元テレビ山口のアナウンサーで、現在はTBSの朝の情報番組「THE TIME,」内でリポーターを務めている原千晶さん。自分は彼女の事を全く知らなかったのだが、彼女が自身の或る体験を明かした事が、SNS等で話題になっているそうだ。AERA(2月19日号)に、「私の人生に絶対必要な6年」という記事が載っていた。彼女が明かした或る経験とは、6年間の浪人生活。
父親は開業医、母親も歯科医という医療一家の長女として、彼女は育った。「父や母から家業を継いで欲しいとか、医学系の道に進みなさい、と言われた事は一切在りません。2歳下に弟が居るのですが、弟も同様です。」。
幼い頃より“医師として患者と真摯に向き合う父親の姿”を見続けて来た彼女は、高校3年の秋頃、医学部受験を決意する。「本当に成りたい物が無くて、どうしようかと悩んでいた時に、仲の良かった友達の御兄さんが4浪で医学部に合格した、という話を聞き、『医師になる。』という考えが急に降りて来たんです。勿論、現役では無理だと判っていたのですが、記念受験的に医学部を1校だけ受け、最初の年は終わりました。」。
「高校3年の秋頃に受験先を決めた。」というのは、普通に考えて遅過ぎる。況んや、受験先が医学部なら尚更だ。彼女は医学部合格に挑み続けたが、結局、6浪した末に望み叶わず、福岡大学理学部に進学する事に。
彼女が何れだけ苦しい浪人生活を送ったかは、元記事に詳しく記されているが、此処では割愛する。実際に元記事を読んで戴ければと思うが、家族は彼女を温かく見守っていた様だ。「父は『御父さんの時代とは違って、今は医学部難しいから数年は掛かるよ。私立は倍率も高いし。千晶は高校時代勉強していなかったんだから仕方無い。』と良く言っていました。」という彼女の言葉からも、其れは伝わって来る。
「浪人中、辛かった事は?」という質問に、原さんは「5浪目です。高校の友達が大学を卒業し、社会人になり、結婚する人も出て来たんです。今迄人と比べる事は殆ど無かったのですが、周りはどんどん進んでいるのに、自分だけ何も変わっていなくて、時間だけが過ぎている感覚に襲われました。此の年は、精神的に一番きつかったです。」と答えている。
自分(giants-55)は、1浪を経験している。父親が病気で亡くなっていたので、浪人生活を送るだけでもきつかったが、2浪なんて絶対に出来ない状況に在った。なので、浪人生活は本当に苦しかった。1浪時、受験迄半年を切った辺りから、毎晩の様に「受験した大学に不合格!」という“悪夢”を見続け、心身共にしんどいなんて言葉じゃあ言い表せない程の状態。何とか2浪せずに済んだが、1年だけとはいえ、浪人時代は苦しい思い出しか無い。なので、6浪生活を送った原さんには「非常にきつかっただろうなあ。」と思ってしまう。自分だったら、心が折れてしまう事だろうから。
「6年間も浪人して、結局医学部に行けなかった事に対して、大学1年目はモヤモヤしていた事も在りました。何故、こんな要らない苦労をしてしまったのか、と。そんな時に父に、其れは苦労じゃない、浪人したくても環境的に難しい人も一杯居る中で、遣りたい事に6回も挑戦出来たっていうのは凄く恵まれている事だ。苦労とは言えないよ、と言われて。本当にそうだと吹っ切れました。」。
人によって、あるいは苦労のタチによっては、そのことで人格がゆがんでしまって、ろくでない人生を過ごすこともあるでしょう。
私の場合ですが、リストラされ、4年間の求職生活をして苦労しました。私の場合、それが良かったと自分では思ってます。
例としては不適切かも知れませんが、「親から虐待を受け続けた子供は、自身が親になった時、同じ様に子供を虐待するケースが在る。」と言いますよね。其の一方で、自身の親を“反面教師”にして、自分の子供には優しく接するというケースも在るだろうし、結局は「“当人”が、自身の経験をどう捉え、どう“未来”に反映させるか?」だと思います。
雫石様の場合は、非常に御辛い経験をされた様ですが、其れを良い意味で“糧”にされ、素晴らしい未来をゲットされたのだと思います。
一度限りの人生、出来得る事ならより良い内容にしたいし、其の為にはポジティヴ・シンキングで在る方が良いのでしょうね。