元々関心が薄かったという事に加え、開会前の“北朝鮮と韓国との露骨な政治利用”も在って、平昌オリンピックの競技は殆ど見ていない。とは言え、同胞として日本人選手達が活躍すれば、其れは其れで嬉しいし、羽生弓弦選手や小平奈緒選手の金メダル獲得等には、心から「良かったなあ。」と思っている。
だが然し、日本のマス・メディア、特にTV番組での平昌オリンピックの取り上げ方は度を越してはいないか?何処のチャンネルに合わせても平昌オリンピック関連の番組という感じで、情報番組やスポーツ番組なら未だしも、報道番組でも延々と流されている。他のニュースが見たくてチャンネルを合わせているのに、冒頭からずっと、酷い場合は20分近くも平昌オリンピックを取り上げているケースも在った。
で、其の取り上げ方も、“日本人選手達の素晴らしさを只管賛美する様な内容”が殆ど。日本人選手達の活躍を褒め称える事自体を否定はしないけれど、何事にも限度が在る。そして、其の度を越した賛美には、「そんな素晴らしい日本人選手達を有する日本、そして我々日本人も同様に素晴らしい。」という自画自賛の匂いが感じられる事も結構在り、そうなってしまうと気恥ずかしくて堪らなくなってしまう。
以前にも書いた事だけれど、「近年、日本の素晴らしさを、只管賛美する様な本やTV番組が目立つ。」様になったと感じている。母国を誇る事は決して悪く無いし、謙虚過ぎるのもどうかとは思うけれど、例えばTV番組で言えば「大勢集められた外国人が、『日本や日本人って、こんなに素晴らしい!』と次から次に言う。」なんていうのは、“謙虚(謙虚過ぎるという事では無く。)な日本人”という物に美しさを感じる身としては、「何だかなあ・・・。」という思いがしてしまうのだ。
今回の平昌オリンピック、そして近年の本やTV番組での“日本や日本人の素晴らしさを只管賛美する様な内容”の多さは、“外国人(主に欧米人)に対するコンプレックスの裏返し”ではないかという気がする。
飽く迄も美学の問題で在り、「自分の考え方が絶対的に正しい。」なんて言う気は全く無いが、自分は「“日本や日本人の素晴らしさを只管賛美する様な内容”よりも、“賛美するにしても控えめな賛美”。」の方が気恥ずかしく無いし、心地良さを感じる。
欧米人へのコンプレックス、というのは、日本独特でしょうね。ドイツもイタリアも敗戦国ですが、欧米陣営にしっかり収まり、特にドイツはメダルに沸き返り、実力を示しています。そこまで、過去に捉われる事は無い、と思いますが、同じアジア勢として、足並みを揃えられない、日中韓に対して、欧米が強い理由(わけ)をもっと分析して、世論を刺激して欲しい、と思います。
羽生選手や小平選手を始めとした選手達の活躍には心から敬意を表したいし、決してケチを付ける気は毛頭無いのですが、“大本営発表的なマスメディアの馬鹿騒ぎ”には、正直辟易としています。日本は世界的にも其れなりの評価を得ている訳だし、“必要以上に大きく見せる必要性”は無いのですから、自然体での報道を心掛けるべきかと。
羽生選手や小平選手は騒ぎに踊らされる事無く、泰然自若とした態度で臨んでいるのが良いですね。散々持ち上げておいて、盛り上がった所で“叩き落とす”のがマス・メディアの常ですから、決して踊らされないで欲しいです。
「欧米人へのコンプレックスというのは、日本独特でしょうね。」、そんな気がしますね。加えて言えば、そういったコンプレックスの吐き出し口がアジア諸国や発展途上国への見下しという形で在るのも、残念乍ら少なからずの日本人に見られる事かと。
“日本や日本人の素晴らしさを只管賛美する様な内容”を心地良く感じている人達って、「『自虐史観は許さない!』と主張し、日本や日本人にとって都合の良い事だけは全て事実として、不都合な事は事実で在っても全て捏造と叫ぶ人達。」と重なっている様な気がしています。朝日新聞の報道スタンスには疑問を感じる点が無い訳では無いけれど、「朝日新聞の捏造を批判している人達が、(現政権寄りの報道をしている)産経新聞の捏造は全く批判していないのは不思議でならない。「捏造が駄目。」というので在れば、どんな媒体で
在れ、捏造をしたら等しく批判しないとおかしい。相手によって判断基準をコロコロ変えるのでは、何等説得力を有しない。