起きた反日デモは、対日関係の修復に乗り出した中国共産党・政府に打撃を与えた。愛国教育の影響で反日感情が根強い若者達が、日本との「戦略的互恵関係」の構築を目指す胡錦濤体制の足元を揺さぶった形だ。月末にハノイで温家宝首相が、11月には横浜で胡国家主席が菅直人首相との首脳会談に臨むべく準備を進めている中で、中国の指導部は世論を見極め乍らの難しい対応を迫られる。
ブリュッセルでのアジア欧州会議に際しての温首相と菅首相の「廊下会談」に続き、梁光烈国防相は11日、ハノイのホテルの廊下脇のソファで北澤俊美防衛相と会談。国営新華社通信が何方も「会談」という言葉を使わない等、中国側は薄氷を履む様に対日関係の修復に踏み出していた。
16日のデモも、新華社は英文配信だけによる報道を続けた。デモを黙殺する事は避けつつ、中国社会に情報が一気に広がる事は避けたい、という指導部の意向が透けて見える。
北京では15~18日、共産党の第17期中央委員会第5回全体会議(5中全会)が開催中だ。ほぼ1年に1回のペースで開かれ、5年に1度の党大会の職権を代行、党の重要な方針を決める。其の期間中にこうしたデモが起きる事は地方都市でも極めて異例で、大衆の自発的な行動を党中央が抑え切れない事を露呈したと言える。
江沢民前国家主席が主導した愛国教育の徹底で反日感情を植え付けられ、目覚ましい経済成長の恩恵も享受している若い世代の多くは、1972年の日中国交正常化以降に日本の戦争責任を問い乍らも、其の経済成長には熱い眼差しを注いだ世代とは違う対日観を持っている。
今回のデモは1980年代に生まれた「80後」や、1990年代に生まれた「90後」と呼ばれる世代の参加が目立つ。現地から発信された写真には「沖縄を回収、解放せよ。」といった過激な横断幕を掲げる若者達の姿が写っている。偏狭で過激なナショナリズムが、東京で反中デモが在るといった情報等に反応し、反日感情に火が点く事は今後も在り得る。だが、大衆の感情を制御するのは容易では無い。
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成都市ではインターネットを通じた呼び掛けで2千人以上が集まり、デモ活動を繰り広げたとか。一部参加者が暴徒化し、イトーヨーカ堂等の大手日系スーパーを襲い、窓ガラスやショーケースを割る等の狼藉を働いたとも。(「反日運動」を題目にしつつ、実際には中国政府に対する不平&不満をぶつけているだけの連中も、結構存在している様な気もしている。*1日本にとって迷惑千万な事に変わりは無いが。)相手の主張に耳を貸さず、一方的に自身の主張を繰り広げた挙句、暴力によって相手を抑え込もうとするというのは時代錯誤も甚だしく、絶対に許される事では無い。そんな遣り方を“実質的に”黙認している中国という国も、先進国と名乗る権利を有さないだろう。
ネット上では差別用語等を繰り出して中国をバッシングしている人も少なくない様だが、其れは控えた方が良い。「相手も差別用語を繰り出してバッシングしているのだから、此方が同じ事をして何が悪い!」という事なのだろうが、同じ土俵に上がってしまうというのは結局、同じ穴の狢になってしまうという事。野卑な遣り方に対して同じ野卑な遣り方で返すというのは、とても賢明な事とは思えない。尖閣諸島問題もそうだが、自身の主張を毅然と訴える。(損害賠償も当然求める。)其の際には中国に対して不快感を示している諸国としっかり連携を図り、より戦略的に推し進める事が重要。強かな国と遣り合うには、感情ばかりを先走らせていては駄目だ。(「いろは丸沈没事故」の際の、海援隊等の強かな交渉術を見習うべき。)
「教育」という物の重要さを感じるニュースでも在る。余りにも偏った教育を施せば、斯くも偏狭で無思考な“ロボット”が生産されるという事なのだ。「日本の行って来た事は全て悪。」という教育も、又、逆に「日本の行って来た事は全て正義。」とする教育も、其の極端さからすれば中国と同じ事態を招く事になるだろう。どれだけ好きな相手で在っても、100%完璧な人間なんぞ居ない。国家だって同じ事なのに、偏狭な思考しか有していない人間には、其れが通じないのは困った物。
日本にも中国にもネット上の情報、其れも自らが好ましく思う「一方向からだけの情報」にしか触れず、他者バッシングに嬉々としている様な人達が少なからず居る。狭い空間だけでしか生きられないというのは、非常に怖い事だ。
*1 此の記事を書き上げたのは実は一昨日の事だったのだが、昨日の「報道ステーション」で同じ分析(デモ参加者の中には「反日運動」の名を借りて、実は中国政府への反発を表している者も多いのではないか。)がされていた。
中国で反日デモ、日本を批難するネットでの書き込み、それに対して日本でも、反中デモ、中国に対する批難、一部のブログなどで、中国に対して戦前の侮蔑的な呼称を用いて批難する記事がありますが、日本人の私が見ても不愉快です。双方、感情的になって、どんどん批難合戦がエスカレートするのはさけたい所です。
日本政府の対応を軟弱だと批判するムキもおられますが、私はアレで良いと考えます。
尖閣諸島の問題は、冷静の論理的に対応すれば良いです。これは竹島問題でも同じです。この問題は韓国の方が大変、感情的になってなっています。カッカしている相手に、強硬な姿勢をとるのは愚の骨頂です。
日本、中国、韓国、こういう問題では、日本人が一番大人ですね。
私は神戸ですから、中華街があります。きのうも中華街を散歩したのですが、平和なものです。観光客がそぞろ歩き、お土産物屋の華僑の人が、ニコニコと店頭に立っています。
これが逆だったらどうでしょう。中国に日本人街があって、その日本人街は昨日の中華街のような平和な雰囲気でしょうか。
PS
巨人VS中日の蛇足シリーズ。影ながら巨人を応援しています。私、落合野球は嫌いです。落合野球にはロマンがありません。
原さん、落合をやっつけてください。
ネット上の一方向からだけの情報にしか触れず、というご指摘は、逆に「テレビ・新聞上の一方向からだけの情報」と置き換えることも可能です。当然ながら我が国のテレビ・新聞と、ポータルサイトや他国の報道機関、各通信社のネット記事、それを閲覧してのブログ等の反応には余りにも差があります。
ことに最近は、「国会中継」で、民主党のえらいさんが政権交代前であれば内閣の一つや二つ軽く吹っ飛ぶような問題発言をされても、夜のニュースや翌日の新聞で報じられません。せいぜい通信社の速報にごく小さく記載される程度です。今急に始まったことではないでしょうが、「既存メディアの報じ方、偏ってないかえ?」と。各社一律に現政権の対応に今もって評価が甘く、対応の是非はともかく、他社とは違った角度から分析する報道は見られない。自分は「各社一律」に恐怖を覚えます。これでは隣の国の報道機関と変わりません。
但し、既存メディアの偏向報道を以って、ネットで得られる自分が好きな情報「だけ」に頼り、特定の価値観に染まってしまう人に対しては、私もジャイアンツ様と同様危惧を持っています。せっかくネットがあるんだから、自分にとって耳触りの良い情報以外も目を通せよ、と。
ところで、17日の香港の時事通信の記事については日本のテレビで報道されたんでしょうか。ちょうど帰省中でテレビを見てませんでした。
10年程前の自分は、「何を言いたいのかサッパリ判らない首相なんてもう結構。ズバッと物を言える首相に出て来て欲しい。」という思いが強かった。「言語明瞭、意味不明。」と称された竹下登元首相ですら、其の物言いがハッキリせずに苛立った事も。だからこそ、ズバッと物を言う小泉純一郎元首相が登場した際には「やっと出て来たか。」と非常に期待したのですが・・・。
ズバッと物言いはするけれど、肝心な中身が無い。そう気付いたのは、就任から1年も経たない内。其の後、様々な書籍類を読み、「何を言いたいのかサッパリ判らない。」という代表格の様だった大平正芳元首相が、実は非常に思慮深く、且つ言葉という物の重要さを強く意識していた人だった事を知り、己が判断の浅さを痛感させられた次第。
感情に任せて強い言葉で主張するのは、ハッキリ言えば誰でも出来る事。問題は其処に深い思慮や、長期的な戦略等が在るか否か。今回の問題では日中共に、侮蔑的な言葉で罵り合っている人たちの間にそういった深さを感じられる人が果たしてどれだけ居るのか?
「国歌の斉唱と国旗の掲揚を国民に強いて愛国心を育ませれば、教育現場の荒廃等を含めて、世の中の問題は解決する。」といった趣旨の発言を平然と主張していた国会議員が以前居ましたが、こういう発想が自分には全く理解出来ない。愛国心なんぞは大なり小なり、今の日本人でも持っていると思うし、こういう物は他者から強いられる物でも無いと思うから。余りにもどの過ぎた、其れも偏った考え方を強いればどうなるか?今回の中国の愚行(一部の人間と考えてはいますが。)を見ても判る筈。
自らが正しいと信じる事柄に関しては、冷静且つ強かに訴え続けるべきで、阿る必要は全く無いけれど、感情的に推し進めれば何でも上手く行く筈といった短絡的な思考にだけは、どうしても付いて行けない自分です。
ジャイアンツを応援して下さるという事、有難う御座います。唯、CSの存在自体に疑問を感じている自分としては、正直複雑な思いが今でも在ります。
仰る様に戦後の教育現場では、否、マスメディアでの報道でも「戦時中に日本が遣って来た事は悪い部分が多かった。(「全て悪。」と迄断じるケースは、そんなに多い感じはしないけれど。)」という教え方(報じ方)が多数を占めている様にも感じます。どういう理由が在ったにせよ、「あの戦争に突っ走ってしまった要因の1つに、教育現場やマスメディアの加担が在った。」という反省も在るのでしょうが、日本ばかりが責められるというのもどうかとは思っています。「列強諸国が意図的に日本を追い込んだ。」という面“も”在ったと思うし。
そういう考え方に疑問を持ったり、反発する人が居るのも、其れは其れでおかしな事では無い。自分も理解出来る部分は在るのですが、だからと言って「日本が遣って来た事は全て正しかった。」とし、明々白々な事実が在っても其れに敢えて目を閉ざしてしまう偏狭な考え方にも付いて行けない。是々非々で判断出来ないというのは、今回の中国の“暴動”を見ても言えますよね。
マスメディアの報道が極端に偏るのは、今に始まった事では無い。マスメディアは権力に阿ってはならないけれど、だからと言って権力に対して何でもかんでも批判をするというスタンスも違うと思う。どうでも良い事を然も国家の一大事の如く取り上げて大騒ぎする一方で、真に批判すべき事には余り批判しないという姿勢は、マスメディアにとって致命的と言える。
唯、マスメディアの中には“割合”是々非々で論じている所も少数派乍ら在るとも思っているんです。そういう所が無くなってしまうと、中国やロシアと全く変わらなくなってしまいますね。
「自分にとって耳触りの良い情報以外も目を通せ。」、全く同感です。世の中には自分の耳に優しい情報にしか敢えて触れない人も居るけれど、其れでは井の中の蛙になってしまう。
「17日の香港の時事通信の記事」というのは、「あのデモが、中国の各大学の政府系学生会が組織した物だった。」という記事ですよね?テレビ局のニュースを全て見た訳では無いのですが、テレ朝だったかが報じていたのを見ました。又、ネット上のニュース・サイトでは結構報じられていましたね。