“徳川将軍”は、全部で15人。初代・徳川家康を知らない日本人は、先ず居ないだろう。一般的な知名度で言えば、2代・徳川秀忠や3代・徳川家光、5代・徳川綱吉、8代・徳川吉宗、そして15代・徳川慶喜なんかも、結構高い方だろう。では、残る9人に関してはどうだろうか?恐らくは、そう高くは無いだろう。否、「そんな将軍知らないなあ・・・。」という人も少なくなさそう。
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口が回らず、誰にも言葉が届かない。歩いた後には尿を引き摺った跡が残る為、“まいまいつぶろ(蝸牛)”と呼ばれ、蔑まれた君主が居た。常に側に控えるのは、唯1人、彼の言葉を解する、何の後ろ盾も無い小姓・大岡兵庫(おおおか ひょうご)。だが、兵庫の口を経て伝わる声は、本当に主の物なのか?将軍の座は、優秀な弟が継ぐべきではないか?疑義を抱く老中等の企みが、2人を襲う。麻痺を抱え、廃嫡を噂されていた若君は、如何にして将軍になったのか?
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【9代・徳川家重】
9代・徳川家重も、一般的な知名度が低い将軍の1人だろう。其の肖像画は実に“個性的な表情”をしているが、自分(giants-55)の中では「徳川家重=暗愚な将軍」というイメージが在る。享保の改革を主導する等、英明な8代・徳川吉宗の長男として生まれた家重だが、「生来の虚弱さに加え、顔や手足には麻痺が残り、発話が不明瞭で、周りの殆どは彼の言葉を解せなかった。頻繁に催す尿意を我慢し切れず、彼が足を引き摺り乍ら歩いた所には、蝸牛が這った時の跡の様な尿跡が残る事から、“小便公方”や“まいまいつぶろ”と呼ばれた彼。」は、周りから蔑まれ、父・吉宗も彼を跡継ぎに据える事を躊躇った時期も在った程。「幼少期から大奥に籠もり勝ちで、酒色に溺れていた。」という話も在り、申し訳無いけれど“暗愚な将軍”という感じしかしない。
そんな彼を側近として支えていたのが大岡兵庫(後の大岡忠光)で、彼は同時代に江戸南町奉行として活躍した大岡忠相の“遠縁”に当たる。殆どが解せなかった家重の言葉を、理解する事が出来た兵庫は、家重の“口”となる。とは言え、家重が何を言っているのか周りは全く理解出来ないのだから、「兵庫が言っている事が、“本当に家重が言っている事”なのか?」と周りは訝しみ、兵庫を排除し様ともする。否、周りが排除し様とするのは彼だけに留まらず、将軍として相応しく無い家重をもだ。
主と家来という関係を超え、“友情”めいた関係にも在った家重と兵庫。そんな2人の人生を描いたのが、今回読んだ「まいまいつぶろ」。著者の村木嵐さんは、「京都大学法学部を卒業後に会社勤務を経て、司馬遼太郎家の家事手伝いとなり、司馬遼太郎記念財団理事長で、司馬夫人でも在る福田みどりさんの個人秘書を務めていた。」という経歴を有する。
身分は全く異なるものの、「自身の価値を認めて貰えず、周りから排除れ様としている。」という共通点を持つ2人が、固い結び付きで一生を終えるという物語。読ませる内容では在るのだけれど、「大きな障害を抱えているものの、実は英明な人間だった。」という家重の描かれ方には、正直違和感を覚える。此れ迄、家重に関する本や資料を幾つか読んで来たけれど、暗愚さを感じさせる話は数多在れど、英明さを感じさせる物は皆無だったので。フィクションとして読むには、「在り。」なのだろうが・・・。
飽く迄も“物語”として読む分には、面白い内容だ。総合評価は、星3つとする。