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この度は、この様な大変な事をしてしまい、誠に申し訳ございません。親としては、キチンと生きていて欲しかったです。自ら姿を現す様、切望しておりました。
事件が起きてから11日の間、ずっと、行方が判らなくなった息子へ、そして、親である私共自身に、何故?どうして?と問い掛けて来ました。考えても考えても出ない答え。その問いの答えは、一生、息子の口から聞く事が出来ず、亡くなられた御嬢様と御遺族の皆様に、申し訳無い気持ちで一杯です。生きて真実をその口で話し、生きて償いをして欲しかったです。
御遺族の皆様、関係者の皆様、心より、深く御詫び申し上げます。
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山口県周南市の徳山工業高等専門学校の女子学生が絞殺された事件で指名手配され、一昨日に遺体で発見された男子学生の両親が、同校校長の携帯に送った謝罪メールだ。
少年犯罪が起こると、「うちの子とは縁を切っており無関係。こっちも迷惑しているんだ!」と逆切れする加害者の親も居る御時世。こういった「放任教育と子育て放棄を取り違えた馬鹿親」には憤りの気持ちだけしかない。
しかし今回の事件の場合、容疑者の両親にはそういった感情が湧いて来ない。指名手配後の5日に続き、今回で二度目の謝罪文という事になるのだが、両方の文面からは息子への思いを抑えつつ、被害者及びその遺族に対しての謝罪の気持ちが痛い程伝わって来る。容疑者が凶行を為したので在れば、それは絶対に許されないし非難されても仕方ないが、容疑者の両親の心の内を思うと、これ又辛さを感じてしまうというのが本当の気持ち。被害者の親族だけではなく、自身の親族の心にも傷を負わせてしまった容疑者。この手の事件にそもそも「救い」なぞ求め様も無いのだろうが、それにしても憂鬱さばかり感じられる事件だった。
ところで、今回の謝罪文は校長の携帯にメールの形で送られたという。恐らくマスメディアが殺到した事から身動きが取れず、然りとて被害者遺族に対して心から謝罪の気持ちを表したいという思いからメールという形を選択したのだろう。そうで在れば苦慮の上での選択という事で、この形式を非難するつもりは毛頭無いのだが、時代も変わって来たのかなあという思いも在る。昔だとこの手の謝罪文は、手書きで出されていた様に思う。それが何時の頃からか、ワープロで印字された形式になり、やがてはそれがFAXで送られる形式も出て来た。
本来男子学生の両親も、メールという形式では無く、手渡しで謝罪文を渡したかったのではないだろうか。否、直接被害者の遺族に謝罪したい気持ちが在ったやもしれない。今回の謝罪文からはそんな苦悩の思いが感じられ、余計に遣り切れなさが増してしまう。
この度は、この様な大変な事をしてしまい、誠に申し訳ございません。親としては、キチンと生きていて欲しかったです。自ら姿を現す様、切望しておりました。
事件が起きてから11日の間、ずっと、行方が判らなくなった息子へ、そして、親である私共自身に、何故?どうして?と問い掛けて来ました。考えても考えても出ない答え。その問いの答えは、一生、息子の口から聞く事が出来ず、亡くなられた御嬢様と御遺族の皆様に、申し訳無い気持ちで一杯です。生きて真実をその口で話し、生きて償いをして欲しかったです。
御遺族の皆様、関係者の皆様、心より、深く御詫び申し上げます。
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山口県周南市の徳山工業高等専門学校の女子学生が絞殺された事件で指名手配され、一昨日に遺体で発見された男子学生の両親が、同校校長の携帯に送った謝罪メールだ。
少年犯罪が起こると、「うちの子とは縁を切っており無関係。こっちも迷惑しているんだ!」と逆切れする加害者の親も居る御時世。こういった「放任教育と子育て放棄を取り違えた馬鹿親」には憤りの気持ちだけしかない。
しかし今回の事件の場合、容疑者の両親にはそういった感情が湧いて来ない。指名手配後の5日に続き、今回で二度目の謝罪文という事になるのだが、両方の文面からは息子への思いを抑えつつ、被害者及びその遺族に対しての謝罪の気持ちが痛い程伝わって来る。容疑者が凶行を為したので在れば、それは絶対に許されないし非難されても仕方ないが、容疑者の両親の心の内を思うと、これ又辛さを感じてしまうというのが本当の気持ち。被害者の親族だけではなく、自身の親族の心にも傷を負わせてしまった容疑者。この手の事件にそもそも「救い」なぞ求め様も無いのだろうが、それにしても憂鬱さばかり感じられる事件だった。
ところで、今回の謝罪文は校長の携帯にメールの形で送られたという。恐らくマスメディアが殺到した事から身動きが取れず、然りとて被害者遺族に対して心から謝罪の気持ちを表したいという思いからメールという形を選択したのだろう。そうで在れば苦慮の上での選択という事で、この形式を非難するつもりは毛頭無いのだが、時代も変わって来たのかなあという思いも在る。昔だとこの手の謝罪文は、手書きで出されていた様に思う。それが何時の頃からか、ワープロで印字された形式になり、やがてはそれがFAXで送られる形式も出て来た。
本来男子学生の両親も、メールという形式では無く、手渡しで謝罪文を渡したかったのではないだろうか。否、直接被害者の遺族に謝罪したい気持ちが在ったやもしれない。今回の謝罪文からはそんな苦悩の思いが感じられ、余計に遣り切れなさが増してしまう。
にも、気の毒でやるせない・・という感情を持ちます。被害者の両親についてはいうまでもないことですが、加害者の両親も、「朝、息子が学校に行った。突然、(両親にとってはまさに突然という感覚ではないでしょうか。)殺人事件の容疑者になった・・。それっきり帰って来ない。死んでしまった。」
この、ふつうに学校に行ったと思っていた息子が・・いつもの日常のくり返しの中で・・
こういうことを思うと、ほんとにやるせないです。
この殺人という行為はほんとにひどいことですが、
加害者側の両親、兄弟・・その人たちの精神的苦悩も計り知れず、なんで、こんなことになってしまったのかのかなあ。。という思いがいっぱいです。特に、学校関係者の、「この少年の性格を考えると、自殺する可能性はすごく高いと思ってました。」というコメント。。
ますますもって、どうして、こんなことを。。それしかないですね。
今回の事件、ほーほー様が書かれておられます様に、被害者の家族もそうですが加害者の家族も、何時もと全く変わらない一日が過ぎて行くと思っていた事でしょう。何時もの如く外出した愛しき子が、「突然命を絶たれてしまった。」、又は「犯罪者となり、行方不明の後に自ら命を絶ってしまった。」という事態になろうとは夢にも思っていなかった筈で、どちらも「悪夢で在るならば早く覚めて欲しい。」という感じではないかと。どちらの家族の気持ちも判るだけに、唯々辛い結末です・・・。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
計画的殺人ならば、冷静に事を運べるのかもしれませんが、一般的には何が何だか判らない内に殺してしまったというのが従来だったと思います。しかし近年の場合、突発的な殺人としか思えないのに、淡々と事を進めている”かの様な”ケースが報道では目に付く気がします。これって一体何なんでしょうね?
マヌケ様が書かれている様に、殺害に到る動機に理不尽なものが多ければ、淡々と人を殺めている様なものも目立つ。人の感性が麻痺し、心が崩壊して来ているという表現だけでは説明出来ない、おかしな時代に入っているのかもしれません。
「美しい国」、御題目はそれこそ美しいです。でも、徳育を施せば全てが解決するのかと言えば、事はそんな簡単な話では無いでしょう。”普通に”働いている人が、”普通の”生活を送れる国。その当たり前の事が出来なくなりつつ在る我が国。強圧的に人に当たり、身勝手な論理を振り翳している者程、評価される社会ではまともに生き様という気力が減じられて行ってしまうのはむべなからぬ様にも感じます。
やれハンカチ王子だ、やれ嫌韓&嫌中だと、表面的な事象で大騒ぎしているだけで本当に良いのか?為政者やマスメディアの煽りに乗せられず、この国の真の姿をジックリ冷静に見て行く事が先ずは肝要ではないかと考えるのですが・・・。